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ヒップホップ/R&Bにおけるハイピッチ・ヴォイス

ヒップホップ/R&Bにおける、ピッチを上げて高くした声の使用について書きました。記事に登場する曲を中心にしたプレイリストも制作したので、あわせて是非。



現代のスタンダードの一つ、ハイピッチ・ヴォイス

フロリダのラッパー、Rod Waveのアルバム「Soulfly」が先日リリースされた。ソウルフルに歌い上げるラップが沁みる同作には、早回しされた甲高い歌声を使った、いわゆる「チップマンク・ソウル」を取り入れた曲がいくつか収められている。同様のビートは過去の作品でも発見することができるが、米メディアのXXL Magazineが2019年に行った取材によると、Rod WaveはKanye Westの2003年作「The Collage Dropout」を愛聴していたという。同作は名曲「Through The Wire」などを収録したチップマンク・ソウルを象徴する作品で、Rod Waveのチップマンク・ソウル趣味のルーツの一つは同作にあると推測できる。
Rod Waveだけではなく、Lil TjayやDrakeなどの曲でもチップマンク・ソウルを取り入れた曲は確認できる。また、サンプルのピッチを上げてビートに取り入れるのではなく、Frank Oceanのように自らの声を早くするケースもある。ヒップホップ/R&B以外に目を向ければ、近年急速に注目を集めるハイパーポップでもピッチを上げたヴォーカルを多く聴くことができる。ヴォーカルの高速化はトレンドというよりも、チョップド&スクリュードやトラップなどと同じ現代のスタンダードの一つと言えるだろう。本稿ではヒップホップ/R&B史におけるハイピッチ・ヴォイスの例を振り返り、その浸透の流れを整理していく。


Princeとフロリダのファスト

ハイピッチ・ヴォイスの先駆者といえば、なんといってもPrinceだ。Princeは1987年にリリースしたアルバム「Sign o’ the Times」収録の「If I Was Your Girlfriend」ほか数曲で、ハイピッチ・ヴォーカルを大胆に披露した。米音楽ライターのJake BrownによるPrinceのレコーディングのエピソードを追った書籍「Prince 'in the Studio' 1975 - 1995(邦題:プリンス録音術 エンジニア、バンド・メンバーが語るレコーディング・スタジオのプリンス)」によると、このハイピッチ・ヴォイスはエンジニアのミスにより偶然生まれたものだという。「If I Was Your Girlfriend」は後にシングルカットもされ、そのB面にもハイピッチ・ヴォイスを用いた「Shockadelica」が収録された。Princeはハイピッチ・ヴォイスを使う際にCamilleというオルター・エゴを生み出し、Camille名義でのアルバムリリースも1986年に予定していた。最終的にはリリースされることはなかったが、「Sign o’ the Times」などの作品にCamilleでの曲はいくつか収録されていった。2020年にリリースされた「Sign o’ the Times」に60曲以上の未発表音源を追加したスーパー・デラックス・エディションのように、Princeの未発表音源の発掘は近年盛んに行われている。Camille名義のアルバムはマスタリングまで終わっていたと言われているので、この流れを受けていつかリリースされる日が来るかもしれない。
Princeのハイピッチ・ヴォイスと前後して、ヒップホップシーンでも後に繋がる重要な動きがあった。マイアミベースの誕生だ。ラップグループの2 Live Crewが広めたこのスタイルは、従来のヒップホップと比べてBPMが早かった。2 Live Crewの活動拠点のマイアミからは同様のスタイルのアーティストが多く登場。マイアミ、フロリダを代表するサウンドとして発展していった。フロリダのDJのDJ Nastyが米メディアのThe FADERで語ったことによると、フロリダのDJたちはマイアミベースとほかのヒップホップをミックスする際にBPMを上げてプレイするようになっていったという。この手法は「ファスト」と呼ばれ、メインストリームに大々的に浮上することはなかったもののフロリダでは密かに根付いていった。
Princeは多くの後進に影響を与え、マイアミベースもフロリダを飛び越えて他エリアにもどんどん浸透していった。現代に繋がるハイピッチ・ヴォイスの芽は、この頃からじわじわと全米に撒かれていった。


