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村上春樹『風の歌を聴け』を読み解く 猫と不幸な女について 1

村上春樹『風の歌を聴け』(以降、『風』)には、音楽や映画、小説が多数登場する。「カリフォルニア・ガールズ」「熱いトタン屋根の猫」「魔女」「ガルシアの首」「コンボイ」「尼僧ヨアンナ」……。ほかにジーン・セバーグJ.F.ケネディといった著名人への言及も目立つ。

登場人物は、こうした作品や人物について何やら意味有り気に語る。しかし、内容について深く説明するわけではないので、読者は素通りしてしまいやすい。個々の作品や人物について知らなくても、小説を読み進めることはできるからだ。

「これらの名に深い意味はなく、なんとなくそこに置かれている」――。多くの読者はこんな風に誤解してきたのではないか。果たして、これらの作品や人物は小説の世界を彩る小道具に過ぎないのだろうか。

そうではない。小説家は、明確な意図を持ってこれらの固有名詞を配置していると私は考える。では、なぜこれらの固有名詞を『風』の中に配置されたのか。そこにどんな意味があるのか。

これから何回かに分けて、『風』の中に記された作品や人物を手がかりとして、そこに込められた意味を探っていく。そうすることで、「なんとなくそこに置かれている」という態度からは見えなかった、小説の風景が見えてくるはずだ。

『熱いトタン屋根の猫』と妊娠

まずは、『熱いトタン屋根の猫』から始めたい。小説の前半で「僕」が小指のない少女に「ところで『熱いトタン屋根の猫』を読んだことあるかい?」と問う場面がある。「僕」は何の脈絡もなく、この作品名を出してくるし、彼女は何も答えようとしないので、大した意味はないのかと思いそうになる。しかし、そのまま通り過ぎて良いのか。ここは、立ち止まって作品の中身を確認してみたい。

これは、テネシー・ウイリアムズの戯曲を指している。原題は、Cat on a Hot Tin Roof。1955年に初演され、後にポール・ニューマン主演で映画化もされた。日本語訳は、『やけたトタン屋根の上の猫』(田島博訳、新潮社、1957年、新潮文庫、1959年)、『やけたトタン屋根の猫』(小田島雄志訳、新潮文庫、1999年)がある。

この戯曲の主人公ブリックは、米国南部で農園を経営する大富豪の次男だ。妻(マギー)はいるが、実は同性愛者である。大学時代からの男性の恋人が死んだことから、酒に溺れている。一方、ブリックの父は、がんの病状が悪く、家族の中では遺産相続が重大な関心事となっている。

マギーは、遺産争いで子持ちの兄夫婦に遅れを取らないために、子作りを希望する。しかし、ブリックがそれに応じない。ブリックとマギーの間にもかつては恋愛感情があり、性交渉もあったが、結婚後しばらくして関係は冷え切っている。それでもマギーはブリックの気持ちを取り戻すことを諦めない。ブリックが落ちぶれていくのと対照的に、マギーの楽天的であり、貪欲でもある奮闘ぶりが印象的だ。

タイトルの「熱いトタン屋根の猫」は、そんなマギーの自己像である。彼女はブリックに向かって次のように語る。

「いまのあたしのような立ち場に置かれ人間のことを、やけたトタン屋根の上の猫っていうんでしょう?」
『やけたトタン屋根の上の猫』(田島博訳、新潮文庫)

貧しい家庭で育ったマギーは、なんとしても遺産を手に入れて夫婦で豊かな暮らしがしたい。しかし、子供がいない立場で不利な状況にある。夫の協力も得られそうにない。そんな不安定な自分の立場をマギーは、トタン屋根の熱さに足の裏が焼けて、慌てふためいている猫の姿に重ねているわけだ。

ところで、「僕」が『熱いトタン屋根の猫』を話題にするこの場面に関して、興味深い解釈がある。ジェイズバーのトイレで倒れていた小指のない少女を「僕」が介抱した際に、彼女のバッグの中にあった葉書を読んだ。その葉書は「僕」の友人である鼠から彼女に送られたもので、このとき「僕」は鼠と彼女の関係を知ったとする解釈を、平野芳信(『村上春樹と《最初の夫の死ぬ物語》』)と石原千秋(『謎とき村上春樹』)は提示している。

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