視野と余裕と心の器

「それ、私の職場の先輩のこと非難してるの?」と、むっとする事がある。特に、両親と話しているとき。

具体的にどうって言われると難しいけど。

だけど昨日、逆のことが起こった。
父の話に、母と私が非難する。
父は怒らなかったし機嫌を損ねることもなかったけど、「でも、」と繰り返していた。きっと、私と同じように自分の周りの人、大切な人が非難されるのが嫌だったんだろう。

非難って、視野が狭い。
私は何度も「視野の広い人間になりたい」と言っているけれど、果たしてなれていただろうか?
「視野の広い人間」を勘違いしていなかっただろうか?

そもそも、何をもって「視野の広い人間」としているのだろうか。

大切な、尊敬している両親の意見。
でもそれは、「いち他人」の意見でしかない。
両親も人間だ。その意見の中にはたっくさんの私情と、利益と、打算が入っている。それは仕方のないことだ。

その意見を「すべて」と思わずに、あくまで客観的に、いち意見として飲み込んで、「あ、こういう見方もあるのね」ぐらいで吸収できたらいいなと思う。それで、自分を形成するのに役立てばラッキー、ぐらいで。

だから、相談をされた時は「私の意見はね、」と言うようにしよう。「私はこう思う。でもこれは私のいち意見だから、参考程度でいいよ」と。

私も、そう言ってくれたらどんなに気分良く相談できたかと思うことが多々あった。

私の意見は、私だけが持っていればいい。
けして押し付けず、尊重する。
心の余裕と、器を広く持つ。

そうすれば、「視野の広い人間」に近づけるのではないだろうか。

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