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写真の“コンセプト”って何? SNSの批判に負けず楽しみながら深める撮影のコツ|Leicaに恋して。

最近、SNSで写真に対する批判を目にすることが増えてきた。
そうした投稿に対して、すでにうんざりしてミュートしたり、ブロックしている人も少なくないと思う。

自分自身も、なるべくみないように、気にしないように、と思っているけど、どうしてもミュートだけでは完全防御は出来ないらしい。

そんな、偶然流れてきた投稿のなかで、ちょっと気になったのが「コンセプトの無い写真はダメだ」というような趣旨の投稿だった。

これに対しては、写真に限らず、長年クリエイティブを生業としてきた私自身には、ちょっと違った考えがある。

今回はそのあたりを少し掘り下げて説明してみようと思う。

コンセプトと無意識の表現


写真に限らず、世の中の創造作品、いわゆるクリエイティブと呼ばれるものに対して、「コンセプトが無い」ものは存在しない。
少なくとも私はそう思っている。

クリエイティブな活動、つまりデザインでも写真でも、音楽でも絵画でも文章でも動画でも、すべての表現には必ず「コンセプト」は存在する、というのが私の考えだ。

ここで言う「コンセプト」とは、その表現がなぜその形になったのか、そのように創造しようとした、あるいはそうすべきだった考え方や概念のことで、簡単に言うならものを作るための「理由」のこと。
だから、この世の中に生み出された以上、どんな表現にもコンセプトがないということはありえないと思っている。

ただ、多くの場合、特にアマチュアはそのコンセプトに無自覚だったり、明確に言語化出来ていなかったりする。
だから、「コンセプトは?」と問われても返答が出来ず、「自分の作品にはコンセプトがない」と思ってしまうのだ。

それでも、写真を始め、何かを生み出し、SNSに投稿する理由はあるだろう。
例えば「楽しいから」「きれいだから」「自分の感性を共有したいから」といったものだったり、誰かに見て欲しい、癒やされて欲しい、感動して欲しいといった欲求が根底にあるかもしれない。
これらも立派なコンセプトになる。

ようは、無自覚のコンセプトを言語化出来ているか、出来ていないか、の違いでしかないのだ。

例えば、私が最近発売したデジタル写真集は「NOSTALGIA」。
タイトル通り、どこかノスタルジックな風景と心象を集めた写真をメインに構成している。
コンセプトはそのまま「ノスタルジア」だ。
そして、その1冊を4つの章に分けて展開している。
その章立てもコンセプトであり、さらに個別に分けていくと、写真一つ一つにタイトルがつく。
それもまたコンセプトだ。

この世の中の創作物には、必ずその作品が生み出された理由がある。

なにも「命」だったり、「愛」だったり「人生」だったり、そんな崇高なコンセプトである必要なんてない。

その作品が、その作品であるべきシンプルな理由。
それがコンセプトなのだから。

コンセプトとコンテキストの違い

写真に対して「コンセプトがない」と否定的な意見を頭ごなしに押し付けるのは、少なくともプロの写真家がすることではないと思っている。

真に人を導くのであれば、無言の感情や、言葉にできない想いをそっと汲み取り、また作品についての質問をすることでそっと取り出し、言語化の手助けをするべきだ。
そして、それこそがプロを名乗る人がやるべきことだと私は思う。

また、そうすることで、その人の作品に込められた本当の価値が見えてくるはずだ。

もっと言うなら、コンセプトはそれ自体だけでは不完全であり、コンテキスト(背景や文脈のような意味合い)と結びついて初めて重要な意味や価値を持つ。

コンテキストとは、その人がこれまで歩んできた道、経験、人生そのものが表現に深みを与える要素の組み合わせのこと。

たとえば、ある人が旅行中に撮った美しい海の写真があったとする。
その写真そのものが美しいことに代わりはないし、その感動を共感したいというコンセプトは揺るがない。

ただ、日々を海辺で暮らし、海の厳しさを知った人が撮った美しい海の写真には、旅行者よりもさらに深い美しさや異なる意味が無条件に込められてしまう。
これがコンテキストであり、その写真の価値を高めるものだと思っている。

