わたしにとっての、沖縄

どうしても観光地としてみれないから、夏場に帰りたくてもLCCですら片道3万するの解せない

出身地は福島県です。北のうまれです。大学進学のために4年間だけ、住んでいました。

なので、出処を説明するのがめんどくさい。時もある。

なんで沖縄に進学したとかは深い意味はないし、その辺りは私も人生についてなにかしたいことがはっきりしていなかったのもあって、うまい言葉で答えられません。

とにかく資格とって、働けるようになればいいやというくらいの軽い気持ちでした。

軽くはないか。常に悩んでました。でも突破口が見つからないまま卒業式を迎え、とりあえず社会人になりました。で、沖縄を出ました。

当初の予定通りではあったのですが、まさか4年で沖縄が第二の故郷になるとは誰が思えたでしょう。きっと、はじめて親元を離れて暮らしだしたことで、親以外に頼るところをみつけないとやっていけなかったから、外向的にならないと本当に自傷行為に走りそうなほど、寂しかったのだと思います。実家にいれば常に誰かしらいるし、自分のこと見てくれたのですから。

そこでアイドルオタクの文化に出会いました。やっと、自分が自分のままで気を張らず居ることができる場所を見つけた、と思いました。嬉しかった。車で片道1時間以上かけて、毎週末のように名護から那覇まで車をとばした。おかげで運転の自信がついた。

いままで、家族と学校で出会った人と世界しか知らなかった私が、バックグラウンド全然違う友人をたくさん作りました。この経験は、学校でうまく友人を作れず引きこもりがちになった経験とか、高校までの教育を受け、家族に愛情持って育ててもらえたことが根底にあって、そこからいろいろな面で自立・自律できたするための「レール」だったと思います。

その両親から作ってもらった「レール」は終着点についたと思っています。

ここからは、沢山の軽い依存先をみつけながら新しい「レール」を、自分で作っていかなければならない。

そのためにどこに生活拠点をおくか、どの社会集団に属するか、考えなければならない。今、まさに悩んでいる最中です。本来であれば大学生のモラトリアムの時期に確定させるべきでしょう。まあ過去を後悔してもしょうがない。

25歳、モラトリアム継続中。

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