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世界は1か0じゃない。当たり前だけど、納得するのは難しい(菜根譚)

この記事。恥ずかしながら、何度も書き直しています。
なぜなら、どうしても自分の頭(理性)と心(感情)が一致しないから。
そんな状態で公開するのもお恥ずかしいのですが、今の自分の所感なのでということで書かせていただきました。
今後、更に精進していくことで、自分が変わっていけると期待しています。

第二次世界大戦・そして冷戦を経た後の世界は、イデオロギー的にもテクノロジー的にも、国同士が協調・共闘していく方向に向かっていると思っていました。

国際連合や、それに伴うWTO・WHOなどの国際機関。
WTOで賄いきれなかった関税の撤廃という課題については、TPPなどのFTAによって段階的な関税撤廃を目指す。
国や国際機関で賄いきれない世界中の貧困問題については、NGO/NPOによって徐々に改善を目指していく。

しかし、近年世界で起こっているニュースはそれに反することばかり。

米国のトランプ政権誕生以降の「アメリカ・ファースト」と、それに起因する米中の関税戦争。
欧州では、シリア等からの難民問題と、それも一因となった英国のEU離脱。いわゆる「ブレクジット」。
そして、直近の新型コロナの世界的な広がり「パンデミック」と、そこから見えてしまった差別的な発言。

そんな、協調・共闘から逆行する世界。
急に、これまで1だったものが、0になってしまったように感じています。
なぜ、こんな数年で急に変わってしまったんだろう。誰が・何が悪者なんだろう。

そんな私の疑問に、1つの理性的な答えを示してくれた本があります。

菜根譚

菜根譚は、中国の古典で「処世の道」を示したものと紹介されることが多いです。ただ、「処世の道」といっても、清く正しく生きましょうという訳ではありません。

世渡りでは、あまりに潔白すぎてはならない。よごれやけがれまで、すべて腹に納めていくだけの度量をもちたい

というように、清濁併せ吞むことの重要性を示してます。他の本では、中々、無いのではないでしょうか。

もちろん、「積極的に悪いことをしろ」と言ってはいません。それでは処世できませんから。しかし、濁を知ってこその、清である。

華美権勢に近づかないのは清廉な人物である。だが、それに近づいても染まらない人物こそもっとも清廉だといえる。
権謀術数を知らないのは高尚な人物である。だが、それを知りながら使わない人物こそもっとも高尚だといえる。

そして、自分の清を人に押し付けてはいけない。

汚いものもあえて受け入れる度量(中略)一人よがりの潔癖は避けるべきだ

その様に清濁併せ吞むことの方法を示してくれています。

この菜根譚の考えたかは、頭(理性)では理解できます。理解に難しい内容ではありません。
ビジネスも、清だけではうまくいかず、濁を飲み込まざるを得ないこともしばしば。もしかしたら、私の意見・行動も、他の人にとっては濁になっているかもしれない。
そんな中で、ひとりよがりの清を押し付けあっても困る。

しかし、心(感情)がその理解を拒否する。

当初のテーマに戻っていうと、「世界が協調・共闘してきて、ここまで経済的(マーケットや輸出入額)にも・健康的(寿命や人口数)にも、様々な面で良くなってきている。その流れを世界中に広めていき、自国さえ良ければいいという発想は捨てるべきだ」という、私の心。

とはいえ、「先進国の中でも格差に苦しむ人たちがいて、そんな人たちからすれば、自分が苦しんでいるのに他国(民)を助けるなんてもってのほか」という考えも、私の頭では理解できてしまう。

さあ、そんなときに、清濁併せ吞んで自分はどの様に行動をすることができるか。
少なくとも、思考・行動を放棄するということだけはないように、精進していきたいと思います。

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