言の葉に咲く①
健康体でいることの大切さを実感する機会が何年か前から増えてきたような気がする。
「健康で居られればそれでいい」
若い頃はそんな事を言う大人を見て、なんて地味な願望なんだと思いながら閉塞感に似た感覚をまとったそんな雰囲気にうんざりとしていた。
そうはなるまいと思うことや、まるで関係が無いと思っていたことが悪戯のように時より巡ってくるのは何故だろう。
窓ガラスに写った冴えないサラリーマンがまさか自分の姿だとは信じたくもなかった。
舗装された歩道の割れ目から伸びた雑草が風に吹かれて頷くように揺れている。
どれだけ地味な花だとしても生きている内は水がいる。その水に代わるものは人によって様々で色んな趣味趣向があるだろう。
今の私にとっての水はこの大きな駅の隣に開かれた花屋の中に流れていた。
通学や出勤をする人々で行き交う朝の往来の中で店先に並べられた花たちは単調な景色を鮮やかに彩っている。
夜勤上がりの疲れた体は朝の流れをかき分けながら1日の始まりの中をゆっくりと逆行していく。
店の前に立つと私は陽を浴びる赤や黄色や紫の色鮮やかな花たちを眺めながら店に入るタイミングを伺っていた。
「いっらしゃいませ。よかったら中へどうぞ」
愛想の良い声は朝の空気に丁度良く溶け合っていた。
「ありがとうございます」
軽く会釈をした私は開かれた正面の扉を抜けて植物の香りが豊かに漂う店の中へと入っていった。
湿度の高い空気に土の匂いが混ざっている。
時より通うようになったもののこの花屋に入るのが未だに照れくさい。
花とは無縁の生活を送って来ていた男が似合わないことをしているのだからどうしたって恥ずかしさはついてくる。
そんな私が花の名前など知るはずもなく、いつものように店内を埋める色取りどりの花たちの区別もろくにつかないまま映えた色だけを目で追っていた。
その中で気に入った色の花をいくつか見繕って手に取ると細い茎を折らないように注意しながら優しく握ってレジまで進んだ。
「これプレゼント用に包装できますか?」
特に贈る相手などいなかったけれど、そうでも言って何かしらの理由を用意しなければ恥ずかしさをごまかすことが出来なかった。
こんな時は自分がいたずらに年齢を重ねただけで、幼さをきれいに切り離せているわけでは無いことに気がついてしまう。
「はい承っております。包装の種類はいかが致しますか」
「えっとじゃあこのベージュのものでお願いします」
なるべく控えめな色が良いと思った。
「畏まりました」
そう言って作業を始めた彼女のエプロンの上でネームプレートは「伊藤」という文字を乗せて小刻みに揺れていた。
「ブルースターいいですよね。このお花の花言葉には『信じ合う心』というものがあるみたいですよ」
彼女は涼しい目元を青い花に向けながら語りかけるように私に言った。丸みを帯びた柔らかい声色が疲れを忘れさせていく。
「そうなんですか。花のことはあまり知らないのでこの色だけで選んでしまいました。この花はそんな花言葉を持っているんですね」
「えぇそうなんです。花には色んな花言葉があるんですよ」
彼女の声の調子が少し弾んだような気がした。
「でも綺麗なものを貰って嬉しくない人はいないので気に入った色の花をプレンゼントするのも素敵だと思います」
喜んでくれるといいですね、そう言うとさっきまで花に落とされていた彼女の視線が私に移される。落ち着いた眼差しに惹きつけられた私の目は花の美しさを捉えることが出来なくなっていた。
微笑んだ彼女の薄い唇は綺麗な曲線を描いている。
つづく
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