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記事『校則という社会契約と人権の存在』

【日本国憲法の講義でレポート】
 これまで授業で扱ったテーマ(例:法とは何か?、社会契約、日本国憲法前文、天皇制、など)について、自分なりに調べ深めて述べること。
 2000文字程度。

高校時代、ネクタイをつけないという点で校長と口論になり、クビになった先生がいた。東洋を旅した経験もある英語の若い先生だった。私の通っていた高校は待遇がよかったようだ。ネクタイをつけたくないという信念を突き通したいがために捨てるには勿体ない職だったはずである。なのに、彼はネクタイをつけろという職場のルールを破り、拒否し、抗った。彼はなぜそこ
までしてネクタイをしたくなかったのだろう。
これと同じような状況としては、校則を破る生徒というものがある。髪色、髪の長さ、スカートの丈、化粧などたくさんの校則で私たちは縛られてきた。私はこれらに対し「校則を破り指導をされ時間とお金を無駄にするほどの信念はなく、破る人は無駄なことをする馬鹿だ」と思って
生活をしていた人間である。ここで、社会契約論を持ち出して考えてみる。私は、ホッブズの「リヴァイアサン」的考え方の持ち主だったのだろう。絶対権力としての学校があり、私たちは校則を守るという契約を行う。だから破るものはリヴァイアサンの手先である生徒指導に叱られる。
この学校の場合「万人の万人に対する戦い」のような出来事は、化粧を禁止せずに学生生活を送ると小さな学校の中で「化粧をする」が強者になり「化粧をしない」が弱者になる。そのため、化粧をしない人が化粧をする人に非難され虐げられることが想定される。これは現代社会ではよく起こっている。就職すればすっぴんでいることは接客業などでは許されないようだ。これは、日本では同調圧力を重視されている故ではないか。マズローの欲求段階説でいうと日本人は社会的欲求が強すぎる。他者に受け入れられたい、集団に所属していたい、という思いが強い故にその集団から外れるものを批判したい思いが強くなる。他者を否定することによって、その集団での存在を強調し、安定とその集団での上位をとろうとしているのだろう。
例に話を戻してみよう。化粧をしないことへの弾圧があるため、校則を破る生徒たちは化粧をするのではないか。すっぴんでいることなど耐えられることではないのだろう。大学の友人のツイートを見ていると「化粧する時間なかった、人権ないわ」「今日の前髪おかしい人権ない」などと身だしなみが上手に整えられなかったことで彼女らは人権を失うと思っている。人権はもちろん日本国憲法第二〇条に書かれているように化粧をしなかっただけでなくなるようなものでもなく、「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない」ものであり、「侵すことのできない永久の権利」である。
では、なぜ彼女たちは化粧をしないことで人権がなくなるというのだろう。この『人権』は重い意味を持たず、「批判されるかも」という嘆きであり、ある種のセルフ・ハンディキャッピングなのである。「化粧をしないことは罪だと思ってますよ、でもできなかったんです分かってるんですよ」と誰かに対して言い訳をし、誰かに許されようとしているのだ。それをしないといけないぐらい、彼女たちは化粧をしないことで社会から排除されると刷り込まれていると言えるだろう。
この刷り込みはどこで起きたのだろう。先に挙げたように高校まではたいていの場合、化粧を禁止している。そのため学校の授業で「化粧をしなければいけない」なんて教わることはない。
そして、本来禁止された化粧をわざわざ学校にしてくるような彼女らは楽しくて化粧を始めているはずである。化粧をするのはなりたいものになれるというわくわくが伴っていたのではないか。
しかし、その中には顔にコンプレックスがあり、それを変化させて良いものにしたいという思いが入っている。ここで、彼女たちは見た目を非常に気にしていることがわかる。その理由として、「顔が良くないと男にモテない」や「可愛くないとカーストの上には入れない」といった他者からの評価に左右されていたからというものがあげられるだろう。幼い時に他人に悪口を言われ、コンプレックスを作ってしまい、そのコンプレックスを隠すために化粧をする。だから、化粧をしないとそのコンプレックスをまた指摘され、悪口を言われるのではないかという恐怖心が出る。
そのとき、「化粧をしなくてもいいぐらい顔がいいなんて一切思ってませんよ」という心理が「人権ない」という言葉に繋がるのではないか。
そして、話を戻し、化粧を禁止する校則がなかった場合、彼女らは常に化粧をするようになるだろう。しかし、女性の中にだって化粧をしたくないと思う人もいるし、肌の関係などで化粧をできない人もいる。その時、化粧をする彼女らは「化粧しなくていい顔だと思っているの?不細工なのに?」と自分に対して思っていることを化粧をしない女性に対して言うだろう。その場では、リヴァイアサンは『化粧をすることが義務であると考える社会体制』であり、契約を守っている人は化粧をする人たちである。だから、化粧をしない人はリヴァイアサンの手先である化粧をするカースト上位なる人に処罰される。これを避けるために化粧を禁止する校則があるのだろう。
ここで、最初のネクタイをしないことを選びクビになった先生のことを思い出そう。ネクタイをするという規則は、誰を守るために存在しているのだろう。ネクタイをしていないと失礼だ、と思うのは誰なのであろう。いつの間にか存在した「ネクタイをしないのは失礼という社会」というリヴァイアサンは手先であった校長を使って、若い先生をクビにするという処罰を下した。
彼の「ネクタイをしない」は、日本社会以外での主流でもあるはずだ。だからそれを取り入れた結果、彼は日本社会の縮図である仕事現場から追放された。彼は誰のことも守っていないリヴァイアサンが存在していることに気づき、その末端であるが明確に存在した「ネクタイをしなければならない」というところに反逆し、改革をしようとしたのではないか。しかし、それは成功しなかった。なぜなら、日本は基本的人権の尊重という憲法のありがたさを知らないからだ。自分たちの力で勝ち取ったものではないため、ないがしろにしてしまうのだ。基本的人権をはじめに教えるであろう小学校の先生や親が、基本的人権を尊重されているという実感がないから、それは尊いことなのだと教えることが出来ないのだろう。ここで一度、日本の人権教育を見直さなければならないだろう。しかし、それを良い形で教える環境を整えるためには、大人の世界をクリーンにすることからはじめなければならない。日本国憲法に納得し遵守できる日本にしていくという自覚をもって、このレポートを終える。


【参考文献】
田中正人、2015 年、『哲学用語図鑑』、プレジデント社。
田中正人、2019 年、『社会学用語図鑑』、プレジデント社。
塩見芳則、2020 年、『図表と文字で学ぶ社会学入門講座』。
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(huffingtonpost.jp)(2021/02/04)
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