夢はおじさん。と言われた話し
こんにちは。
花です。
私はよく個人の方の書いた書きものを読んでは、気持ちが高ぶって泣いたり、お腹を抱えて笑ったりして、読み物を楽しむタイプなのですが、皆さんはどうですか。
対面での世間話や対話も好きです。このnoteのような空間で人の想いに触れることも、とてもリラックスできるコミュニケーションだと感じています。
コミュニケーションは、直接会って話をすることに限らないと思っていて、note記事を読むことも私にとっては、充分に他者と話すことに思います。
お手紙を書くことや、メールをすること、本を読むこと、noteを読むこと。そんな感じで、とても身近にあるものです。
最近、特によく自分の気持ちを掘り下げる作業を意識的にしていて、そこで言われたことがあります。
「ああ。花さんは、そのおじさんになろうとしているんだね。」と。
私はセンシティブなことを身近な人に相談するのがとても苦手で、子どもの頃も困っていても相談できないときがあったんです。それは、誰もが一様にそんな時期がありませんか。
その困りを誰にも相談できなかった時、当時お悩み掲示板たるものがあり(今もありますね)そこに意を決して相談していたんです。他の方の相談を読んだり、それに対する回答を読んだりして、自分の課題解決に努めたりもしていました。
私の中でうまく説明のつかない、とても困った課題があったとき、数ある中の一つの回答が、当時の私のこころを心底救ってくれました。
それは、当時の私と同世代の子どもではなく、文章や口調や記載内容からも、おそらく大人だったと推測します。
今でも忘れない言葉です。ずっとそのかけられた言葉を、覚えています。
それは容易い同情や励ましとは違う、温かさだけでもない強い芯のある優しさのようなもの。目には見えないですし、それが真実かも分からないけれど、そんな大人の姿勢と声掛けが子どもながらに強力に印象深いものでした。
普段は気にも留めないことですが、そのエピソードをこの前わざわざ他者に話してみたんです。そしたら、そのおじさんになろうとしてるんだね。そう言われたのでした。
おじさんだったのか、おばさんだったのかは分かりませんけど。私はそうやって人からの言葉に救われ、時には傷つき、時には大笑いをし、過ごしています。今も変わらず、暮らしの一部に読み物があります。
グルーミングってご存知でしょうか。毛づくろいという意味です。子どもに性的目的で近寄り好意をよせ、SNSで相談に乗り信頼させることです。
私の子ども時代はSNSが盛んでなかったので、そんな心配はあまりなかったように思いますが、現代は違います。やっぱり、私はいざのときには子どもは信頼できる大人に相談してほしい。
身近な親に、親でなかったとしても斜めの関係の信頼できる大人に。私がお悩み掲示板の回答に救われたように。大人の人からの寄り添いを。
また、それ以上の支援が必要な場面であるなら、専門家につながるような相談窓口につながってほしい。
地域でもオンラインでも、Instagramでもnoteでもいいから。その辺の見分け方、子どもたちに分かるかな。わかってほしい。
私にはnoteを書くことしかできないけれど。そう、心から願っています。
ではまた。
あなたの存在に花束を。
花より。
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