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インスピレーション

昨年末頃、デザイナーさんと一緒に仕事をする機会がありました。

まず絵があり、それからデザインを膨らませて絵をはめ込む。こんなにもピッタリはまるものなのかと…デザイナーさんの創造力が働く瞬間を目の当たりにして心底感動しました。

ある時はライターさんの言語化力にも感激しました。誰かの放った言葉を「読めるものに書き起こす」。

またある時は「こういう棚が欲しい」という要望を聞いて、空間の幅や設計図をえがく職人。

どの人の中にも創造力、インスピレーションを感じます。

インスピレーションを出力する為には技術も才能も必要ですよね。まず才能かなと思いますが。

持って生まれた才能は、最初は「才能の種」みたいなもので、環境的な要因と努力、手を掛け時間をかけて育てないと開花しない。仮に開花しても、水を与えて維持する必要もある。

人との関りの中で開発される要素もあり、今その才能を扱えているということは持って生まれた才能を育て、技術を磨き続けてきたからだ。

私の描いた絵は…創造以前に何かを幻視するような?

創造とインスピレーションの泉があるとしたら、そこに近づき・ふれてみることで閃きのような何かが視覚を越えて感覚的に浮上するような、そうした実感があります。そして出力するための実際的な技術によって絵になっていく感じ。恐らくデザイナーさんでもライターさんでも、職人さんでも、まず創造の源泉にふれて、まだ生まれていない何かを幻視している。

創造の源泉って人それぞれだと思うのですが、精神的な人生の指針・哲学・美学のような場所から湧いてくると思っています。人それぞれ住まい(物質・非物質的にも)が違うから才能のあり方・身につけ方・出力方法などが違ってくるけれど。

人の創造力が働く瞬間に立ち会う機会は日常的にもよくあることだと思うのですが、それを「磨かれた才能による技術」という視点で見る…という気付きを得られました。何気なくやっていること、あるいはしてもらっていることにも、創造力が働いているなんて感動的です。技術に対するリスペクトの気持ちをより強く感じるようになりました。


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