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知的能力に対する科学的記述の試み

モチベーション

 知的障害のある人たちと関わる仕事をしている。もう5年くらい経つが、ずっと、「知的障害がつまりどういう状態なのか」が、わからないでいた。脳の損傷や、大きさの違いなどの物理的構造に違いがあれば理解に繋げることはできそうだが、多くは脳自体は同じ(※)で、脳機能に差が生じている。

 だから、職員と利用者で、何が違うのかがよくわからなかった。基本的に、職員のほうが(相対的に)偉そうにしている。それに、利用者が従っている。そのような構図はあるのだが、それは社会化された構造であって、障害によって直接的に生じているものではない(例:ミルグラム実験)。同様に、知的能力の「差」によって生じるコミュニケーション不全に伴うストレスに起因した行動障害としての、おそらく一般的な知的障害者に対するイメージとして挙げられるもののような、様々な行動はあるが、それらも知的能力が低いからそうであると、直接的に結び付けられるものではない。行動障害自体は、知的能力に関わらず存在している。頭が良すぎて社会に適合できていない人は、世の中に無数に存在している。発達障害や精神障害との合併も、相対的に見て合併していることが多い、というものであって、直接「だからそうである」とは、言えない。

 知的障害とは、知的能力とは、何なのか。

※実際は、内分泌機能の影響から、脳機能が阻害されている場合なども含まれており、直感的なイメージより、物理的違いに起因しているものが多い。

知的障害の定義

 知的障害の国際的に通用する明確な定義は、現時点で存在していない。相対的に見て、福祉としての対応が必要となる可能性が高くなる目安が設定されているにすぎない。

一般的には、以下の3点が知的障害の共通した目安といわれている。
1)知的な能力に明らかな遅れがあること。学習するとき、社会で生活するとき必要な事柄を理解する、記憶する、判断するといった能力の遅れ。
2)社会や集団のルールに、行動を合わせることが困難なこと。これを適応能力といい、周りの様子や状況に自分の行動を適応できない場合も含まれる。
3)その障害が発達期に起こっていること。

http://www.atarimae.jp/oshiete/2008/09/post-31.html

 この目安に加えて、知能指数(IQ)の目安も示されている。ある数値以下なら相対的に見て福祉的支援が必要となる可能性が高い、ということだ。

IQ

 知能指数を算出する検査は、様々な方法や内容によって行われている。また、検査結果をもとに相対的な発達を見るものであるため、概ね100が中心の正規分布となるように作られている。そこにあるのは、経験則としての有用性であり、あくまでも相対的な位置づけなのだ。

記述

 では、知的能力そのものは、どのように記述できるのか。以降に記述するものは、科学的知見や様々な文献、意見、思想など多様な情報源から構成したひとつの観念である。

 まず、バックグラウンドを明瞭にするために、世界について書く。次に、世界と自分について、最後に自分の内側で起きることについてを書いていく。

世界そのものについて

 世界が、偶然の産物なのか、神がもたらしたのか、コンピュータのシミュレーションなのか、素粒子の相互作用なのか、ひもの振動なのか……様々な考え方があると思うが、この場でそれを規定する必要はない。知的能力の考察なので、必要な部分を人間にとっての世界その認識に絞ろう。ここでは、自分と自分ではないもの(=外界)を合わせた全てを「世界」と呼ぶことにする。

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 なお、世界そのものの認識については、主に哲学に、古代ギリシャ時代から積み重なってきた様々な視座からの知見がある。表象主義、存在論、観念論、唯物論……莫大な情報があり、ここにその全て記載することはできないため、気になった言葉を調べて、関連用語を辿っていくと良いだろう。ただし、注意点として、哲学は概ね偏りのある見解の場であり、哲学者それぞれが人生をかけた、壮大な思考実験の場とも捉えられる。そのスケールや傾倒具合から一見魅力的に見えるが、決して穏当ではない。長大な蛇足がくっ付いていたり、論のために世界を歪めたり、そういったものが多々ある。受け入れず、退けず、あくまで全体を俯瞰することにより、大まかな構造が見えてくるだろう(※)。

※ウィトゲンシュタインは、この構造のアウトラインを示した哲学者で、最も科学的な哲学者、と言えるかも知れない。(ここでいう科学的とは、客観性を追求する、という意味である。)

自分と外界

 人間は、自分以外の、物体との接触によって外界を認識する。ストーブやエアコンなどから得られる温かさや涼しさなどのエネルギーから外界を認識する場合もあるだろう。また、未知の情報を得ることで外界を認識する場合もある。

 物体とエネルギーが等価であることは、アインシュタインによる有名な式によって表されている。核爆弾が核分裂や核融合によって核物質の質量を減らすことにより莫大なエネルギーを生み出す、というイメージでも良いだろう。

 同様に、情報も等価である。マクスウェルの悪魔という思考実験の解決からその道筋が示されているが、やや難しい。便宜上、スマホでゲームしてたらスマホが温かくなるくらいのイメージでも良いかも知れない。

 ともかく、物体とエネルギーと情報は、お互いに交換可能なものであり、人間の認識において外界は、(物体とエネルギーと情報の、どの状態で存在するかは脇に置いておくとして)そういった対象(以降、便宜上それと表記する)の集まりとして構成されている。そして、知的能力を有する自分は、見え、聴こえ、におい、味、手触りなど、感覚器官を通じて、或いは、呼吸や飲食によって、それらを取り込む。

