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あとで話のネタになる。暗いトンネルをくぐっていた時代〜私が公認会計士になるまで#5〜


こんにちは。

公認会計士の大塚としひでです。

公認会計士になるまでをつづったお話し第5回目となります。

前回のお話しはこちら。


大学卒業し、会計士受験浪人生活が始まりました。

ちょうど2000年の頃でした。

コンピューターに関する西暦2000年問題なんかが騒がれていた頃でしたね。

さてさて、続きです。

試験に落ち続ける

マイペースで受験予備校での受験生生活に慣れてきていた私でしたが、

なかなか成績は伸びませんでした。

2000年、2001年と、

2年連続で短答式試験に不合格。

この時点ですでに4回試験に落ちてました。

さすがに落ち込みました。

やってもやっても結果が出ない。

自分はやはり才能がないのではないか、

会計士には向いていないのではないか。

落ちるたびにそんな自己否定を繰り返しました。

ただ、コツコツ勉強していたおかげで、

模擬試験の成績は少しずつ良くなっていました。

答案練習会(よく答練と言っています)の

成績優秀者にはたまに名前が載るようになり、

それを励みにまた頑張る。

しかし、本番ではギリギリ落ちる。涙

結果が出ないから、

模擬試験の結果なんて意味がないなんて思う。

せっかく嬉しい気持ちになっているのに、

それをあえて否定しにいく自分がいました。

喜んでいたら自分を甘やかしてしまう、

だからそんなことで喜んでいる暇はない。

合格者はいい成績なのが当たり前なんだ、と。

超絶崖を登る人でした笑。

答案練習会の点数が悪いと、

よく自分で自分を殴って気合いを入れていました(苦笑)。

そんな、暗いトンネルをくぐるような低迷期が数年続きました。

どんなに途中経過が良くても、

結局結果が出なければ意味がない。

資格試験とは、なんとも残酷なものです。

そして、スパッとやめる決断もできず、

来年こそは受かるから、

と言って親に頼み込み、

受験を継続させてもらってました。

(親にはほんと感謝です!)

ただ、当時の私はまだ若いとはいえ、

さすがに繰り返し試験に落ち続けることで、

心身ともに疲弊していたと思います。


苦しい中にも楽しいことはあった


ということで少し気分を変えて、

そんな低迷していた時期の少し明るい話。

この頃の数少ない楽しかった思い出といえば、

受験仲間数人で仲の良かった友人の京都の実家や福岡の実家に遊びに行った貧乏旅行。

仲間5人くらいで京都〜福岡に、

急行やローカル線を使って行きました。

ちょうど試験が終わって、

結果が出るまでの、少しゆっくりできる期間。

京都では議員の方にお会いさせていただいたり、

京都から福岡までの移動中、

一度も行ったことのなかった瀬戸内の美しい

景色を電車から眺めたり、

阿蘇の雄大な景色に感動したり、

友人宅の広いお庭でバーベキューをしながら

友人のギターに合わせてみんなで歌ったりと、

今思い出してもそれはそれは楽しい時間でした。

結果は出なくても毎日勉強に明け暮れていた

私にとっては、

本当に夢のような時間でした。

また話が変わりますが、

受験生として毎日一緒に同じ空間で勉強している

人たちには、

それこそ個性豊かな様々な方がいました。

今振り返ると、そんな方たちともっと

お話ししておけばよかったと思いますが、

例えばのちに政治家として活躍する方や、

海外やに羽ばたいて活躍している人など、

今振り返るととてもすごい人たちと一緒に、

エキサイティングな環境で学んでいたのだな

と思い返します。

ただ、その頃の私は自分で精一杯だったのだ

と思います。


今は無名でも、志を高く持ち、

行動を積み重ねていくことで、

自分の価値をどんどん向上させていく。


あらためて過去を振り返ってみると、

そんなことを教えられた気がしました。

(つづく)



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