ベトナム戦争の記憶と開高健|ベトナムの旅#3
こんばんは、クラフトビア子です。
ホーチミン訪問の(ビア子的に)一番の目的だった戦争証跡博物館と、ベトナム戦争当時の開高健に触れる、ベトナム旅第三弾です。
ベトナム旅の旅程
成田空港
↓
ベトナム・ホーチミン着
↓ 2泊 ホーチミン市内を観光
ホーチミンから空路でニャチャン市街へ
↓ 2泊 ニャチャンビーチを楽しむ
ニャチャン市街からカムランへ(空港近くのビーチリゾートへ)
↓ 2泊 カムランのホテルのビーチやプールで遊ぶ
カムラン国際空港からホーチミン経由で成田へ帰国
アラフォー日本人が想うベトナム戦争
旅でわかったこと・感じたことに触れる前に、まずはアラフォーであるビア子のつたないベトナム戦争のイメージを棚卸ししようと思います。
1960年から1975年まで、当初はフランスの植民地支配からの独立のために始まった戦争が、アメリカ・ソ連の介入によって南北に別れ、同じベトナム人同士で戦いあう長期戦となった戦争。
というベトナム戦争の概要は、今回の旅に出る前に少し予習して得た知識で、私のベトナム戦争への想起は「枯葉剤散布による悲劇」「ベトちゃんドクちゃん」「反戦運動がおこり、日本では学生運動にもなった」といった断片的なものだけでした。
特に枯葉剤によって結合双生児として生まれた「ベトちゃんドクちゃん」は、私とほぼ同年代の生まれということもあって、子どもの頃から学校からの話や報道などで何度か知る機会があり、痛ましいことだと思っていました。
なぜ枯葉剤が散布されたのかは知っていたけれど、同年代であるはずの彼らのその後は知らず、日本に原爆を落としたアメリカがなぜ敗戦したのかも、当時の世界がなぜ反戦運動を(しかも日本やアメリカの若者まで)起こしたのかも全然知りませんでした。
ベトナムは中国の南に位置し、地政学的に日本とも近い国。せっかく行くなら歴史も知らなくてはと、少々の予習をしてから旅立ちました。
ホーチミンの戦争証跡博物館を訪れて知った、まだ終わらない枯葉剤の悲劇
戦争証跡博物館は日本やほかのアジア諸国、欧米からの観光客がたくさん訪れています。
内部の概要は、たくさんの方がブログや記事にされているので、私のnoteでは詳細は解説しません。
旅行に行く前に、NHKの『映像の世紀』という番組でちょうどベトナム戦争を扱った回が放映されました。
この回は非常に興味深く、なぜ日本に圧倒的敗戦をもたらしながらも復興をたすけたアメリカが、あれほどの敗戦をベトナムで喫したのかのひとつの解説として参考になりました。
こちらの番組はNHKプラスで観れるようですが、宮田律さんのnoteで概要を紹介されています。
実際に博物館を訪ねてまず感じたのは、当時の写真が多く、戦場(特に市民の被害)がよく伝わってきたということと、一部のカラー写真はとりわけリアルで悲惨だったということです。
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