見出し画像

シティポップブームに繋がるヒップホップ/R&Bの動き

シティポップの再評価に繋がるようなヒップホップ/R&Bの動きについて書きました。記事に登場する曲を中心にしたプレイリストも制作したので、あわせて是非。



空前のシティポップブーム

国内外の各種メディアで盛んにシティポップの特集が組まれ、空前のシティポップブームに沸く昨今。その流れはヒップホップにも波及し、Tyler, the Creatorも2019年のアルバム「IGOR」収録の「GONE, GONE / THANK YOU」で山下達郎の「Fragile」を引用している。今年に入ってからも日系アメリカ人アーティストのXL Middletonが全曲でシティポップをサンプリングしたアルバム「XL Middleton & Delmar Xavier VII」をリリース。Jay Worthyに至っては2017年にThe AlchemistとのタッグでリリースしたEP「Fantasy Island」でシティポップ含む和ネタをサンプリングしただけではなく、アートワークまで大瀧詠一の名作「A LONG VACATION」等で知られる永井博のイラストを使用していた(最初は無断だったそうだが解決済)。
シティポップブーム以降に、ヒップホップ勢がサンプリングする機会が増えていったのは確かだ。しかし、「シティポップブームはヒップホップが生んだ」と言うつもりは全くないが、流行は様々な要因が複雑に絡み合って生まれるものだ。ヒップホップ/R&Bの歴史を振り返ると、(間接的に)シティポップの再評価に繋がるようなことは随所で起きていた。


古くからサンプリングネタとして人気を集めたAOR

シティポップの定義は明確ではないが、そのメロウで都会的なムードからAORと結び付けられる機会は多い。ジャズやソウルの影響を受けて発展し、1970年代から1980年代にかけて流行したという意味でもシティポップとAORは親戚と言えるジャンルだろう。そこで、まずはヒップホップとAORの関係から見ていこう。
AORはヒップホップの分野では古くからサンプリングのネタとして愛された。De La Soulが1989年にリリースしたアルバム「3 Feet High and Rising」では、「Eye Know」でSteely Dan「Peg」、「Say No Go」でDaryl Hale & John Oates「I Can’t Go For That (No Can Do)」を使用。Warren Gは1994年の代表曲「Regulate」でMichael McDonald「I Keep Forgettin' (Every Time You're Near)」を用いてクール&メロウなサウンドを生み出し、Lunizも1995年リリースのアルバム「Operation Stackola」収録の「Playa Hatas」でBobby Caldwell「What You Won't Do for Love」をグルーヴィなGファンクに調理していた。そのほかにも2Pac「Do for Love」やThe Notorious B.I.G.「Sky’s the Limit」などAORネタの曲は多数登場。AORはジャズやソウルと並ぶ定番のサンプリングネタとして、早くからヒップホップに定着していった。
1990年代後半にはメインストリームでサンプリングを使わないビートメイクが流行するが、1996年には西海岸の名門インディレーベルのStones Throwが誕生。Stones ThrowからはMadlibなどが登場し、変わりゆく時代の中で変わらない部分を提示し続けていった。また、A Tribe Called Quest周辺からJ Dilla(当時はJay Dee)が登場し、AORネタも使いつつサンプリングの魅力を紡いでいった。J Dillaはその後Madlibと接近し二人でのユニット、Jaylibを結成。Stones Throw入りし、多くの名作を生み出していった。サンプリングによるビートメイクの名手であるMadlibとJ Dillaは後進に大きな影響を与え、Stones Throwも重要なレーベルに成長していく。AORのサンプリング目線での評価やこれらの人物の影響が、後のシティポップブームに間接的な影響を与えていくこととなる。


ネオソウルとThe Neptunesのファンキーなプロダクション

1990年代後半から2000年代の前半にかけて、「ネオソウル」と呼ばれるヒップホップ以降の感覚やジャズの要素を持ったソウルが大きな注目を集めた。ネオソウルのシーンからはErykah BaduやD’angelo、Maxwellなどが登場。D’angeloとErykah BaduはJ Dillaも擁したコレクティヴのSoulquariansにも所属し、シーンに強烈な存在感を示していった。D’angeloが2000年に放った名盤「Voodoo」は、ceroの高城晶平SuchmosのOKもHMVの名物企画「無人島 ~俺の10枚~」で選出している。ネオソウルとネオシティポップは「ネオ」以外にも共通点が見られ、この時期のネオソウルの影響が花開いた形として捉えることもできるだろう。
ネオソウルと同時期の1990年代後半には、メインストリームのヒップホップではSwizz BeatzやMannie Freshなどサンプリングを使わずにビートを作る(こともできる)プロデューサーが活躍。TimbalandやThe Neptunesもこの時期に登場し、AaliyahやOl’ Dirty Bastardなどを手掛けてトッププロデューサーへと昇り詰めていった。中でも破竹の勢いで進んでいったのがThe Neptunesで、ボーイズグループのNSYNCから出発したシンガーのJustin Timberlakeが2002年にリリースしたアルバム「Justified」ではメインプロデューサーを担当。らしい捻りを加えつつも、「Rock Your Body」などでMichael Jacksonを思わせるファンキーな曲を制作し、Justin Timberlakeの人気をさらに押し上げた。2003年にThe Neptunesでリリースしたコンピレーション「The Neptunes Present…Clones」でも、先行シングルとなった「Frontin’」でカッティングギターが印象的な軽めのファンクを披露していた。これらの曲から伺えるPharrellのファンク趣味は後により強まり、大きなムーブメントに接続されていく。
ネオソウルの隆盛やPharrellのファンク趣味。後のシティポップブームに繋がる要素は、この時点で既に散見されていた。また2000年代前半には、Lil Jonなどエレクトロニックなシンセを鳴らすハイファイなサウンドも人気を集めていた。この流れが2000年代半ば頃から向かった方向性が、また一つシティポップ再評価に繋がるような状況を生み出していく。


