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SS『睡蓮と魚とわたし』

母が金魚の絵を買った。展示会で出会ったその絵は確かに素敵で、色は使われていない金魚が睡蓮の葉のそばに居た。出目金と言うやつだろうか、金魚の尾は長く、背筋のヒレまで私の心をそそる。
テレビの奥の壁に掛けられたその絵はいつも通りそこにある。数日前まではなかったはずなのに、そこにあるべきものとなった。
うちには元々黒い出目金がいた。名前は鯨。8年ほど生きた鯨は、もう私たちの元にはいない。けれど、その後釜として、オレンジと黒と赤が混じったような出目金を飼っていた。いつもその子を生かすためのモーター音が聞こえる。水が蒸発してしまうと水の落下する量が増えるからか、水が滴る音がする。
だから、その日もその音だろうと思っていた。私は一人、部屋で課題に勤しんでいた。大量に残っている課題を一つ一つ文句を言いながら退治していた。
ふと、水が流れる音がした。
涼やかな音がする。家には誰もいないはずだから、水道を使ってる人はいない。
私は何故かその音が気になった。階段を降りる音が響く。外は晴天とも言えない日だった。頭が痛くないのは何よりの救いだ。
リビングを見渡して、人がいないことを確認する。テレビの横にある水槽は水がしっかり入ってるから水流の音は控えめだった。いつも通り、彼女は優雅に尾びれを揺らしながら泳いでいる。それは私に足りないものだ、と感じる。
水の音が強くなる。
不意にあの絵を見るとその黒い額縁の中は水で満たされていた。
なんと綺麗なのだろう。
私はそう思って、見惚れていた。
睡蓮の葉だけが残されている。
やっと気がついた。
金魚がいない。
本来睡蓮の葉の横にいるべき金魚はどこかに行ってしまったようだ。満たされた水の中で泳ぐことを選ばなかったのか、それとも泳いだから額縁の中が水で満たされたのか、私にはわからなかった。
突然世界は音を立て始めた。ザーッと雨が降る。夕立か、空は少しだけ明るかった。
あ、洗濯物。
私はちょっとだけ湿ってしまった洗濯物を取り込み、部屋の中に干した。
金魚の消えた絵を見る。
すると先程までの水が消え、元の位置で泳ぎ出しそうな金魚が存在していた。近づいて見てみても、一滴の水すら見当たらない。当たり前だ、黒い額縁はしっかりと掛かっている。
黒とは言い難いその美しい金魚は、ただただそこに居た。いつも通り、そこにいる。
電話が鳴った。
私が目を外したその瞬間、ぴょんと跳ねたような気がした。けれど雨の音しかしなかった。


作中で出てくる作品は我が家に新しくメンバー入りした、
田住真之介さんの『睡蓮と魚』という作品になります。
素敵な絵をありがとうございます。
誠に勝手ながら使用させていただきました。
素敵な作家さんなので是非。

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