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『R.U.R.』を読んで ~チャペックの問いが迫る"ロボット"社会~

元々洋書は主食なのだが、転職沙汰で久々になってしまった。未だ普遍的な命題を突きつける古典。

本の情報

著者: カレル・チャペック
タイトル: ロボット(R.U.R.) (原題: Rossumovi univerzální roboti)
発刊年: 1920年
著者について: 1890年生まれのチェコの作家、劇作家、評論家、ジャーナリスト。本作のような文明発展に警鐘を鳴らすSF作品の他、当時の社会的混乱を扱った政治的な作品を数多く執筆した。

概要

人間にとってストレスフルな労働を人工の人間"ロボット"に代行させた結果、社会は大きな変貌を遂げ、労働をしなくなった人間は子供を産むこともなくなり堕落する。

やがてヒロインのヘレナの懇願でロボットに理性を植え付けたことが原因で、"不完全"な人間側がシンギュラリティを迎えたロボットにより駆逐されていく。

キーポイント

"ロボット"の語源となった本作は、テクノロジーの台頭によって持ち上がる今日的な問題が幾つも描かれている。ロボットによる人間のパフォーマンス能力の凌駕、失業や倒産による労働者と企業の淘汰、出生率の低下などは、AIが席巻する現代日本社会と決して無縁とはいえまい。

機械を人間の役割へ押し上げることにより、人間の方が「働く能力はあるが、考えることのできない」機械的な存在へと堕落する逆転現象を、"地上の楽園"の向かう先だと示唆した上で、作者は労働の意義や人間の本質を普遍的な形で問うている。

個人的な考察及び感想

本書で扱われるロボットは、実質的には人造人間のような存在。このあたりは『フランケンシュタイン』や『未来のイヴ』と同様な発想であるが、そこから近代化の暗部に切り込む鋭い予見性は作者のジャーナリズムの賜物。

それは当時の国際的な世相を表徴した人物造形にも現れている。本作が予見的なSF古典としてだけでなく、読み物としても十分な面白味を持って読ませる力があるのは、登場人物の高邁な精神によるところが大きいと思われる。

例えば、R.U.R.社長ドミンは人間を労働の苦役から解放するという強靭な理想に燃えているし、妻のヘレンはロボットに対しても人道主義を行使する。どの登場人物も基本的に善意だからこそ、この話は説得性とドラマ性が豊かなのだ。

表出した"鈍感なメカニズムの力"の向かう先に強迫観念すら覚えた作者は第3幕を書き加えた。それは彼独自のキリスト教観に基づく構図シフトが起こった上での"愛による解決"であるが、"新たなアダムとイヴ"のその後については具体的な判断材料は記されていない。

この苦渋まじりの解決策の探求に、従来の喜劇のエンディングとは大きく距離を置いた作者の疑念を感じられる。"もう引き返すには遅いのでは?"(作中より)、『ねえ、このようになると信じられるかい?』(オルガ・シャインフルゴバーへの手紙より)。

テクノロジーの発達はいつだって人間の能力の平均値ではなく限界値であり、やがては全員を"思考停止"へ振るい落とすことを念頭に置くならば、現代人の方が彼の疑念を実感しやすいかもしれない。

今この瞬間も「世界中が自分のロボットを欲しがっ」て加速し続けているのだから、我々はチャペックの問いの回答を求められる日は刻々と近づいてきているのだ。

書籍購入用リンク

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最後に

発刊100年以上を経た現在でも、年代を感じさせることなく楽しめるSF戯曲の古典だと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。





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