X(旧Twitter)を1週間やめてみたら、精神衛生が圧倒的に向上した話。|ミニマリストのデジタル・デトックス
新しい時代のメディア
X(旧Twitter)を開くこと、投稿すること、タイムラインを眺めることは、もはや生活の一部だった。
初めてiPhone3Gsを手にした2010年くらいから、もう12年以上もそうだったのだから、当たり前と言えば当たり前か。
最初はなんてことない使い方だった。
「らーめんなう。」
「むくり。」
そんな、どうでも良い一言をほんと気まぐれにツイートする程度。
フォロワーも二桁。
そのほとんどは知り合いだった。
嫌味を言う奴も、クソリプをしてくる人もいない。
そもそも、自分のタイムラインに人が少ない。
程よく力が抜けて、自分の思考を垂れ流せて、平和で牧歌的。
くだらなくて、自由で、居心地の良いも悪いもなく、特にこれといった目的もなく使っていた。
ただ、新しい何かが始まる予感にワクワクしたのは覚えている。
海外の飛行機不時着のニュースが報道より早く、機内の一般人から発信されていたり、行きたくても行けなかった地方の講演会の内容がリアルタイムで投稿されたり。
間違いなく、Twitterはあの当時、新しい時代のメディアだった。
Twitterの使い方の流れが変わったのは、2015年くらいからだっただろうか?
Twitter界隈のインフルエンサーが登場し、少しずつバズが取り上げられ、注目され、一躍、時の人となる一般人も増えてきた。
匿名で、短文だからこその拡散力と魅力があった。
自分自身も少しずつビジネスによせた発信をし始めたのはこの頃。
フォロワーは1000人を少し超えたくらい。
少しだけ、新しい繋がりも増え始めていた。
一気に流れが変わったと感じたのは2017〜8年くらいだったと思う。
ビジネスのなかでも、デザインやクリエイティブ、特に自分の得意分野であるディレクションについての投稿を増やしたタイミングだった。
Twitterの中で多くのデザイナーさん、クリエイターさんとつながり、2019年から20年にはコミュニティを立ち上げたり、仕事に関するトークイベントを開催したりと、盛り上がりを見せた。
ちょうど、遊びでTwitterに投稿した「ドラゴンボールビジネス論」がバズって、一気にフォロワーさんが増えたのもこの頃。
「ドラゴンボールビジネス論」を知らない方は参考までにこちらからどうぞ。
この頃が一番精力的にTwitterを使いこなしていたと思う。
Twitterで繋がった企業さんや個人さんと仕事をしたり、新しい企画を生み出したり、とにかくいろんなものがTwitterを中心に動いていた。
ただ、その勢いも長くは持たなかった。
コロナがもたらすソーシャル・ディスタンス
いろんなものにストップをかけた、コロナ禍の到来。
イベントはできず、家からも出れず、ひたすらにネットの世界でYouTubeとTwitterを往復する日々が続いた。
この頃から、Twitterがとても息苦しいものになっていった気がしてる。
他人への誹謗中傷、罵詈雑言、妬み嫉み、暴言から過剰すぎる正義まで。
ありとあらゆる人間の負の感情が溢れ出し、スマホの小さな画面から溢れてきた。
いつしか呟くこともなくなり、タイムラインを眺めるだけの不毛な日々が続く。
社会的なソーシャル・ディスタンスとはまた別に、SNSに対して重苦しさを感じ、距離をおきたくなるように感じた。
だったら開かなきゃいいのに・・・そう思いつつも、ついつい手はスマホに伸び、アプリを開く。
ああ、やっぱりダメだ、とスマホを閉じてPCに向かい、ブラウザを立ち上げた瞬間にTwitterを開いている自分に気づいて愕然としたこともある。
Twitterは、それほどまでに自分の生活に溶け込んでいたのだ。
それなら、と、再びいろいろと投稿を試してみたりもした。
でも、全然手応えを感じない。
自分自身が楽しめてないのに、受け取り側が楽しめるわけがないのだ。
やがて、TwitterからXになり、幸せの青い鳥は姿を見せなくなった。
タイムラインにはおすすめと称した押し付けが並び、興味ある情報はほとんど流れてこなくなった。
フォロワーさんだけにして、欲しい情報にいいねをして回ると少しだけ改善されたが、結局日々それをやらないとタイムラインは元に戻る。
そうまでして取得しなければならない情報は、自分にとって本当に必要な情報なのだろうか?
疑問は、猜疑心へと変わる。
再び、流れてくるのはバズった投稿ばかりになった。
そこでは相変わらず過剰な正義が溢れ、善意に包まれた鉄槌と忠告という名の鋭利な刃が飛び交っている。
エックスではなく、バツ(罰)を断罪し合うデジタル処刑台。
さすがに限界を感じたボクは、2024年1月の展示会を最後にXのアプリをスマホから削除した。
最初は見たくないものに蓋をするくらいの気持ちだった。
でも、実はそれは見なくて良いものだったのだと気がついた。
一週間が経ったいま、ボクの精神衛生はとても向上している。
仕事に集中できるし、やる気に溢れている。
無駄に疲弊することもなく、新しいアイディアがどんどん湧いてくる。
この記事を書こうと思ったのも、そうした思考転換ができたからこそだ。
見たくないものを見ない。
それはとてもシンプルで、かつとても効果的だった。
ありがとうTwitter。さよなら、X。
X(旧Twitter)からは多くの贈り物をもらった。
人との繋がり、仕事仲間、クライアント、興味、関心、新しい知見、知らなかった世界。
そこにはとても感謝している。
一方で、それにしがみつくのも違うと思う。
発信は大事だけど、発信に捉われて疲弊しては仕方ない。
繋がりは大切だけど、ここでしか繋がれないというわけでもない。
あらためて、新しい発信の仕方や繋がり方は模索していけばいい。
時代に合わせて、自分に合わせて、最適なSNSの使い方をアップデートしていくことが大事なのだ。
もちろん、二度とXを開かないということではない。
気が向いたら何かつぶやくかもしれないし、何かしらの告知、発信には使うと思う。
楽しいと思えば戻ってくるかもしれないし、あらためて真剣に取り組む日も来るかもしれない。
ただ、それはいまじゃない。
そんなわけで、今年最初のデジタルデトックス。
ありがとうTwitter。
さよなら、X。
またあう日まで。
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