【エッセイ】感傷的な雨が好き~人生の雨宿り~
「さぁー-。」
パソコンに向き合っている私の鼓膜を小さな音が揺らす。
ん? 雨か・・・?
エアコンから放たれた冷気が私の髪を小さく揺らした。
いや、エアコンの音か・・・。
私は再びパソコンに向き直り、カタカタとキーボードを叩く。
しばらくして、いや、やっぱりと私は勢いよく立ち上がった。
これは雨だ。
そんな直感に突き動かされ、ダッシュでベランダに向かった。
ああ、やっぱり。
灰色の雲からはしとしととたくさんの雨粒が零れている。
私は大慌てで洗濯物を取り込みにかかる。
極度に運動不足の身体はバクバクと心臓が驚いていた。
ちょっと濡れちゃったな。
タオルハンガーにかかっているタオルを訳もなく2、3度撫でた。
仕方がないので部屋干しにする。
エアコンが付いているので、そのうち乾くだろう。
ちょっぴり落ちた気分で私は窓の外を見る。
それでも私は雨が好きだ。
薄墨色の雲から生み出される雨粒は横から見ても下から見ても美しいし、しとしと、ざあざあと降り続く様はなんとも風情がある。
それにこの擬音の響きも気に入っていた。
窓を叩く音。
屋根を叩く音。
傘を叩く音。
木々を叩く音。
ぜひ、雨粒が織りなすメロディに耳を傾けてみてほしい。
普段、何気なく耳にしているそれらの音も心を傾けるとなかなかいい音だったりする。
私は雨が好きだ。
美しいからという理由の他に、感傷的な気分に浸れるからというのも1つの理由だ。
雨の日の読書や映画は格別。
いつにもまして、その世界に浸れる気がする。
抜けるような空に鳥が羽ばたく晴れの日はどうも作品に身が入らない。
雨の日はセンチメンタルな作品に触れるもよし、ひとりで窓の外を眺めて物思いにふけるのもよし。
私が雨の日を好きな3つ目の理由。
それはさぼる自分を、頑張らない自分を許してもらえる。
そんな気がしてくるからだ。
一生懸命、前へ前へと歩み続ける日々の中で雨宿りをする。
そんな時があってもいいよね。
雨宿りをしているのは、きっと私だけじゃないはずだ。
私は無数の雨粒で濡れた窓越しに、外を見る。
庭のアスファルトでは、水たまりができてそこへ飛び込む雨によって複雑な幾何学模様が織りなされていた。
私は瞬きをする間に変化していく、一瞬たりとも同じ模様はないその繊細さに目が離せなくなる。
ふいに水たまりの中で何かが小さく飛び跳ねた。
目を凝らすと、それは1匹のアマガエルだった。
アマガエルはぴょこん、ぴょこんと2、3度跳ねると草むしりをさぼり気味の日日草が咲き乱れる花壇に飛び込んだ。
するとアマガエルはエノコログサの下でじっと身を潜めた。
その様子がまるで雨宿りをしているみたいだったので、私は思わず言葉を零した。
「君もそう、思うよね。」
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よづきでした。
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