心の見える化芸術

アウトサイド・ジャパン展という美術展を見た。
櫛野展正氏がまとめた、《表現しなければ生きられない人》たちによる作品展である。

https://www.tokyo-dome.co.jp/aamo/event/kushino2019.html

私はファンアートを描く。アイドルを見に行った時、そのアイドルの姿と輝いているステージの雰囲気をまとめて絵にまとめようと思ったので、描いている。というのは後付けで、実際には絵を描くとアイドルから『認知がもらえる(名前を覚えてもらえる)』ことを目的としていた。

そのため、私にとって絵を描くこととは、アイドルからの評価なしには語れないものなのである。自分が描きたいという欲がそこまで強いわけでもなく、アカデミックな美術教育は全く受けていない。そんな経緯で絵を描いているので、他人からの評価だけでモチベーションを維持することに疲れ、趣味であった“お絵かき”に向かえなくなってしまった。

そんな状態で観たこの展示。
まずはじめのコーナーは「憧れ」。
お笑いが好きで、何百という架空の芸人を作り出している人。
少女漫画に憧れ、クリアファイルとビデオカメラで自作のアニメーションを作っている人。
私がアート作品だと思っていた分類は、あまりにも狭かったと衝撃を受ける。

その他にも、幻覚としてみえているけど有らざるものを絵や作品とする芸術であったり、第二の人生を歩むためにこれまでの人生を作品として作り出している“老人芸術”の世界。

鑑賞者の目を楽しませ、批評され、価値をつけられる芸術作品のように、いままで私は、作者が見る人の存在を意識して作り出す芸術だけを芸術作品だと考えていた。

しかし、芸術の役割はそれだけに留まるものではないようだ。自らの精神的な歪みを安定させるために絵を描き続けているひとがいる。自分の人生を次代に引き継ぐために記録していくひとがいる。

人間の精神世界を現実世界に描き出す媒体としての芸術がある。

さて、わたしの精神世界はどんな形で現実世界に描き出されるのだろうか?

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