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クラシックリスナー歴30年が独断と偏見で選ぶ"推し作曲家"7名

指揮者の時と同様、キリがないので7名で。

1. ジャン・シベリウス

近年は不動の一位。そもそもシベリウスは交響曲第1番と第2番のカップリングから聴き始めたのだが、小学校低学年だった当時はロマン派を殆ど未開拓だったのもあって馴染むのに時間がかかった。

ヤルヴィ指揮の交響曲全集を買ったのが小学校5年生、ハマったのは形式を見通せるようになった中学2年の頃。交響曲第7番の銀河のような音符の動きは未だに聴くたびに新たな発見がある、人生で出会った最高の曲。

私が全曲集を所持しているのはシベリウスとショパンだけ。交響曲の特に後期、ヴァイオリン協奏曲、交響詩だと『タピオラ』『フィンランディア』『エン・サガ』『トゥオネラの白鳥』といったメジャーどころは勿論、『森の精』『夜の騎行と日の出』『もみの木』『アンダンテ・フェスティーヴォ』といった隠れた名曲もよく聴く。

2. ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

クラシック音楽を語るのに外せない天才。思い返せば、クラシック音楽を聴く発端となったオムニバス(親が借りてテープにダビング)に彼の曲は一つもなかった。初めて聴いたのはベタに交響曲第5番だったが、所有CD3枚目にして切れ目なく次の楽章へ移行する手法は衝撃だった。

因みに、今や5番と同じくらい気に入っている第九の第一印象は「こんなに長いと思わなかった」。3番にも手を焼いた自分はこの長さはキャパを越えていた。そして第二の展開部のようなコーダは革新的だった。

他にも皇帝協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、太公トリオ、クロイツェルソナタ、大フーガを含む後期の弦楽四重奏曲、ディアベリ変奏曲やピアノソナタ、コリオランやエグモントなどの管弦楽曲など、あらゆるジャンルにバランスよく名曲が散らばっているのも彼を孤高たらしめている。

3. ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー

初めて触れたのはラジオで聴いた『悲愴』、それまでの既成概念を覆す交響曲の構成と込められた情念に圧倒された。池辺晋一郎の『N響アワー』で壇ふみが"チャイ様""ドヴォ様"を言い出した時は、母親と一緒にツボっていたっけ。

この時の小林研一郎指揮の5番やスヴェトラーノフ指揮の4番が決定的となった。ピアノ協奏曲第1番は有名な序奏部と全く印象が異なる音楽なのは予想外だった。因みに自分は第2番は過小評価され過ぎだと思っている。

その後はヴァイオリン協奏曲やバレエ組曲にものめり込んだ。『スラヴ行進曲』『1812年』、室内楽曲だとピアノ三重奏曲は弦楽四重奏曲第一番や『四季』以上にお気に入り。二楽章制の構成が新鮮だった。

4. アントニン・ドヴォルザーク

初めて聴いた交響曲は父親の薦めで『新世界より』だった。これ以上ないくらいハイレベルに拮抗した全楽章の水準は他の追随を許さない。その後、FMのN響定期公演でプレヴィンの8番を聴き、セルの7番とのカップリングを買ったのが開拓のきっかけだったと思う。

交響曲全集はクーベリックから手を出し、ドヴォルザークの大器晩成型の成長を確信した次第。因みにチェロ協奏曲はマイスキーとバーンスタインのコンビを聴いていた。

ピアノ曲だとユーモレスクが突出した人気があるが、ソナチネもいい曲だ。幼少時は『アメリカ』しか知らなかったが、のちに弦楽四重奏曲も野心的な変遷を辿ってきたことがわかって面白かった。形式が明晰なのに加えて、交響曲の背後でカルテットで実験する気質も古典派に近い気がする。

5. グスタフ・マーラー

マーラーもFMで5番を聴いたことがきっかけ。この演奏も買ったCDも68分の快速演奏だったことが、浸透力に一役買ったのかもしれない。

それにしてもマーラーをFMからカセットデッキに録音するのは毎度苦労を要した。また、長大で形式も構成も容易に把握できない難解さが、自分の興味を助長した。こんなに聴きごたえのある音楽は中々ない。

