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自分の"常識"を変えていくことは、未来の社会を創り出すこと(韓非子)

これまでのnoteでも取り上げてきた様に、今我々が感じている課題や、抱いている希望などに対して、古典は全く違った面から一つの答えの方向を示してくれるます。

それは、自身の問いに対しての明確な答えではないかもしれません。
しかし、明確な答えを教えてもらっても、それでは他の問いに対しての応用が効かなくなります。
それよりも、古典によって示された方向性から、今の自分自身の問題に当てはめていく方が、他の課題にも応用が効くのではないでしょうか。

私は、特に中国古典が好きで、これまでも何度かnoteに書かせていただいています。

老子・列子
菜根譚

今回は、そんな中国古典から、次の本について所感を書きたいと思います。

韓非子

韓非子は、秦の始皇帝に採用(実際は始皇帝と名乗る前から)され、(徳ではない)法による厳格な統治や、焚書坑儒などをもたらした”悪い書”というイメージが強いかもしれません。

しかし、韓非子は決してそれだけの書ではありません。

統治の仕方以外にも、現代に生きる我々にとっても役に立つ様々なことを教えてくれます。

昔の聖人がとった方法を現在の世の中でそのまま手本にする者が、新しい時代の新しい聖人に笑われる(中略)聖人とは、現在を問題とし、その解決をはかるもの

この記述こそ、今回テーマとしてあげた"自分の常識を変えていく"ということです。

以前のnoteでも少し触れたが、私は”格差問題”について、懸念を持っています。更に、あのnote以降で、新型コロナの影響で中小企業が倒産した・非正規雇用の社員が雇い止めにあったといったニュースを多く聞くようになっています。

私も最近までは、「貧困・格差で苦しむ人たち=これまで勉強・仕事を頑張ってこなかった人たち、だから自己責任で仕方がないことだ」と思っていました。正直に言うと、今でも多少なりともそう思う面があります。

しかし、私の中のその”常識”は、未来では完全に"非常識"だ。もしかしたら、既に”非常識”になっているかもしれない。

その様に、今は考えています。
そして、自分の気付いた時に、また韓非子は厳しく私にアドバイスをくれました。

自分が愚かでありながら聡明な人の知恵に学ぼうとしないのだから、失敗する・しないどころの話ではない

そうだ、この格差・貧困問題について研究されている方に学ぼう。
そんな思いで、様々な本や勉強会(オンライン動画等)で学んでいます。

そうすると、これまで本当に見えてこなかった、本当に危機的な今の状態を目の当たりにすることになりました。

自分がこれまで、”常識”と考えていたこと。

それは、多分昔の経験や学び、人から言われたことを元に形成されています。

しかし、未来はそうではありません。
自分の”常識”が、未来の”非常識”になる前に、しっかりと学び直しをしないといけない。

そう考えています。

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