知覚

  感覚器官を通じて外界をとらえることを、知覚と呼ぶ。知的障害においては、例えば、ドア3枚を隔てて聞こえる声を不快に感じてパニックになったり、目の前でしゃがむだけで見失ったりするなど、感覚の鋭さや鈍さが極端な場合が比較的多く見られる。また、てんかん発作がある場合には、時折片目が違う方向を向いて焦点が合いにくくなる(恐らく脳の補正処理によって片目でものを見ている)など、感覚器官自体に不具合が生じている場合もある。感覚器官の状態によって脳のリソースが消費されて処理効率が下がる、というのは、要因の1つとして考えられそうだ。

意識

 知覚によってとらえられたそれは、意識によって処理が行われる。なぜ処理が必要となるか。これは、人間(あるいは生命)の有限性と関わると考える。外界に存在するすべての情報を保持し続けることは、身体があり寿命がある人間には、不可能ということに起因している、ように思う(※)。

※これは、世界のすべてを知りたいが、どうやらそれはできないようだ、という挫折を経験した個人的な体験にも基づいているため、「思う」という表現を使用した。

 膨大な外界からのそれらに、有限である人間が立ち向かう方法は、2つ考えられる。一つは、範囲を限定する、つまりそれらを分割すること。もう一つは、それらを統合して扱うこと、だ。

分割

 分割は、最もはじめの生命が獲得した……というより、分割したことで生命が誕生したと言える。膜によって、外界と自分を分割したことで、生命のシステムは機能し始めた。結果論ではあるが、膜を隔てることで外界の変化に対応する猶予時間が生まれ、その猶予時間で変化した外界への適応を行うことができるようになり、適応と世代交代を繰り返した結果、外界の違いから多様性が生まれていった。脳においては、範囲を定めてリソースを集中させることで、世界の複雑さに立ち向かう。

統合

 いっぽう統合は、より適応的な法則の抽出、と表現することもできる。変化した外界に適応して変化前の外界に適応できなくなるより、変化前でも変化後でも適応できるようにしたほうが生存しやすくなる。脳においては、より適応的な法則によって扱えるそれを増やし、世界の広大さに立ち向かう。

エンジン

 分割と統合は、対義語である。そして相補的でもある。自分と外界を分割することによって有限のリソースを集中させ、外界に関する法則を統合することによって有限のリソースを効率よく運用する。これは、両方が機能するときに、最も効率が良くなるエンジンとして考えられる。

回顧

 ここまでを振り返ると、知覚とエンジンの項に登場し、導入部分の行動障害にも関係する「リソース」、知的障害の定義と分割と統合の項に「適応」という言葉が登場した。複数の項目に、異なるアプローチから登場したこの2つの言葉は、知的能力の考察に対して、何かしらの関係性があると思われる。

リソース

リソース 【resource】
① 資源。財源。資産。
② コンピューターで、利用できるハードウエアやソフトウエア。資源。
~三省堂 大辞林 第三版

 知的能力におけるリソース……というよりリソース不足については、イメージしやすい。寝不足の時に思考や行動に影響が出たり、指を怪我して細かい作業が難しくなったり……いくらでも例示できるだろう。原因が何であれ、リソース不足の状態は、生活に支障が出る。

 知的障害においては、器質的、社会的にリソースを削られる場面が多くあり、またその結果として、行動障害が現に表出されている場面も数多く見受けられる。対人支援において、安心感や信頼関係の構築が重要と言われる根拠もここにあるのだろう。

適応

 外界に適応しているかどうかを判断する方法は、2通りある。ひとつは、分割の結果としてある自分から見た適応を表す確信、もう一つは、統合の象徴である世界に対する適応を表す確実だ。

 確信を持つことについて、自分にとっての制限はない。(他者から見た場合に、制限したくなることは多々あるだろうが、ここでは論じない。)分割の機能として、自分がそうであるからそうだ、ということに何の問題もない。しかし、分割と統合はエンジンとして動作することが最も高効率となる。世界に対して確実であるためには、制限がある。そこには客観性が必要なのだ。世界のごく一部でしか通用しない法則は、世界にとって確実とは言えない。確実であるためには、様々な外界への適応から、法則を検証していく必要がある。

 分割によって導かれた適応の記録は、法則の抽出のために統合にフィードバックされる。統合された結果は、客観性として分割にフィードバックされる。

分割と統合

まとめ

 知的能力の考察をまとめよう。まず、人間は身体や寿命がある、有限な存在である。有限なリソースを浪費する器質的社会的要因が存在する場合に、知的能力は低下する。有限なリソースを活用するために、分割と統合からなるエンジンが想定でき、これが円滑に回るとき、知的能力は向上する。

応用

 以上の考察によって導かれたまとめから、言えることがある。知的能力は、初期値がどうであれ、環境を整え、分割と統合からなるエンジンを円滑に回すことができれば、向上する。これは、自分に対して行うこともできるし、他人に対して行うこともできる。障害があるからとか、もう若くないからとか、関係ない。今より広い世界で生きるか否か、それだけだ。

参考文献等

『タコの心身問題――頭足類から考える意識の起源』
ピーター・ゴドフリー=スミス

『意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論』
ジュリオ・トノーニ,マルチェッロ・マッスィミーニ

『哲学用語図鑑』『続・哲学用語図鑑 ―中国・日本・英米(分析哲学)編』
田中正人,斎藤哲也

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