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【田舎論考】ローカルカスケードという考え方

サイバーカスケード

サイバーカスケードという言葉をご存知だろうか。

米国の法学者サンスティーン(2001)はネット上の情報収集において、インターネットの持つ、同じ思考や主義を持つ者同士をつなげやすいという特徴から、「集団極性化」を引き起こしやすくなる「サイバーカスケード」という現象があると指摘した。

総務省『令和元年 情報通信白書』より引用

ここから引き起こされる問題としてエコーチェーンバーフィルターバブルというものも存在するので気になったら調べてみて欲しい。

基本的なインターネットのサービスというのは、サービス受益者の利用履歴などから、新たなオススメが生まれるようになっている。

YouTubeの「あなたが登録している○○チャンネルの他の登録者は□□チャンネルをみています」みたいな機能がイメージしやすいだろう。

WBCが本当は盛り上がってるのに、自分のTwitterではアニメ関係しかフォローしてないから全然話題に上がってこない、みたいな。

これ自体はさして問題ではないし、むしろその自分の興味関心のある情報や、同じような志を持つ人々とコミュニティを築くことができるというのはむしろインターネットの最大の魅力と言っても過言ではないだろう。

問題なのは、そのコミュニティの外側にいる人の存在を忘れ、あたかも自分の所属しているコミュニティの常識や思考が一般社会でもスタンダードであると錯覚してしまう点ではないだろうか。

本来ならば多様性のある交流の中で磨き上げられるはずのものが、かなり偏り尖ったものになってしまう。

ローカルカスケードという考え方

私は、同様の問題が地方、とりわけ極端に人口減少や少子高齢化が進んだ田舎社会においても起こりつつあると考えており、それをローカルカスケードと呼んでいる。

一応、私自身も高齢化率が60%に及ぶ田舎で何かと話題の地域おこし協力隊として仕事をしていた時期もあり、極端な田舎というものについて齧った程度の知識はあるものだと思っている。

関東生まれ東京育ち、スタバ飲んでるやつだいたい友達の都会読者(都会=スタバという考えも偏見極まりないが)の方にお伝えしておくと、高齢化率60%というのはおそらく想像以上にヤバいものである。

まず行政の集計は戸籍単位で行われるため、数値上は高齢化率60%でも働き盛りの世代のほとんどは日中働き口のある町外にでているため、実際に暮らした上での印象としてはもっと高い高齢化率を感じるだろう。

また高齢化率60%=若者40%では決してない。若者というと20代くらいまでをイメージするだろうが実際、高齢化率60%というと残りの40%のうち0~20代は10%くらいだろう。

さて、ではこんな田舎でなぜ集団極性化が起こるのか、理由はいくつかある。

  • 人数が少ない、世代に偏りがあるので、多様性が生まれない、そもそも対等に議論ができない

  • 同様に多数決になった際に基本老人有利の結果になる

  • 考え方に合わない人は地域を出ていくので、現状に賛成している人しか地域に残らない

  • 極端な田舎の場合、そもそも移住のハードルが高く移住者がうっかり来るなんてことがなく、よそから来る移住者もその意識に同調している人がため、新しい風として機能しない

  • 他の地域との差別化を図るために、尖ったこと、偏ったことをやりたがる傾向にある

  • 人数が少ないため、何かを推し進めるのに全員参加になりがちで派閥の違いが生まれにくい

  • 生まれてから高校までメンバーが変わらないので、多様性が生まれにくい

  • 相互監視社会のため対立が生まれにくく、生まれても水面下の政治で処理されがち

ざっと思いつくところではこんな感じ。

もちろん裏を返せばメリットもあるのだが、やはり単純に人数が少ないせいで、多様性が生まれても基本的にはマイノリティが数個生まれるだけで大きな流れに影響を与えるほどのものではない。

その結果、うちのやり方はこうだから、それが嫌なら出て行けという論調になる。これ自体は構わないと思うし、私もそれが嫌で結局出て行った口である。

しかし生い先短い田舎では、こちらとしても簡単に見切りをつけやすく、その現状を打破しようとするもの現れない。

そのせいで老人たちも、みんな今のやり方に賛成していると錯覚してしまう。

こうして極端な田舎は、多くの人間と足並みの揃わないまま知らず知らずのうちに閉鎖的なコミュニティとして強固な外郭に守られてしまう。

まとめ的な

本来の地縁に基づく現実社会であれば、コミュニティを形成する人数の多さから自分自身と合わない人や違うルーツを持った人とも接する機会は多いだろう。

だからこそ地縁に頼らずコンテンツやハッシュタグでコミュニティを形成でき、ハイコンテクストな会話になってしまうインターネット上でサイバーカスケードという問題が起こりうるのだ。

しかし極端な田舎では、生まれてから高校まで同じメンツで過ごし、合わない人は出ていくものの入ってくる人数が極端に少ない。相互監視社会であるため対立が生まれず、年功序列や男尊女卑が今もなお強く根付くため、少数派とりわけ若者の意見は通りにくい。

こうして昔から地域に根付く高齢者と、そこに違和感を持たない、もしくは抱きつつも声を上げない次世代の人々、スピリチュアルに片足突っ込んだような移住者で構成される田舎のコミュニティが生まれ、サイバーカスケードならぬローカルカスケード現象が引き起こされるのだ。

もちろん、その中で自分だけはまともだという捻くれた選民思想に毒されるのも大概ヤバいんだけどね。

つづく


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