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『オランダの性教育至上主義?』海外の性教育を日本に輸入・展開する過程での、和製変換の必要性

国内外で性教育を学んできた性教育講師、橋本阿姫です。今日は海外の性教育について、私の意見を書こうと思います。


オランダの性教育至上主義

この半年間の間で、「性教育を実際に教えてらっしゃる橋本さんとお話しさせていただきたいです!」と、お家性教育ブームの影響から性教育を学ばれたり、現在性教育に興味を持っていますという大学生とお話しさせていただくことが増えました。
その際、8割の方がおっしゃられるのが「オランダの性教育は進んでいていいですよね」ということ。

確かに、オランダ含め海外の性教育は内容も踏み込んだもので、成長の早い段階から成長発達に応じて継続的に行われており、『包括的な』性教育そのものだと思います。

従来のような、生理・身体の成長のみならず、人権・健康・安全・コミュニケーションの4つの軸でなりたつ包括的性教育は、日本でも必要と思っているので、その点では海外の包括的性教育は見習うべきものです。

(包括的性教育の説明は省略させてください、すみません。代わりに私が使用する包括的性教育MAPを貼っておきます)

包括的性教育
従来の性教育


海外の性教育を和製変換する必要性

ただ、海外の性教育をそのまま輸入して、日本に合うのでしょうか?
例えばオランダの性教育は、オランダの文化・背景があって創られたものでしょう。しかし、日本はオランダと文化・背景が異なるはずです。簡単な例では、多国籍かどうか・宗教・ドラッグ法律の違い・歴史と民族価値観の違いなど。

もちろん世界共通で、性教育の重要な内容はありますし伝えていくことが大切ですが、海外の性教育をそのまま日本で行おうとするのは、価値観・文化の強要になりそうな気がします。正直、日本人の価値観にマッチしないこともあり、伝えること・きく側の理解が難しいのではないかと思ったりもします。
だからこそ、海外の性教育の充実した内容をカバーしつつも、和製変換の必要性があるのではないのでしょうか?

そこで、いくつか和製変換の必要性を感じる内容を書いていきます。

マクロからミクロへ多様性の分解

1つ目は、多様性に関しての内容。(今回はいくつか和製変換する必要があるものの中の1つを書いていきます。また別記事で2つ目を書きます。)


性教育の中で話される多様性というと「性の多様性」のみと思われがちですが、その他、国籍・文化・年齢などの性以外の、人とは違う点で多様性についても、私は広く話します。
(このあたりは、私が得意としているので、よかったらこちらをご覧ください。)

私は、性の多様性について話す際、いきなり性の多様性についてではなく、まずは広く多様性について、そして多様性をジャンル分けした際に性というジャンルがあり、では性の多様性について見ていこうという、マクロからミクロへの多様性を分解しています。

どうしてマクロからミクロの流れで話すかというと、理由が2つあります。
①海外で過ごした経験から、そもそも性の多様性のみが「多様性」というのは正しくないと感じるから
②多様性に触れてきていない日本人が「多様性」を理解していくには分解が必要と感じているからです。


成長の中で多様性に触れることが少ない日本

日本は単国籍の国です。
多国籍でもなく、またMix(日本ではハーフと呼んだりもする。ただハーフのように血筋が2カ国持っていることのみでなく、複数の血筋を持っている人も総称してMix。)も少ないことから、多様な人種の中で、自分がどんなルーツから生まれてきている存在なのかを意識しない気がします。
小学校高学年頃に、学校の総合の時間で自分の歴史を、家族に聞いてまとめる授業があったと思います。確かに、自分の歴史をたどって自分の誕生を知る機会ではあるのですが、そもそもクラスのほぼみんなが日本で生まれていて、違いがあるとすればどこの都道府県で生まれたか?くらいでしょう。都道府県の違いで文化の多様性も若干ありますが大きな違いはなく、さらに言語は共通・肌色もほぼ同じで、小学校6年生でこの違いから多様性を感じることは難しい気がします。
日本という、ある一定の枠組みの中の小さな多様性の中で過ごしているので、多様性を敏感ではない限り感じにくいです。多様性に慣れていないと言うのが良さそうです。


一方で、多国籍の国ではMixはごく普通ですし、6つの国の血筋を持っている方なんかも見かけます。そういった方は、多様性の中で自分がどんなルーツの中で生まれてきたのかを考え、そして自分の存在が唯一無二の存在だと自分で思える機会があるのではないでしょうか。(そのルーツで苦悩や困難があることもあるが)

多国籍で、かつ個人個人もMixが多い環境では、一人一人が異なっていること・一人一人の存在が唯一無二だと感じやすく、社会の中の多様性を成長していく生活の中で理解していきます。
そのため、多国籍の国では性の多様性についても、すんなりと理解しやすい・入ってきやすいのだろうと思っています。そして、その環境に合わせて教育も構築されています。
このように文化・拝見が違う教育をそのまま輸入・展開しても、日本人が理解し難いことはよくわかると思います。


和製変換する必要性

日本和製変換ですが、ズバリ、身近に多様性を感じて多様性慣れをした上で、性の多様性や海外の性教育の内容を伝えるのが良いのではということです。

オランダ含め海外の性教育が進んでいることを単に性教育の内容だけを見て、「いいね!同様に日本でも広めるぞ!」とするのではなく、海外と日本の文化・背景を理解し違いを分かっておくことが大切です。
そして、日本人に理解してもらうには、日本でも広めるにはどうすればいいのかと考えていくことが必要ですよね。そう、これが私の考える和製変換。

私は、さらに講座で仮説・実践検証を行なっているので、和製変換の手段検討や質を高めることに最近は注力しています。

(実は、大学卒業時に大学院に落ちたことがきっかけに大学卒業と同時に海外に渡ったのですが、今は再び大学院への進学を考えています。性教育をテーマに上記の仮説・検証を研究してみたいなと思っています。)


お家性教育ブームやフェムテックから性教育に興味を持つママや大学生が増えてきていますが、国内外で学んできた身としてここだけは言わせてほしい!といった内容を、今回は書きました。

性教育が一時的なブーム・海外チックな前衛的なものといったような、スピリチュアル要素が強いものではなく、教育の1つとして日本で日本にフィットしたものをつくり育てていきたいです。

性教育が注目されつつあり、性教育を学ぶ人も増えてきています。だからこそ、これまでに性教育を研究し学んできている人が、性教育至上主義を正していくことも必要と感じます。

今回は性の多様性を例に挙げましたが、別記事で、他に考えている例も挙げていきます。


ここで、大学の時にお世話になった先生(この先生は海外で性科学を学ばれていた日本では珍しい先生)に言われた言葉を書いておきます。
『論文や文献には常に疑う。正しいと思い込まずに疑い、自分で考える。』

どうでしょう、今回のテーマ、海外の性教育のそのまま輸入に疑問を持ち、和製変換の必要性を考えた経緯の根底にあると思いませんか?
おそらくこの考え方が、私の性教育の味方や考え方に影響しているのでしょう。


2022/12/22








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