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【バイト奮闘記⑩】必要とされてこそ存在する

そろそろ慣れてきた。

いや、慣れては来ていた。初回の方からずっと、ただ、前より臨機応変に対応できるようになってきたのだろう。
11月最後のB店でのバイトは、それなりにお客さんが来た。
その日は、いつものMさんとミーティング以来初めての同じシフトになったKさんとの3人で回していた。

A店のもやもやはまだ残っていた。

Kさんは、私と同様にA店から謎の派遣をされてB店に来た人だ。
私の一つ下の大学生で、バイトの掛け持ちをしているすごい人だ。
飲食店の接客というものに慣れている、という点では私よりも先輩だろう。

彼女と話していて、やっぱりA店の説明不足は明らかだと感じた。

Kさんが初めてバイトに入った日、バイトがもう一人いたそうだ。
それをKさんは見ているだけでよかった。
何も出来なかったけど、先輩で入っている人や店長の振る舞いを見て覚えていく。

そして、その先輩が作った今までのメモをKさんは写させてもらった。

それに比べて私は、初日からなんの説明もなく働かされた。
ドリンクの注文が入る度に、店長に聞かなければならない。提供方法や場所もわからない。毎回聞かなければならない。覚えれるわけが無い。

この差はなんだろう。

その雑な指導は一体なんなんでしょう。

辞めるにあたってやっと聞けたB店で働かされた理由「慣れるまでの間、そっちで慣れてもらってこっちの週末に入ってもらうため」を伝えるとKさんもさすがに驚いていた。

B店はそのつもりじゃない。
普通にバイトを雇ったつもりだ。
しかし、A店は期間限定だと思っている。
しかも、それを誰にも伝えていない。

なんだそれ。
誰がそこまで汲み取れるんだよ。

怒りにも似た悲しみが湧き上がってくる。

そんな理不尽は当たり前なのかもしれない。
だけど、私はそんな当たり前を受け入れたくはないんだ。もっと心地よく働ける場所にいたいんだ。

そして、次のバイトの日。
こんなことをMさんに話した。

「給料って、B店の分だけですかね?B店の分よりも多い気がする、というかA店のと一緒なら分かる金額なんですが」

そう、先日初めての給料が振り込まれた。
B店の店長には個別で「月末に給料振り込むからね!」と事前に連絡まで頂いていた。

だけど、金額はB店だけではなさそうだった。

何故だろう。
きっと、一緒になっているんだろう。
だけど、A店には口座すら聞かれていない。
なんなのだろう。

店長の娘であるMさんは「それは不思議だな」と言い、ここのオーナーとA店の共同経営者は同じであるということを教えてくれた。
だから、オーナー名義の振込は両方を兼ねているのかもしれないと。

だったら、A店はそれを説明すべきである。

その流れで、A店を辞めようとしたけど「自分で決めたらいい、でも来月のシフトは教えて」と言われたという話をした。

居酒屋というものが合わないから、思った以上に興味を持てなかったからという理由も言ったのにと言うと、
「それはなんなんだろうなぁ……、雰囲気が合わないってちゃんと理解したから辞めようとしてるのにねぇ。おかしいわぁ、それはオーナーに抗議したほうがいいね。店長に聞いておくわ」と同情してくれた。
少し救われた気持ちになる。

「B店に入るならどうやって客を呼ぶか考えないとダメだよ」なんて言われたのはやっぱりおかしい。
する気はあるけれど、それはバイトが責任をもってすることではない。義務じゃない。
それにもMさんは同意してくれた。

私はB店が好きだった。
もうこの店の一員なんだ。

「本当にうちはもうとかげちゃんがいないといけないよ、頼りにしてるよ、ありがとうね」

その言葉は私に自信を持たせてくれる。
必要としてもらえることが幸せなんだ。

ちなみに、A店には4日間しか空いてる日を出さなかったのに、全部入れられました。悲しいです。なんでなんですか。そんなに働きたくないです。

それに対してMさんは「引き止めたいんだろうね」と言っていた。引き止めないでください。いやじゃ!給料的にはありがたいけどやだ!やだやだやだ!

私は駄々っ子になってしまう。

とにかく、私はB店に必要とされている。

その証拠にシフトの中でMさんが居ない日ができた。そして、Mさんがいない日は私がリーダーとなる。私がいない日はMさんが絶対にいる。

私が他のバイトに指示を出す立場になったのだ。

たった1ヶ月で!

大出世だ。給料は上がらないけれど。
正直負担も大きい気もする。
だけど、信頼されていることが嬉しい。
私の力を認めてくれているのだとわかる。

キッチンができるのが私しか居ないから、という話ではある。
だけど、それも私の物覚えが良かったからだろう?
私が調理ができるからだろう?
今まで料理をしてきた努力を認めてくれているからだろう?

そして、他者に指示を出すことが出来ると思ってもらえているからだ。

私より先に入っていた学生スタッフもいるというのに、私の方がこの店を理解していると思われている。

1ヶ月間、頑張ってきた甲斐があった。
信頼されることが私にとって最も嬉しいことなのだ。

そして、それだけではなく、大事にしてもらっている。賄いだけでなく、お惣菜の持ち帰りも私が1番多く貰っている。

必要とされている。
それだけの為に私は生きている。

誰かに必要とされる時、私は存在できるのだ。

きっと、A店で働いていて死にたくなるのは、
必要とされていないと思うからだろう。
必要とされていないということは存在していない、なのに肉体と思考は何故かここにある。
その乖離に恐怖を感じるから、肉体と思考も消し去ってしまおうと思うのだ。

だけど、そんな場所にはいてはいけない。

多面的に『私』というものを存在させるためには、たくさんの人に必要にしてもらうことだ。

『自立とは、依存先を増やすこと』 
                   ――熊谷晋一郎氏(東京大学先端科学技術研究センター准教授)

他者がいなければ私たちは存在できない。
そして、他者は1人だけではいけない。

たくさんの人に認識してもらわなければ、私たちは自立存在出来ないのだ。

そして、その認識はできるだけ善いものであると言い。嫌悪が混ざった認識の中では、『私』という存在はにごってしまう。
きっともっと広い場所に行けば、それでもいいだろう。認知の量が増えれば増えるだけそういう濁りも増えていく。だけど、その分必要としてくれる人も多いからイーブンなのだ。

だけど、私の世界はまだ小さい。
だから、まだ濁るわけにはいかないのだ。
ここに居る自分を愛すためには、できるだけ自分が心地よい認知を貰い続ける必要がある。

私はやっぱり私を愛していたい。
一生一緒にいてくれるのは私しかいないのだから。

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