チップマンク・ソウルの誕生と流行

1990年代に入り、NYではソウルやジャズなどをサンプリングしたブーンバップが発展していった。歌が入っていない箇所をサンプリングする曲が多かった中、Wu-Tang ClanのRZAは歌が入る箇所も好んで用いていた。そして、当時のブーンバップのBPMに合わせてサンプルのピッチを上げることもあった。ODBの1995年のアルバム「Return to the 36 Chambers」収録の「Snakes」や、Raekwonの1995年のアルバム「Only Built 4 Cuban Linx...」収録の「Ice Cream」などでそのスタイルを聴くことができる。RZAがプロデュースしたこれらの曲が、ヒップホップにおける最初のチップマンク・ソウルだと言われている。
このRZAの試みは、後進のプロデューサーに大きな影響を与えた。最初にRZAの後を追ってチップマンク・ソウルに挑み成功を掴んだのは、Rawkus Records作品を手掛けていたプロデューサーのAyatollahだ。Mos Defの1999年のアルバム「Black on Both Sides」収録の「Ms. Fat Booty」等で、Ayatollahのチップマンク・ソウルを聴くことができる。
2000年代に入ると、チップマンク・ソウルは一気に広がった。Jay-Z率いるRoc-A-Fella勢の活躍だ。Jay-Zの2001年作「The Blueprint」でJust BlazeとKanye Westがチップマンク・ソウルを取り入れ、特にJust Blazeが手掛けた「Song Cry」が大きな話題を集めたことから、チップマンク・ソウルは大きな人気を獲得していった。Roc-A-Fella勢はチップマンク・ソウルを取り入れた曲を多く発表。その流れは当時Roc-A-Fellaと契約していたCam’ronが所属するThe Diplomatsなどにも波及し、The Diplomats作品を多く手掛けた二人組プロデューサーユニットのThe Heatmakerzなどもチップマンク・ソウルの名プロデューサーとして知名度を獲得していった。The HeatmakerzのRsonistはハウスDJのTodd Terryと近しく、チップマンク・ソウルを振り返るRed Bullの企画でRZAのほかにもハウスからの影響を語っている。同企画ではJust Blazeもハウスについて語っており、Kanye Westもハウスの聖地・シカゴ出身だ。Kanye Westたちのアウトプットの形はハウスよりもRZAやAyatollahに近いが、ハウスから得たものも大きかったのではないだろうか。
Kanye Westの成功などによりチップマンク・ソウルは全米に広がり、Juvenileの2003年のシングル「Bounce Back」のようにバウンスビートとも結び付いた。メインストリームだけではなく、アンダーグラウンドでもチップマンク・ソウルを取り入れた曲は多く登場。2000年代の前半から、クランクなどのクラブバンガーと並んで大きな流行となっていった。


ハイピッチ・ヴォイスによる声ネタフック

2000年代半ば頃には、クラブバンガー方面でもハイピッチ・ヴォイスの波が訪れていた。特に大きな話題を呼んだのは、Busta Rhymesが2005年に放ったヒット曲「Touch It」でのDaft Punk「Technologic」の声ネタ使いだ。同曲を手掛けたSwizz Beatzは、2004年のT.I.のヒット曲「Bring Em Out」頃から声ネタフックの曲を多く制作。2000年代半ば頃にはMike Jones「Still Tippin’」などもヒットし、声ネタを用いたフックがトレンド化していた時期でもあった。また、Mike Jonesのブレイク後勢いに乗っていたテキサス勢の大御所、Bun Bも2005年のアルバム「Trill」収録の「Git It」でハイピッチ・ヴォイスの声ネタフックに挑戦している。同曲を手掛けたMr .Colliparkは初期にはマイアミベース寄りの活動をしていたプロデューサーで、同曲で用いている声ネタも2 Live Crewからサンプリングしたものだ。同曲はマイアミベースから派生したファストの要素が、(加工した)声ネタフックの流れと出会って結実した形と見ることもできる。
2000年代半ば頃から活性化していたベイエリアのハイフィのシーンでもハイピッチ・ヴォイスは好んで使われていた。ハイフィを代表するグループのFederationが2007年に放ったシングル「Get Naked You Beezy」では、フックで素っ頓狂なハイピッチ・ヴォイスの声ネタフックをループするだけではなく、ビートにも全編ハイピッチ・ヴォイスが組み込まれている。Lil Bを擁したグループのThe Packの2007年の出世曲「Vans」もハイピッチ・ヴォイスによるフックだ。FederationをバックアップしていたRick RockはJay-Z作品にも参加しており、The Packのリーダー格だったYoung Lは、日本の音楽誌のbmrによるインタビュー(2007年3月号)でヒップホップ以外の多彩な音楽からの影響を語っていた。また、ベイエリアのラッパーのNutyがヴァースを丸ごとハイピッチ・ヴォイスでラップした「Dank & Hen」(2000年のアルバム「Professional Mobbin’」収録)のような例もある。ベイエリアには一人で声色を変えて複数のオルター・エゴでラップしたDigital Undergroundもいた。ハイフィ期に登場したハイピッチ・ヴォイスのルーツを絞り込むことは困難だが、そのユニークな響きは、コミカルな魅力を持つハイフィとも抜群の相性を見せていた。
このように声ネタのピッチ調整によるハイピッチ・ヴォイスは、2000年代半ばから後半にかけて多く使われていった。そして2000年代後半になると、声ネタではなく自らの声を加工する動きも登場。チップマンク・ソウルの人気も衰えず、スタンダードの一つとなっていった。


