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SS『ネ申』

 俺は壁に背をつけている。目の前を男が通り過ぎ、パソコンに何かを打ち始めた。冷たいという感覚もなく、俺はそこにいる。アラーム音が体の中の空洞に虚しく響いていた。

 その日、俺はいつも通りターゲットの家に向かっていた。誰にも気づかれることなく、ぬらりと侵入する。調べた通りならば家主はシャワーに入っているはずだった。やけに静かな部屋。転がっている死体。一見、自然死のような綺麗な遺体には、喉仏に刻まれた筆記体のiの文字が赤く浮き上がっている。五分後に俺が作り出すはずだった死体と全く同じ姿だった。

「やっと会えました、イリエさん。私は貴方の大ファンなんです」

 咄嗟に振り返ると男が立っていた。ニタニタと笑う顔が近寄ってくる、一歩後ろに下がる。彼は天を仰ぐような素振りをして、そのまま俺に手を合わせた。その声は、落ち着いているようにも懇願するようにも聞こえた。

「貴方は私の神なんです。神でいてもらわなければならない。切り裂きジャックも捕まらなかったからこそ完璧でここまでの人気があるんです。わかるでしょう?」

 電気のついていない部屋の中で彼は俺に向かって話し続ける。唯一の出入口は彼が塞いでいた。針の音が空気を震わせる。彼の瞬きの音すらも聞こえるようであった。目が合っている。

「貴方にはもっと完璧で美しい存在になってもらわないといけないんです」

 その時、視界が歪んだ。全てが消え去るというのはこういう事なんだろう。最後に聞こえた言葉だけが自分の中の黒に解けた。

「僕が貴方を完璧にしますから」


 俺はそのまま死体になった。日々の習慣としてパソコンで何かを打ち込んでいた彼は立ち上がり、あの日よりも真摯な目で俺を見た。俺の体の周りには大量の新聞雑誌の切り抜きが貼られている。そこに彼は新たな記事を貼った。

『連続殺人鬼イリエに命を捧げる若者たちの真相に迫る』

『社会を恐怖に陥れるイリエの会とは』

 俺の遂行した殺人よりも多い事件が同時多発的に起きている。

「喜んでください、貴方を崇拝して事件を起こす人が増えてきましたよ。貴方に命を捧げる人も沢山います」

 俺の目だったものを覗いて、一段と笑みを浮かべた。

「美しい。神になったんです。貴方はもう永遠だ」

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