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【所感:道をひらく】自分の非

P HPが出版しているベストセラーとなっている書籍「道をひらく」を読んで、所感を投稿しています。
「道をひらく」は短いエッセイがまとめられたものになっているので、1つ1つのエッセイは手軽に読めます。短い文章の中に、人生の本質が詰まっていて、読むたびに発見や気づきがある素晴らしい書籍です。

2023年10月19日(木)
本日の文章 「自分の非」

※出所:道をひらく※
自分の非
人間は神さまではないのだから、一点非の打ちどころがない振舞などはとうてい望めないことで、ときにあやまち、ときに失敗する。それはそれでいいのだが、大切なことは、いついかなるときでも、その自分の非を素直に自覚し、これにいつでも殉ずるだけの、強い覚悟を持っているということである。
昔の武士がいさぎよかったというのも、自分の非をいたずらに抗弁することなく、非を非として認め、素直にわが身の出処進退をはかったからで、ここに、修業のできた一人前の人間としての立派さが、うかがえるのである。

むつかしいといえばむつかしいことかもしれないが、それにしても、近ごろの人間はあまりにも脆すぎる。修練が足りないというのか、躾ができていないというのか、素直に自分の非を認めないどころか、逆に何かと抗弁をしたがる。そして、出処進退を誤り、身のおきどころを失う。とどのつまりが自暴自棄になって、自分も傷つき他人も傷つけることになる。これでは繁栄も平和も幸福も望めるはずがない。
自分の非を素直に認め、いつでもそれに殉ずる。この心がまえを、つねひごろからおたがいに充分に養っておきたいものである。

<所感>

・「殉ずる」という表現は普段なかなか使わないし、文章としてみることも少ないので理解するのに時間がかかりました。
 殉ずるの意味
主君などの死を追って死ぬ。殉死する。「亡君に―・ずる」
ある人に義理立てして、同じ行動をとる。「辞任した大臣に―・ずる」
ある物事のために命を投げ捨てて尽くす。「信仰に―・ずる」

今回の文章に出てきた殉ずるは、3の意味に近いと思います。

自分の考え、行動に信念を持って、そのために命をかけられる人はほとんどいないと感じました。
殉ずる覚悟までとはいかなくても、自分の生き方に軸を持ち、周りの人によって意見を変えたり、すぐに意見が変わったりするような事はしたくないと思いました。


・目先の損得や自分への負荷ではなく、長期的な視点で考えると良いと思いました。

自分の非を認める。ということは、年齢を重ねるごとに難しくなっているように思います。非を認めるということは、自分の実力が足りていない、自分は人間としてダメなのだと思ってしまうこともあり、辛いです。
ただ、短期的には、非を認めることで落ち込むこともあるかもしれないですが、長期的に考えると、非を認め、そこを治す、克服していくことで成長ができます。相手との信頼関係も、抗弁するより、素直に非を認める方が良いと思います。


・上手く行った時は窓の外をみて、失敗した時は鏡を見る。

・儒教の教え
格物、致知、誠意、正心、修身、斉家、治国、平天下
 天下を平和にするには、まずは自分の行いを正しくし、次に家をととのえ、次に国家を治めること。
自分の行いを正しくするには、物の道理をきわめ(格物)、
自分の知識を蓄え(致知)、誠意を尽くし、心を正しく持つ。ということを意識していくことだと思います。

・この本を松下幸之助さんが書いた時よりも、今の時代はもっと人間は脆く、修練が足りていない時代になったと感じます。
周りよりも、自分のことばかりの人が増えていると感じます。
逆に、勉強をして、修練を積み、利他の心を持っている人の価値はこれからさらに高まると思います。

私もまだまだ未熟な面があるので、
自分の行いを見つめ、非があれば素直に認めていけるようになりたいと思いました。