ハイピッチ・ヴォイスによるラップとチップマンク・ソウルのその後

「Touch It」を手掛けたSwizz Beatzは、2007年のソロシングル「Money in the Bank」のフックで大胆にハイピッチ・ヴォイスを導入した。また、デトロイトのBlack Milkが2008年にリリースしたアルバム「Tronic」からの先行シングルとなった「Give the Drummer Sum」のフックでもハイピッチ・ヴォイスは用いられていた。「Give the Drummer Sum」は鳴りこそファンキーだが、ドラムをメインに聴かせる作りはハイフィに通じるものがあった。フックではハイフィでよく使われる「go dumb」というフレーズも登場する。デトロイトとベイエリアのヒップホップシーンの近さを思えば、作風は異なれど影響があったとしてもおかしくないだろう。
これらの動きとは関係なく、1990年代からPrinceの試みに近いハイピッチ・ヴォイスに挑んだアーティストもいた。西海岸のプロデューサー、Madlibだ。ラップする時の自分の声が好みではなかったというMadlibは、ピッチの調整で甲高い声を作り出した。PrinceがCamilleというオルター・エゴを生み出したように、Madlibもハイピッチ・ヴォイスでの名義をLord Quasと命名。2000年にはMadlibとLord Quasによる架空デュオ、Quasimoto名義でのアルバム「The Unseen」をリリースした。Lord Quasはその後も時々登場し、MF DOOMとMadlibで組んだMadvillainの2004年の名盤「Madvillainy」にも客演。その印象的な声を多くのリスナーに届けた。Swizz Beatz、Black Milk、そしてMadlib。彼らはラッパーというよりもプロデューサーとしての側面が強いアーティストだ。彼らの取り組みには、ハイピッチ・ヴォイスが生み出す奇妙な味によってラップの魅力を補う目的もあったのではないだろうか。
スタンダードと化したチップマンク・ソウルの曲も引き続き多くリリースされていった。2000年代後半にはサンプリングの幅が広がり、この時期にはソウルに限らず多彩なサンプルを早回しした曲が生まれていた(元々ロックやレゲエなども使われていたが)。その最高の成果の一つが、Lil Wayneの名曲「I Feel Like Dying」だ。南アフリカのロックアーティストのKarma-Ann Swanepoelの「Once」を早回しした幻想的なビートに、Lil Wayneのフラフラとしたラップが乗る同曲は高い評価を獲得。クリアランスを巡るトラブルもあり公式リリースには至らなかったが、Lil Wayneの代表曲の一つと言われるまでに大きな人気を集めた。
2000年代後半から2010年代前半にかけてThe PackのLil Bが急成長し、注目を集めていくが、その音楽性は明らかにこの「I Feel Like Dying」からの影響を感じさせるものだった。そしてLil Bの代表曲の一つである「I’m God」を手掛けたClams Casinoも、初期はKanye Westの影響を感じさせるチップマンク・ソウル系の作風を聴かせていた。クラウド・ラップはチョップド&スクリュードなども飲み込んで発展していったが、チップマンク・ソウルが築き上げた土台の上に誕生したジャンルと言えるだろう。クラウド・ラップはその後多くのスターを輩出し、シーンの勢力図を塗り替えていった。


