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なぜ、歴史に学ぶべきなのだろうか?(論語)

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」(オットー・フォン・ビスマルク)という有名な言葉がありますよね。

この言葉、昔はとても納得いっていませんでした。「経験して学べれば十分じゃないか。そもそも歴史って、そんな昔のことから学んで意味があるの?」と。

しかし、年を重ねていく中で、2つの意味でこの言葉の意味を実感しています。

①自分が経験できることは限られている。経験だけから学んでいては、成長が限定されてしまう。そのため、人の経験=歴史から学んでいくことが重要

②自分の経験で学んでしまうと、毎回パターンが同じになってしまう。一方で、歴史で学ぶとそれぞれに応じた対応が可能になる。

①は、経験で学ぶこと=愚者ではないので、本来の意味合いからは違うのかもしれませんが、学びの幅が広がるというのは、歴史に学ぶ大きなポイントではないでしょうか。

②は、正しく本来の意味ですね。今回の新型コロナについても、今の時代で生きている我々が経験だけから対応しようとすると、病気の観点ではインフルエンザ等の感染症、経済的な観点では東日本大震災やリーマンショック等の経験からの対応になるでしょう。(実際、多くのメディアでもそれらと比較していますが)
しかし、実際はそれだけでなく、歴史から学んだことで対応できていることもあります。例えば、日本での新型コロナの感染率・致死率を下げたのではないかと言われている”マスクの習慣”。これは、明治時代にその習慣を広めた”松本良順”に起因しているそうです。

これは、歴史での学びを”習慣化”していることで、全く新しい課題にも対応できたという良い例ではないでしょうか。

更に、”歴史に学ぶ”でも典型的なことは、古典を読むことではないでしょうか。歴史的な古典の中でも名作である論語。その論語には次のような一節があります。

自分の果たすべき社会的責務はなにか。それを決めてから生活の手段を選ぶ、これが道徳意識の向上になる。

これは、まるでこれからの世の中でポスト資本主義の中で生きていかなければならない我々にこそ、重要な学びではないでしょうか。

これまでの資本主義で生きてきて、終身雇用・年功序列が当たり前に生きてきた人々。その人々の経験だけからの学びでは、今の若者がLGBTQやBLMなどなどの新しい価値観や、社会起業家などの新たな生き方などは想像できなかったのではないでしょうか。

しかし、論語では上述の通り「自分が果たすべき社会的責務・それに合わせて職を決めていく」といったことが書かれている。

この様な歴史からの学びというものを、大事にしていきたいものです。

最後にですが。そもそも論語には、冒頭のビスマルクの言葉と全く同義の一節があります。

歴史を深く探求することを通して、現代への認識を深めていく態度。
これこそ指導者たる資格である

こういうものを発見していくことも、歴史から学んでいくことの面白さの1つかもしれませんね。


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