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SS 『仕事の電話は短めに』

「もしもし」
彼の口調は楽しそうであった。軽やかでおちゃらけていて、馬鹿げていた。
だから、俺はこいつに電話をかけるのが嫌だった。頭の中はお花畑、みたいな何も考えていない脳天気なやつ。上司であると言うのに仕事はできないし、部下である俺たちに振ってばっかりだ。
「大丈夫大丈夫、お前が思うようにやれよ」
無責任なことばかり言うから、先輩を頼るしかない。先輩は一生懸命教えてくれるけれど、自身も仕事で手一杯だったからたまに怒鳴るように喋る時があった。
3年間耐えろってよく言うから頑張っているけど、こんな仕事さっさとやめてしまえばよかった。そもそも向いてないんだよ。
定時にあいつは帰っていく。家族の元へ帰っていく。俺は一人、パソコンに向かっている。残業の方が気が楽だ。遅刻には厳しいのに残業にはルーズなのは何故なのだ。残業するから朝もっと遅くならないものか。次はそういう職種につきたい。もともと夜型なのだ。
あいつに必要な情報を聞くのを忘れた。確かめた、という事実を得ていなければ仕事は進められない。面倒ごとは嫌だった。
「もしもし」
歌うようなその声にいらだちを抑えながら必要事項を尋ねた。こういうとき、彼はしっかりと喋ってくれる。常にそうやって喋れよ。
ノイズがやけに混じった。
誰かと話していたのだろうか。繁華街にでも出たのだろうか。そんなものこの周りにはないというのに?
ずっと囁くような声が聞こえる。
もしや密会?奥さんと仲良かったはずなのに。
「笹原?おい、聞いてるか?」
あいつはまたバカみたいな喋り方をした。
今どこにいるんですか?と尋ねても会社のすぐ近くの路地だという。あの道が駅までの近道であると意気揚々と語る。
「誰もいねえよ?ノイズ?声?……お前聞こえるのか?」
この人にもこんな真剣な声が出せるのかと頭が馬鹿なことを考える。きっとこいつの陽気に当てられたのだ。頭が動かなかった。ああ、そういえば今日は明日は水曜日だなぁ、誰かと遊びたいな。
「この声が聞こえるのか、笹原、お前この後の人生楽しくなるぞ、よかったな」
関部長がそんなことを言った。でもその声よりも女性のような子供のようなキラキラした声が俺の耳を独占した。頭の中でそのキラメキが踊る。
「○○○○」
確かな言葉が聞こえている。けれどその言葉を聞き取ることは出来ない。いや、聞き取っていないのに意味だけは理解出来る。違う、言葉も理解出来ていないのに、言葉の表す余白を理解している。わからない、多分全てがわかった。
俺の中に何かが入った。
もう帰ろう。明日も早く帰ろう。仕事は適当でいい。力を入れたら失敗する。みんな幸せになるのは、きらきらだ。

「もしもし」
笹原部長のその声が嫌いだった。馬鹿みたいで脳がないのがわかるような声。いやだなぁ……。

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