1980年代リバイバルからのブギーの流行

TimbalandがプロデュースしたNelly Furtadoの2006年のシングル「Promiscuous」は、Timbalandらしい不思議なウワモノやパーカッションを使いつつも1980年代っぽいシンセを巧みに用いた曲だった。同曲のヒットから勢いをつけたTimbalandは、その後Jusitn Timberlakeの2ndアルバム「FutureSex/LoveSounds」でもメインプロデューサーを担当。やはり1980年代風のシンセが効いた「SexyBack」や「My Love」などヒットを連発していった。その少し前からUsherやNe-YoといったアーティストがMichael Jacksonへの憧憬を表現していたが、この頃からヒップホップ/R&Bシーンでの1980年代リバイバルが本格化していった。同じ2006年にはRihannaの「SOS」やCiaraの「Promise」、2007年にはKanye Westの「Good Life」など1980年代風のシンセを使った曲は次々と誕生。そして2007年にはThe-Dreamが1stアルバム「Love/Hate」でMichael JacksonやPrinceからの影響を色濃く見せた1980年代風のダークなサウンドを作り上げ、商業・批評の両面で大きな成功を収めた。
この1980年代リバイバルの波はメインストリームだけではなくアンダーグラウンドにも波及した。Stones Throwは2007年頃からブギーのDam-FunkやエレクトロのArabian Princeなど、西海岸で古くから活動するベテランと次々と契約。メインストリームとはまた異なる1980年代へのアプローチを行っていった。中でも人気を集めたのがDam-Funkで、数枚のシングルを経て2009年にリリースしたアルバム「Toeachizown」は高い評価を獲得。同作が話題を集めたことからブギーの人気も高まっていった。2009年の1stアルバム「A Strange Arrangement」の時点では1960~70年代風のソウルを作っていたレーベルメイトのMayer Hawthorneも、2011年の2ndアルバム「How Do You Do」でブギーを導入。また、ブギー流行は同時期の日本でも見られ、2009年には七尾旅人とやけのはらが組んだシングル「Rollin’ Rollin’」が大きな話題を呼んだ。LUVRAW & BTBも2008年の名曲「ON THE WAY DAWN」を含むアルバム「ヨコハマ・シティ・ブリーズ」を2010年にリリース。1980年代リバイバルからのブギーの流行は、この後さらに大きな波になりメインストリームも揺るがしていく。


チルウェイヴとヴェイパーウェイヴ、そして邦楽ネタ使い

J Dillaはヒップホップだけではなく、ジャンルを飛び越えて多くのアーティストに影響を与えていった。その中の一人、Toro Y Moiは2010年にアルバム「Causer of This」をリリースし、同時期に登場したWashed Outなどと共に「チルウェイヴ」と呼ばれるインディロックの新たなムーブメントの主役の一人となった。チルウェイヴは名前通りのチルいシンセの響きやリヴァーブのかかったヴォーカルなどが特徴のスタイル。Toro Y MoiはJ Dilla影響下にある揺らぐ心地良さを「Causers of This」で聴かせ、高い評価を獲得した。
そしてチルウェイヴの後、程なくして新ジャンル「ヴェイパーウェイヴ」が誕生。2011年にMacintosh PlusことVektroidが放った名作「Floral Shoppe」に端を発するこのムーブメントは、大まかに言うとファンクやポップスなどを低速化してループし、ノスタルジックに仕上げたものだ。「Floral Shoppe」ではDiana RossやSade、Zappなどの1980年代ネタを多用しており、ヒップホップ/R&Bにおける1980年代リバイバルからの流れが感じられる。Vektroidは変名も駆使して精力的に作品をリリースし、INTERNET CLUBなどのアーティストも登場。翻訳サイト風の日本語タイトルや毒気のあるアートワークのビジュアル・イメージも手伝って大きなインパクトを残し、ヴェイパーウェイヴは急激にインターネット上に溢れ返っていった。
ヴェイパーウェイヴの日本語だけではなく、邦楽ネタ使いも2010年前後から少しずつ見られるようになっていった。特に人気を集めたのがアニメやゲームの曲のネタ使いで、Curren$yとThe Alchemistのタッグで2011年に発表したアルバム「Covert Coup」では、「Full Metal」でアニメ「鋼の錬金術師」サウンドトラックからサンプリング(アルケミスト繋がり?)。そのほかにもDas RacistやLil Bなどがゲームやアニメの曲を使用していた。また、Lil Bが始めたこの時期の新興サブジャンル「クラウド・ラップ」ではPerfumeや岡田有希子といったアイドルの曲も多く使用。クラウド・ラップのシーンから登場したプロデューサーデュオ、Friendzone周辺のコンピレーション「Kuchibiru Network」シリーズでは岡田有希子の代表曲「くちびるNetwork」からタイトルを拝借していた。
ヴェイパーウェイヴやチルウェイヴのノスタルジックな響き、そしてアニメ・ゲーム経由を含む邦楽のネタ使い。シティポップの本格的なリバイバルの芽は、いよいよ開花しようとしていた。


