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連載小説『幽霊は二度死ぬ』

 静まり返った廊下、とは言えずソフトボール部の掛け声が聞こえる。あれはいったい何に対する掛け声なのだろうか。ちょっとだけ暗くなったとはいえ、まだまだ明るい廊下を歩いてロッカーに向かう。自分としたことが、完全に靴を履き替えるのを忘れていた。上靴のまま部活に参加するのはよくないな、と肝に銘じながらローファーを取り出して履き替える。
「やっぱり、制服にはこれでなくっちゃな」
 つま先を叩く音が廊下に広がる。実際は吹奏楽部の演奏にかき消されていた。
「吹部も頑張ってるなぁ。てか、吹部の活動場所ってどこなんだ?いったいいつもどこから音が聞こえてるのか……」
 独り言がうるさいことぐらいは自覚している。だがしかし、なんでも口に出してしまいたくなるのだ。私はもうこの癖は仕方ないものだとして諦めていた。むしろ、私のいいところだと信じている。
 カバンをリュックのように背負って、校門を抜ける。もう警備員はいなくなっていた。そろそろ六時半だから、学校の施錠確認でもしに行っているのだろう。でも、この警備員がいないタイミングで不審者が入ってくることは容易くないか。この学校の警備体制はそれで大丈夫なのだろうか。監視カメラでもあるのだろうか、と校舎を振り返ると夕陽による逆光で何も確認できなかった。しかし、そんなものを見た記憶はない。いつでもだれでも入り込めそうな高校だ。とはいえ、こんな辺鄙な場所に高校生以外がうろついていたらそもそもが違和感を感じるともいえる。そんなことを考えながら駅に向かうために右に曲がった。
「だけど、短大生の可能性も……」
 どうでもいい思考をスマホの着信が邪魔をする。表示をちらっと確認してすぐに応答ボタンを押す。
「紅葉!今どこにいるっ?」
「どうしたー?駅ついてないぐらいだけど?」
「ほんとっ?!」
 電話の向こうで中村秋穂が焦った声を出している。息が上がっているから、走っているようだ。陸上部の秋穂とは思えない不規則な足音から彼女の焦りが感じられた。
「秋穂は今どこにいるの?」
 曲がったばかりの曲がり角を戻り学校までの一本道を見ると、ぶつかるようにして女の子が私に抱き付く。
「秋穂、どうしたのさ」
 顔をまだ見てないけれど、秋穂のシャンプーの匂いがした。背中をさすってやると顔を上げた。
「もみじぃ……。いや、なんかね?いやね」
 泣きそうな声で私を呼んだあと、急にテンションが上がったようで私の肩を握りしめる。「そうっ!幽霊を見たんだよきっと私は!うっわぁ怖かったぁ」
「幽霊ってマジ?どんなの?」
「そうそう、噂に聞いてたあれだよ……。いやぁ、ホントにいるんだねぇ」
「何しみじみとしちゃってんだよ」
 だらだらと歩みを合わせながら、駅に向かう。徒歩五分で最寄り駅があるのは、たぶん立地がいいほうなんだと思う。けれど確実に変な場所にある。というより学生には不評だった。
「そりゃまあ、こんなにお墓に囲まれてたら幽霊の一つや二つ出ますわなぁ」
 秋穂は周りを見渡して改めて、怖かった、といった。
 私たちの私立南野高校は、都心だというのになんとも不思議な場所に立っていた。校舎内のどの窓から外を見てももれなくお墓が見える。それは三年目だが、いまだに笑える事実であった。
「幽霊なんているもんかねぇ、見間違いじゃないんすか?」
「いやいや、それが、マジもんっぽいんすよ」
 こんな立地とはいえ、そこまでこの学校の七不思議はそこまで多くなく、中学生時代の方が盛んだった気がする。若気の至りだろうか、流行り廃りと言うやつか。
「うわっ、バイトだった。じゃあなー!」
 そういった時点で秋穂は坂を降り始めていた。リュックが跳ねているのが見える。急に日が落ちた。
 そういえば、うちの学校は昔病院だった、なんて話は聞いたな。古い病院を改装したのがこの学校?そんなことありえるのか。いや、でも確かにありえる気がする。このご時世にバリアフリーなんていう言葉を存じ上げない、というような階段の量。車いすの生徒でも入ってきたら暴動を起こすべきレベルで校舎には入れない。一階に入ることも不可能な設計は、昔の病院ならありうるのかもしれない。
「まあ、知らないけど」
 定期券を取り出して駅に入る。お気に入りのサメのパスケースを撫でまわしながら、電車を待つ。可愛いな。
 