ナイトコアと2010年代後半のヒップホップ・R&Bの動き

ヒップホップ以外の動きに目を向けると、2010年代には曲のピッチを上げる「ナイトコア」の浸透もあった。ナイトコアは2000年代前半にノルウェーで誕生した手法で、その効果や制作方法はフロリダのファストとよく似ている。初期はトランスなどのエレクトロニック・ミュージックのナイトコア化が多かったが、Evanescence「fake」のナイトコア版が2011年にアップされた頃からジャンルの幅が広がり浸透していった。ヒップホップのナイトコア版も多く発表され、これまでの流れとは異なる形でハイピッチ・ヴォイスがSoundCloud等でインターネット上に溢れ返った。また、ナイトコア拡散と同時期の2012年には、フロリダのファスト専門のSoundCloud/YouTubeアカウントのFastMusic954が設立された。FastMusic954ではヒップホップ・R&Bのヒット曲やフロリダのローカルな曲のファスト版を次々とアップし、歴史の長いフロリダのファストが今も息づいていることを示していった。
2010年代のヒップホップ・R&Bでのハイピッチ・ヴォイスの動きは、こういったブートレグ方面以外では半ば頃までしばらく大きなトピックは見られなかった。しかし、2016年にはFrank Oceanがアルバム「Blonde」収録の「Nikes」などでハイピッチ・ヴォーカルでの歌を披露した。Frank Oceanのハイピッチ・ヴォイスはPrinceのそれと近いものを感じるが、同作とあわせてFrank Oceanが制作したZINEの「Boys Don’t Cry Magazine」ではLil BとFrank Oceanの対談が収められていたので、The Pack「Vans」から影響も考えられる(曲名にも通じるものがある)。Frank Oceanはその後もCalvin Harris「Slide」やTravis Scott「CAROUSEL」などの客演でもハイピッチ・ヴォイスを使用。新たなトレードマークの一つにするように活用していった。
また、Denzel Curryが2019年にリリースしたアルバム「ZUU」では、「CAROLMART」と「SHAKE 88」の2曲でハイピッチ・ヴォイスの声ネタを聴くことができる。同作はTrick Daddyからの引用など地元意識を強く見せており、このハイピッチ・ヴォイスもファスト由来のものだと推測できる。Denzel Curryは翌年にリリースしたKenny Beatsとのタッグ作「UNLOCKED」でもハイピッチ・ヴォイスを取り入れており、そのほかにもKolyonも2020年のアルバム「Rumors of War」収録の「Magic」でハイピッチ・ヴォイスでのラップを披露している。フロリダ勢のファスト要素の導入は目立つトレンドにはなっていないものの、決して見逃せない動きだ。
Frank OcceanやDenzel Curryらのハイピッチ・ヴォイスの取り組みは、チップマンク・ソウル全盛期ほど大きな流れにはならなかった。しかし2019年頃からナイトコア方面からまた新たな流れが誕生。ハイピッチ・ヴォイスは再び注目を集めていった。


ハイパーポップの流行と現在

2019年にリリースされた100 gecsのデビューアルバム、「1000 gecs」は大きな衝撃を与えた。トラップやEDM、パンクなどをミックスしたような異型のサウンドとハイピッチ・ヴォイスによる歌の組み合わせは強烈なインパクトを残し、Charli XCXなどと合わせて「ハイパーポップ」と呼ばれるサブジャンルに発展。ナイトコアとの連続性を感じさせるハイパーポップのハイピッチ・ヴォイスは、これまでのハイフィなどのそれとはまた異なる響きを持っていた。しかしヒップホップのエッセンスも含まれており、Rico Nastyなどヒップホップとハイパーポップが接近した例も多くある。これからもそのクロスオーバーは進み、ヒップホップでのハイピッチ・ヴォイスは今後また増加していくかもしれない。ハイパーポップの人気が高い日本でも、KM「Stay」やJP THE WAVY「Lucky Star」などハイピッチ・ヴォイスを使った曲が次々と発表されている。
古くはPrinceやRZAの試みがあり、その後Roc-A-Fella勢の活躍やハイフィの盛り上がりなどにより浸透したハイピッチ・ヴォイス。多数の先人の試みがあり、今では当たり前のものとして様々なところで聴くようになった。その切なさやコミカルさを演出するユニークな響きは、これからも多くの名曲を生んでいくだろう。


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