そして、成人した私はテンシュテットとバーンスタインをキッカケに、マーラーの交響曲は指揮者を試す音楽だと認識し、いよいよ"解釈の違い"に興味を示すようになった。ついでに、マーラーに加えてシベリウスやブルックナーまで欲張る指揮者は大体不発に終わることもわかった。曲が求めるアプローチが真逆なのだから仕方ない。

6. ヨハン・セバスティアン・バッハ

バッハとの接触は親が借りてきたクラッシックのオムニバスに入っていた管弦楽組曲第2番、フランス風序曲、ブランデルブルク協奏曲第5番だった。

中でも気に入っていたのがブランデンブルク協奏曲、パイヤール盤を買って堪能していたし、今では十種類くらいは持っている。第6番の第3楽章が特に好き。病院に勤めていた時は、当直室で一人、カールリヒターの『管弦楽組曲/ブランデンブルク協奏曲』を流していた覚えがある。

『ゴールドベルク変奏曲』は『羊たちの沈黙』の小説をキッカケにちっとも眠くならないグールド旧盤から聴いた。これもまた5枚6枚と増えた。バッハは大人になって本格的にハマったので、一曲知るたびに色々聴き比べるために中々開拓が追いつかないのが現状だ。

7. クロード・ドビュッシー

ドビュッシーとの出会いはピアノ曲のオムニバスに入っていた『亜麻色の髪の乙女』『月の光』だったが、前者だけ良いと思ったが6歳の自分はあまり夢中になれなかった。当時はピアノだけの音楽が物足りなく感じたし、印象派がピンとこなかったのだろう。

大学生になって、行きつけの中古CD店でヘヴィメタルを漁っている際に、壊れたケースに入れられて安く売られていたチッコリーニのボックスを手に取ったのが真のきっかけだ。

『版画』『映像』『夢想』『おもちゃ箱』『子供の領分』『ベルガマスク組曲』『アラベスク』など、楽曲の色彩美はロック一辺倒になった自分をまた別のカラーに染めた気がする。管弦楽曲の『海』や『夜想曲』ではブーレーズやバレンボイムのお世話になっている。

総括

まだ書くならハイドン、ブラームス、ブルックナー、ラヴェル、ショパン、リストと続くが、やはりキリがないのでここいらで閉めようと思う。親が借りてきたクラシックのオムニバスは、起点として非常に大きかった。当時は室内楽とオーケストラの違いすら知らなかったが、音が鳴っているだけでワクワクしたものだ。

通っていた小学校の音楽室に飾られていたのは、上記のうちたったの3人だけ。チャイコフスキー以外は、悉くドイツ、オーストリア界隈の作曲家ばかり。それが学校側の意向なのだろうが、もっと寂しかったのは音楽教師は誰についても殆ど語らなかったこと。

何のために飾ってあるのやら。飾られてもいないハイドンの『驚愕』の第二楽章を、"びっくりシンフォニーを弾いてみましょう〜♪"と鍵盤を叩いていてほろ苦い気分になった記憶だけが残っている。

そういえば、試験はシューベルトのピアノ五重奏曲『鱒』の変奏をランダムに流して順番当てる内容だった。学校教育で唯一新しく知った音楽なので印象深い。それに何の意義があるのかはよくわからなかったが。

自分にとってクラシック音楽は常にパーソナル的で、殆ど誰とも共有せずに育んだ趣味である。ロック音楽とはその点で対極だった。大人になってクラシック音楽でもようやく共有できる知人ができて、"私たちって何でジャズを聴けないんだろ?"という会話もするようになった。

自分は形式への執着があまりに強すぎるが、クラシック嗜好者もみんな多少形式や秩序性への親和性があるのかもしれないと応えておいた。そこには即興よりも、既存の形式を打破するカタルシスの中にこそより自由を感じられる私自身もいるのかもしれない。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。





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