 文化祭当日の朝、いつもより二本早い電車に乗ることにした。とはいえ、通常が登校時間ギリギリだから、それほど早くはない。電車の込み具合は今日のほうがましだ。二駅乗った後、目の前に座っていたおじさんが降りて行ったので有難いことに座ることが出来た。駆け込み登校もそろそろやめたほうがいいのかもしれないな、今日は快適だ。だからといって、この早い時間に乗るのはこれっきりかな。
 スマートフォンがブブッと振動する。瀬戸苺夏から「遅刻しちゃだめだよ?」と圧がかかる。八時につくと伝えると目玉が飛び出ているウサギのスタンプが送られてくる。さすがは苺夏、私のことを舐めてるな。思えば、苺夏とは一年生の時に文化祭実行委員をしてからずっとこんな会話をしてきた。馬鹿だと思われていることはわかっている。それでもクラスのカースト上位に位置出来ているから抗わなくてもいいも思う。 
 何件も通知が来ているけど既読はつけない。重要なことなど何もない。ぱっと表示された通知には「最後の文化祭!みんなで力を合わせて頑張ろうね!」とクラスの中心人物。苺夏と仲良く見せてはいるが、お互いそれほど良く思っていない。
 その後も鳴るクラスのグループを無視して、ツイッターのネットアカウントを見る。こちらはいつだって平和だ。今日もみんな推しがかわいくてかっこいいらしい。そりゃ、ネットも怖い。平和じゃないことだって多い。同じキャラクターを好きなだけで袋叩きにするファンもいる。炎上商法は当たり前。キモオタがセクハラ発言をする。そんな人間は排除して、自分の好きな世界を作り上げる。インターネットの良さとはそういうところじゃないのか。
 とはいえ、リアルを粗末にしてはいけない。匿名のアカウントという気持ちのいい温泉で好きな人の自撮りを見て、情報を仕入れ、ひとしきり満喫したら、現実に返事をする。たまった通知に同じテンションで答えて、ツイッターのリアルアカウントで「文化祭当日だ!楽しみー!」とツイートする。こうやっていれば、楽しく過ごせることを中学生時代に学んだ。
 イヤホンからは好きなアーティストの曲が流れる。なんだかんだ言って、こういう生活が嫌いじゃない。むしろ楽しい。無視されたり、嫌がらせをされたり、そういう出来事は私の身には起きない。
 なんて素晴らしい世界だろう。
 高い声で歌手が高らかに歌う。頭はやっと寝ぼけがとれた。朝はやっぱこの人の歌がいい。ドラムの音に合わせて、心臓が鼓動する気がする。
 最後の文化祭の始まりだ。
 見慣れたホームに降り立つその時の足は右足からだと決めていた。ウォークマンにイヤホンを巻き付けて、人の流れに乗る。
「先輩、おはようございます」
 いつの間にか背後を取られていたようだ。関口真理が私の腕に絡んでくる。
「先輩機嫌がいいですねぇ」
 真理が私の顔を上目遣いで覗いてくる。そして「やっぱり先輩も文化祭楽しみなんですね」とニシシと笑う。正直、かわいいと思う。
 だが、今日の足取りがいつもより軽いのは文化祭が楽しみだからじゃない。二十一時に新曲が上がるからだ。
「そうだねぇ、最後の文化祭だしね」
「ですよねー、来年先輩がいないとかさみしいですよ」
「まだ始まってないんだから楽しみなよ」
「っすね。あ、先輩聞いてくださいよっ!」
 真理は私の手をぶるぶると自分の手のように振り回す。二つ下のカメラ部の後輩である真理は私をとても好いているようだ。私も好きだ。というよりも女の子はみんなかわいいと思う。仲良くなれたら、みんないい笑顔を向けてくれる。敵にさえならずに、危害を加えなければ楽しく生きていける。
 なんて、そんな深いことは考えていない。誰だったか、読んだ漫画の受け売りだ。
 女の子はかわいい。それだけでいいじゃないか。
「なんかね、書道行くときに見える墓あるじゃないですか?そこにね、黒い服を着た女の人がじーっとこっち見てて!」
「へぇ、普通にお墓参りの人じゃない?」
「私もそう思ったんですけどね、授業終わったときもまだそこにいてこっち見てるんですよ。怖くないっすか?」
 やっぱり普通に喪服の人じゃないのか。ああ、でもお墓参りの人をそんなに見たことはない気もする。そもそも普通のお墓参りじゃ喪服は着ないんだっけ。
「幽霊かなあ」
 調子を合わせて怖がってみせると、満足そうにまたニシシと笑った。

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