ファンク~ブギーのメインストリームでの成功とフューチャー・ファンク

2016年の名曲「24K Magic」などブギー~ファンク路線の名曲を多く持つBruno Mars。2012年にリリースした2ndアルバム「Unorthodox Jukebox」の時点で、シングルカットされヒットした「Treasure」で軽快なファンク路線に挑んでいた。Dam-Funk前後からアンダーグラウンドで盛り上がっていたブギーやファンクは、この頃からメインストリームに少しずつ増加。そしてその主役の一人に躍り出たのが、Justin Timberlake仕事などでファンク趣味を見せていたPharrellだった。Pharrellは2013年にはRobin Thickeの「Blurred Line」、Daft Punkに客演した「Get Lucky」などファンク~ブギー路線のヒットを連発。「Get Lucky」が収録されたDaft Punkアルバム「Random Access Memories」もファンク~ブギー路線の作品で、同作のリリース頃からメインストリームでのファンク~ブギー流行が本格化していった。また、アンダーグラウンドでもDam-FunkがSnoop Doggとのユニットの7 Days of Funkを結成するなど、規模の大小を問わず良質なファンクやブギーは充実していった。
そして2013年、Saint Pepsiが名作「HIT VIBES」を発表。同作から、ヴェイパーウェイヴから枝分かれした新ジャンル「フューチャー・ファンク」が大きな話題を集めていった。ヴェイパーウェイヴの質感を引き継ぎつつもダンサブルなグルーヴを備えたフューチャー・ファンクでは、山下達郎などシティポップが好んでサンプリングされた。また、Saint Pepsiと並んでフューチャー・ファンクを代表するアーティスト、マクロスMACROSS 82-99のようにアニメのビジュアル・イメージを使うアーティストも多かった(マクロスMACROSS 82-99の場合はそもそも名前もマクロスだ)。2020年に発行されたディスクガイド「オブスキュア・シティポップ・ディスクガイド」でアニメのサウンドトラックが多く掲載されていたことからも伺えるように、アニメのサウンドトラックの中にもシティポップはある。フューチャー・ファンクのシティポップネタは、ヒップホップでも見られたアニメ・ゲームの曲を含む邦楽ネタ使いの増加の流れと、ファンクやブギーの流れの交点として捉えることができるのではないだろうか。
こうしてフューチャー・ファンクを経由してシティポップの人気が拡大。以降は竹内まりや「プラスティック・ラヴ」のヒットなどが続き、シティポップが多くのリスナーに届いていった。


いつかヒップホップ発のヒットも誕生?

AORのヒップホップ視点での再評価、ネオソウル、1980年代リバイバル、アニメ・ゲームの曲を含む邦楽ネタ使い。ヒップホップ/R&Bの分野で起きたこれらの動きは、シティポップへの注目に直接影響を与えたわけではないかもしれないが、間接的な影響は多少あるだろう。あるいは順番が逆で、シティポップブームに至るまでの流れがヒップホップ/R&Bの分野にも影響を与えた形なのかもしれない。いずれにせよ、シティポップ再評価と同じ方向を向いた動きはヒップホップ/R&Bの分野でもいくつも確認でき、シティポップが定着してからは最初に挙げたようにサンプリングや引用の例も増加し続けている。
Billboard Japanの記事「松原みき『真夜中のドア~stay with me』なぜ今話題に? 世界のシティ・ポップ・ファンに愛されたアンセム」によると、昨今のシティポップ人気を象徴する松原みきのヒット曲「真夜中のドア~stay with me」は、インドネシアのYouTuberのRainychによるカヴァーがヒットを加速させたという。シティポップを参照したヒップホップが増加している中、このように間接的ではなく直接ヒップホップ/R&Bが関係したシティポップのヒット曲も、いつか誕生するのかもしれない。


関連記事


ここから先は

0字

¥ 100

購入、サポート、シェア、フォロー、G好きなのでI Want It Allです