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「他人を気にしない」なんて奇麗事

急なんですが、27歳の私は不定期に長期間、病むことがあります。

女性はホルモンのバランスで月に4回性格が変わるなんて言いますが、(もちろん女性特有の体質のせいで1ヶ月に1回ほどメンタルのバランスが乱れることが数日間あるものの)それとは別で、不定期に中長期の期間をかけて病むことがあります。

その時にいつも思うのは「自分って、なんでこんなにも何もない人間なんだろうか」ということ。日々、限界を感じながらも社会人として生きている中で、何も生み出さずに歳だけとっていく焦燥感といったら、それはもう「しんどい」という一言では言い表せないくらいの憂鬱でして、せっかくの休日をベットで終日を過ごしてしまうことも多くあります。(そしてまた何も生み出してない1日を悔やみ、更に気持ちは沈んでいく、、、)

もしかしたら同じように悩んでる人がいたりするのかな。

私の場合、上記の症状があるからといって病院で診察を希望している訳ではなく、結局は自分で解決するしかないよなあ、と思いながら重い腰を上げて、とりあえず近くのカフェに行き(外に出た自分を褒めてあげながら)ノートを広げて自分の現状の言語化・可視化と現状の解決方法について、数時間をかけて悶々と取り組むのです。

人生の先輩方の知恵を借りるべく、Google先生に解決策を求めるのですが、総じて「自分軸で生きよ」という一言で即終了なんですよね。

「他人の目を気にしない」
「自分に自信を持つ」
「自分の心の声に耳を傾ける」
そうすることで、幸福度が高まるのだ、と。

おっしゃるとおりで、そう思います。

でも一方で、結局人間って他人と接して生きていくことが求められている前提を考えると、自分軸なんて潜在的に「他人と比較した上での」自分軸になってしまっているのではないでしょうか。

「他人の目を気にしない」
→人間ひとりで生きてくことは不可能なんだから、他人を意識しないことなんて無理じゃない?
「自分に自信を持つ」
→他者と比較したときに優位にたって自信は生まれるのでは?
「自分の心に耳を傾ける」
→傾けても、結局自分自身になにも答えは出てこない、、、

皮肉れてる考えかとは思いますが、病んでるときほどこのような考えのループに陥ってしまうんですよね、、、

だから、私はもう諦めました。
諦めて、「ある一定の条件下で他人よりも優位であることにより自分に自信を持てている状態」を目指して生きていこうと思いました。

他人と比較をして得られる幸せが長期的に見た際の本当の幸せになり得るのか分かりませんが、少なくとも今の私が明日を生きるための活力にはなると思ってます。

社会人5年目突入の目前にしても、キラキラした社会人はほど遠いなぁ。

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