『オランダの性教育至上主義?』海外の性教育を日本に輸入・展開する過程での、和製変換の必要性②
国内外で性教育を学んできた性教育講師、橋本阿姫です。今日は海外の性教育について、私の意見を書こうと思います。
少し前に、第1弾『オランダの性教育至上主義?』海外の性教育を日本に輸入・展開する過程での、和製変換の必要性も書いています。
今回が、第2弾になるので、第1弾からぜひ読んでみてください。
さて、第1弾で、海外の性教育の充実した内容をカバーしつつも、和製変換の必要性があることを、例に多様性の内容をあげて書きました。
ここでの和製変換とは、
オランダ含め海外の性教育が進んでいることを単に性教育の内容だけを見て、「いいね!同様に日本でも広めるぞ!」とするのではなく、海外と日本の文化・背景を理解し違いを分かっておき、日本人に理解してもらうには・日本でも広めるにはどうすればいいのかと考えること。
そして、性教育が一時的なブーム・海外チックな前衛的なものといったような、スピリチュアル要素が強いものではなく、教育の1つとして日本で日本にフィットしたものをつくることです。
今回は、他の例をあげて、和製変換を考えていきたいと思います。
マクロからミクロへの分解
これは、前回の多様性でも、マクロからミクロへ多様性の分解として、書きました。
今回も、マクロからミクロへの分解がキーポイントです。
人生コントロール
日本人の精神年齢について、知り合いの方と話していた時のこと。
「日本人って、人生コントロールができるようになる歳っていうのかな、自立年齢が高齢(=遅い)よね。だから自分で考えて動くこと(自立)が遅いというか、他者からのコントロール下にいることが落ち着く人が多いのかな。」
これは家庭環境など個人差もあるでしょう。
しかし、海外生活をしていたことがある日本人の多くが口にします。
海外の同年代の方よりも、自分の人生を自分で選択していきコントロールするという意識が低く、周りになんとなく合わせたりと同調で、自分の人生を、周りにコントロールされています。
同調ばかりで、思考が自分でできないのであれば、人生をコントロールするための、進路や日々の1つ1つの選択を、周りに合わせたり自分で考えることも少ないのでは。
そうやって周りに合わせることばかりで自分で考えることがなく自分で動かないことで、自立も遅めなのだと考えています。
そして、私は、自分の人生を自分でコントロールすることがマクロ、その中の日々の選択がミクロとおいて考えています。
この人生コントロールが自分でできるかどうかが、性教育含め教育に関係していることをことをこれから書いていきます。
人生コントロールと性教育
先述したように、自分の人生を自分でコントロールすることがマクロ、その中の日々の選択がミクロと考えます。
よく性教育の話で出てくる言葉「避妊をして自分の人生を自分でコントロール」
人生で日々の中に多々ある選択の中の1つ、避妊という選択で、人生をコントロールすると言えます。
そこで気になるのが、「自分の人生を自分で選択していきコントロールするという意識が低く、周りになんとなく合わせたりと同調で、自分の人生を、周りにコントロールされている」こと。
つまり、避妊という日々の中の選択も、周り(相手)に流されて合わせているのでは?となりますよね。
「日本の女性は避妊をしてと言えない人が多い」と、聞くことがあります。これに関して、海外と日本の統計があるわけでもないので実際のところはわからないですが、
「日本の女性は避妊を男性に任せすぎている」ことは言えます。
海外では、女性もコンドームを持ち歩いたり、女性がパートナーとのためにコンドームを購入することも多いです。
これは単に恥ずかしさがないから?
ではないでしょう。
避妊という選択が、自分の人生を自分が望む方向にコントロールできると意識できているからです。
周り(相手)に流されることなく・自分が望まない人生にならないように、自分で自分をコントロールすることを知っている。
海外は自立を早いうちから求められる傾向にあります。
「自立=自分で考えて行動すること」と先述しましたが、まさしくです。
自分で考え動くことができない日本人
確かにどうしても、日本の教育環境や同調意識が強い傾向では、自分で考え動くことは難しいとは思います。
学校では、周りからズレることなくみんな一緒であることが求められたり、周りと違うことをすると仲間はずれにされることもあったりします。
そう、みんなと同じであることが1番の安全となっています。誰だって危険よりも安全がいいとだもの、そりゃ安全なみんなと同じを選択しますよね。
この価値観で過ごす学生時代。成人になった頃には自分で考えるスキルは、伸びていないのでは。
自分で考えるスキルは、性教育を含め何事にも通じて重要なスキル。
にも関わらず、日本の学校環境では伸ばすことが難しいのが現実です。
和製変換する必要性
だから、性教育として避妊を伝える前に、「自分で考え選択することで、自分の人生をコントロールしていく」ことを伝えます。
むしろ、性教育を通して、自分の選択と自分の望む人生を自分でつくっていくことを学んでいるのかもしれません。
従来の性教育のように、
避妊/性感染症予防は大切・相手に嫌なことは伝えましょう・・・
と言われても、自分にとってどのように繋がっていて影響しているのかが分からないです。
一方で海外の性教育では、コンドームの使い方をコンドームを中学生(小学生のところもある)から手に取り実際に触りながら学びます。(私は大賛成ですが)
この部分のみを切り取って、
「海外の性教育は進んでいていいよね」と言われていたりもしますが、それは進んだ内容を行えるだけ生徒が自立しているからではないでしょうか。
どうしてコンドームが大切か、自分の人生にどう影響するかを考える機会を授業の中でつくっていたり、普段から考えるクセをつけているのでしょう。
今回の、日本和製変換第二弾ですが、ズバリ、日本人の特性を知る。そして、日本人の特性・自立年齢にある程度は合わせつつ、少し背伸びをした内容を取り扱いながら、自分で考えるスキルを性教育でゲットできるようにするのがいいのではということです。
オランダ含め海外の性教育が進んでいることを単に性教育の内容だけを見て、「いいね!同様に日本でも広めるぞ!」とするのではなく、日本人の特性を理解し、性教育をフル活用して自立も伸ばす。
性教育と自立の2つを同時に伸ばせるだなんて最高じゃないですか?
(まあ、そもそも性教育と自立が繋がっているからですが)
私は、さらに講座で仮説・実践検証を行なっているので、和製変換の手段検討や質を高めることに最近は注力しています。
(実は、大学卒業時に大学院に落ちたことがきっかけに大学卒業と同時に海外に渡ったのですが、今は再び大学院への進学を考えています。性教育をテーマに上記の仮説・検証を研究してみたいなと思っています。)
お家性教育ブームやフェムテックから性教育に興味を持つママや大学生が増えてきていますが、国内外で学んできた身としてここだけは言わせてほしい!といった内容を、今回と前回で書きました。
性教育が一時的なブーム・海外チックな前衛的なものといったような、スピリチュアル要素が強いものではなく、教育の1つとして日本で日本にフィットしたものをつくり育てていきたいです。
性教育が注目されつつあり、性教育を学ぶ人も増えてきています。だからこそ、これまでに性教育を研究し学んできている人が、性教育至上主義を正していくことも必要と感じます。
第一弾の前回は、性の多様性を例に挙げました。今回の記事が面白かったと思う方、ぜひこちらから読んでみてください。
2023/01/05
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