一方で、旅行者にはコンテキストのある海の写真は撮れないのか?というとそういうことではない。
海の「美しさ」ではなく、「旅先でその日しか見れなかった景色」となると、それはその旅行者にしかないコンセプトになり、またその旅行を前後するコンテキストが生まれることになるわけだ。
ようは自分がどの立ち位置、どの目線で何を切り取り、どう発信するか、ということが大事だということで、それぞれの優劣の話ではない。

別の例も提示したい。

以前、俳優の永山瑛太さんがLeicaで写真展を開催し、写真集を発売した。

この瑛太さんの写真集『永山瑛太、写真』には、彼が撮影した俳優仲間たちの特別な表情、瞬間が詰まっていた。
撮影のスキルがどうとかは関係なく、瑛太さんでなければ撮ることができなかった、珠玉の写真集だ。
そういう意味で、この写真集は芸能人だから、有名人だからステキに見える。は、実は最大の賛辞だと思う。

あるいは、安達祐実さんを取り続けた元夫の写真家・桑島智輝氏の写真集同様だ。

これらの写真集は、その人でなくては撮れなかった、まさにコンセプトを超えた、あるいはコンセプトが高密度に集合した、コンテキストの力を感じられる一冊だと思う。

楽しさがコンテキストを育てる

また、撮影後の編集作業にだってコンセプトは反映できる。

ある人は、編集作業を通じて作品にさらなる深みを加えること目指すだろう。作品に自分だけの色や雰囲気を反映させることが可能になるし、それがコンセプトだからだ。

逆に、JPEGにこだわって作品を生み出す、というコンセプトだってあり得るだろう。
その場、その瞬間、その機材であることを大切にするなら、それはその人にとっては大事な表現手段であり、その作品がそうあるべき理由、つまりはコンセプトになるからだ。

RAWだから良いとか、JPEG撮って出しでも十分、とかそういう話ではなく、自分のやり方を他人に押し付けたり、他の人がそうだから自分もそうする、みたいな思考停止はしないほうが良いということだ。

それは他人のコンセプトに口を出したり、強制的に捻じ曲げる行為になってしまうから。
作者のコンセプトは、本来は何人たりとも触れることができない絶対の聖域だ。

最後に

写真を撮影することは、瞬間を切り取るだけでなく、その瞬間に感じたことや思い、感情を永遠に残す行為だ。
だからこそ、自分の感性や表現力を信じて撮り続けることが大切だし、何より他人に構うのではなく、自分自身の写真表現を心から楽しむことが重要だと思っている。

手前味噌で恐縮だが、文中でも紹介した写真集『nostalgia~心の旅~』では、私がこれまでLeicaで撮り続けてきた瞬間を収めている。

スキルとして見たら全然素人だし、そこに得るものはないかもしれない。

ただ、私自身が日々の撮影を通じ、その瞬間に出会った景色から感じた寂寞や寂寥、思い出や回顧、邂逅といった感情がこもった写真を選りすぐった。

それは寂しさを探して歩く旅でもあり、一方ではその旅そのものが私自身にとってかけがえのない楽しい瞬間でもあったのだ。

「楽しい」以上に素敵なコンセプトを、私は知らない。

だから、楽しさが積み重ねていくコンテキストは、薄っぺらい批判や誹謗には負ける理由がない。

写真撮影を心から楽しもう。

SNSの批判や否定、自分とは異なる意見に流されることなく、自分の視点を貫き、写真を楽しむことが、素晴らしい作品を生み出す秘訣だと信じることが重要なのだ。

写真表現を楽しむことを忘れずに、その感覚、感情を撮影し続けることで、自然と自分だけのコンセプトやコンテキストが形成されていくのだと信じている。

みなさんも、ぜひ自分の作品が、他者の批判に負けることはないと信じて、写真を楽しんでほしい。
そして、写真を撮る楽しさ、それを共有する喜びを、これからも大切に。

それではまた。

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