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街と面影

窓から望む景色は街を縁取るような山並みで、視界を阻む物の少ないこの場所からは遠く離れた緑もよく見える。

広い敷地の中に建てられた巨大なデパートにこぞって人が集中するこの街には洒落たものなど何一つなかった。それでもこの街の開放的な空が好きだった僕は、空を圧迫するビルの森なんか無くてよかったなと思っている。

のどかな景色はいつもと変わることなく窓の向こうに広がっている。変わったのは荷物の整理を終えてがらんと生活の音を失った部屋の中だけだった。

荷物が詰まったダンボールはここでの生活と時間を乗せて次の街を夢見ている。

ダンボールからはみ出してしまったものは彼女の面影だけだった。

安心するから、そう言って胸に顔を埋めて無邪気に笑ったあの瞬間が殺風景な一室の中で幻となって蘇る。

捨てようにも胸の内にどうしても残ってしまったそれは、形の無い荷物となって僕の人生の中へと押し込まれていく。

二度と出会わないあの笑顔が今もどこかで華々しく咲いていることを想いながら、遠くを眺めて街の切れ目に視線を向けた。

この部屋の中に詰まった思い出を携えながら僕は今日この街を出て行く。

窓の外に向かって二人の生活によく響いた歌を唇だけで歌いながら、顔も形も無いいつもの景色に「さようなら」と口ずさむように呟いた。

引越し業者から掛かって来た電話を取ってトラックの到着が間もなくだと知らされると、僕は投げ捨てられていた上着を羽織ってすぐ近くのコンビニまで最後の買い物に出た。

信号を待ちながら大通りの向こうに見える駅前の華やいだ様子を眺めて、僕は思い出したように「変わったなぁ」と小さくこぼした。

冬枯れの木々の上に広がる真っ青な空はすっかり雲を片付けていた。青色に変わった信号機を確認すると横断歩道の縞模様を目で追いながら向こう岸へと歩いていく。

コートのポケットの中に滑り込んだ冷たい空気が黙って凍えた手を忍ばせながら隣を歩いた彼女の幻をふっと傍に蘇らせた。

二人でいつもはしゃぎながら買い物をしていたコンビニの前までくると、街を通り過ぎる季節の風が駅の方から大きく吹き抜けた。

「さようなら。お元気で」

枯れた並木を撫でる音の中にそんな声を聞いた気がした。どこからともなく聞こえて来たメッセージは風が残していった季節の匂いと共に胸の中へと降り積もっていった。

不意に立ち止まって馴染んだ街の景色に振り向くと、僕は行き交う車の騒音に埋もれながら、この街に残る僕たちの面影に別れを告げて記憶が溶け込んだ変わらぬ景色に手を振った。

風はもう一度大きく吹いて足元の落ち葉をさらいながら街の中に響く生活の音へ馴染むように吸い込まれていった。

転がる生活を運ぶ街に向かって僕は挨拶を交わすように小さく頭を下げた。


原案 lucky old sun 「街の人」

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