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ワンダ目線でたどるMCU 『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』のラストに嘆いてます

「If you step out that door, you are an Avenger.(一歩外に出たら君はアベンジャーズだ)」

『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』(2015)で、ワンダ・マキシモフ(エリザベス・オルセン)がホークアイ(ジェレミー・レナー)にこう言われたシーンは、マーベル・シネマティック・ユニバースの作品の中でも、多くの人の記憶に残った名シーンだろう。

東ヨーロッパの架空の国ソコヴィアで双子として生まれたワンダは、10歳の時、襲撃を受け、両親を亡くした過去をもつキャラクター。不発弾を目の前に2日間もがれきの下に埋もれ、その爆弾に「スターク・インダストリー」のロゴがあったため、トニー・スターク(ロバート・ダウニー・Jr.)を恨むようになった。それから、自ら祖国のために実験体になることを志願し、超人となる。

『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』(2018)を見たとき、サノスという驚異の裏で、ワンダ&ヴィジョンのラブストーリーの美しさにも強く惹かれていた筆者。そのときに時間がなくて実現しなかった、ワンダ視点のMCUを改めて書き出したくて、今回振り返ってみる(※超ネタバレします)

ワンダは、10歳のころから“安息”がなかった。家を破壊され、両親も亡くし、人体実験に参加。さらには双子の弟ピエトロ・マキシモフ(アーロン・テイラー=ジョンソン)も、『エイジ・オブ・ウルトロン』で失った。その後、ヒーローを国連が管理するという「ソコヴィア協定」に反対し、スコットランドに逃亡。ヴィジョンと2年間の逃亡生活を行うも、マインド・ストーンを狙ったサノスの手下、プロキシマ・ミッドナイトとコーヴァス・グレイヴの襲来により、愛する人との日々は終わりを告げる。悲劇は重なり、『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』でヴィジョンは死去。ワンダはデシメーションで消滅し、『アベンジャーズ/エンドゲーム』で復活したが、悲しみに暮れ、無から有を生み出す能力“カオス・マジック”で生み出したヴィジョンと子どもたちとともに、六角形のエネルギーシールド“ヘックス”に囲まれた町“ウエストビュー”で、幼少期に見たシットコム風に置き換えた現実の中で暮らす(『ワンダ・ヴィジョン』)。

これが『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』までのワンダの生涯だ。実は、MCUにおいて、ワンダとピエトロの年齢は明確にはされていない。トニーが、スターク・インダストリーズの全兵器開発・製造の中止を宣言したのが2009年のこと。襲撃にあった10歳のころは、少なくともそれ以前の話となり、2015年の『エイジ・オブ・ウルトロン』では、10代後半〜20代前半と仮定すると、1990年〜1997年生まれごろだと推測される。

『インフィニティ・ウォー』が2018年なので、少し幅が出てしまうが、21歳〜28歳ごろだろうか。そう思うと、年齢に対して、あまりにも悲劇が多すぎる。

『明日、私は誰かのカノジョ』で、埋められない孤独を抱え、その寂しさを男で紛らわすパパ活女子のリナが、親友の雪に対し、こういった事がある。「だって、雪は私のこと抱いてくれないじゃん」「そういうことでしか埋まらない寂しさってあるもん…」

そんなリナに対し、雪は弱々しく「友達でしか埋められない寂しさだってあるよ」とつぶやく。そう。まさにワンダに足りなかったのは、これである。

彼女が生きてきた中で、唯一の安息で幸せと感じられたのは、おそらく両親を奪われる前の幼少期と、逃亡生活の2年間だろう。誰かと一緒に、いつまでも幸せに暮らす。おとぎ話の結末のような普遍的な生活が、ワンダには手に入れることが難しかった。そこに幼少期の家族との思い出である“シットコム”もさらなる執着の要因となり、ワンダは家族へのあこがれを暴走させていく。

人生、恋愛や家族だけがすべてではない。そんなありきたりな話、延々と語り継がれているわけだが、リナのようにインスタントな愛に溺れてしまう人は無限と出てくるわけで、ワンダが自らの能力を使って生み出した、簡易的な愛情に溺れてしまうのことを理解するのは容易い。

しかし、似たような境遇の少女として、『ストレンジャー・シングス』では、実験の末、超能力を得た少女イレブン(ミリー・ボビー・ブラウン)が登場する。研究所から脱走したイレブンは、偶然出会ったマイク・ウィーラー(フィン・ウォルフハード)と生活し、恋に落ちていく。しかし、年齢を重ね、思春期が濃くなるにつれ、たがいの気持ちがわからず、一度倦怠期を迎える。そこで描かれるのは、同級生の女の子マックス(セイディー・シンク)とショッピングをして遊ぶシーンだ。もちろんイレブンはマイクを失うこともないのだが、家族と恋の両方の愛情を注げる相手であるマイク以外の交流の楽しさも次第に学んでいくのだ。

大人の都合により、超人となってしまったワンダとイレブンの境遇は近いものがあり、自ら選択した相手との愛を育む経験も与えられる。でも、喪失だらけの人生の中で、幸せの引き出しがあまりにも少なかったワンダは、マルチバースのごとく広がる人生の可能性を知ることができず、一度味わった幸福の味に固執することしかできなかった。ワンダが、再びホークアイに出会い、『AoU』のときのように励まされ、さらに、ケイト・ビショップらティーンとともに、兵器やヒーローとしてではない、一人の人間としての喜びを手に入れられたら…。今回のワンダの結末を見ると、さまざまな「what if」が頭を巡らざるをえない。

映画公開後のVarityのインタビューによると、ワンダの闇落ちを、エリザベスが知ったのは、『ワンダヴィジョン』完成前のことだったそう。『MoM』で最も辛かったシーンは、別のユニバースの子どもたちが、闇落ちワンダに対し、ものを投げてくるシーンだという。撮影中、実際にエリザベスの顔にものが当たったらしい。(あのシーンのエリザベスの表情には、スタンディングオーベーションものだった)

笑いあり恐怖ありで、サム・ライミ映画としても、とても見ごたえのある本作だったが、ワンダがまるで心霊や悪魔のごとく、欲望をかなえるために、殺戮を繰り返すモンスターと化してしまったことを考えると、手放しに喜ぶことはできなかった。

『エンドゲーム』という一つの終わりを経て、新たなスタートを切ったMCUだが、供給量の多さと、サプライズの多さ、コロナでのスケジュール調整、など、さまざまな要因が絡み合い、以前と同じような熱とクオリティまで、軌道修正できていないのは明白だ。

足りないものを上げていくとキリがないが、ワンダの一件を見て、今のMCUに必要なものは“セラピスト”なのではないだろうかと考える。すべての家族を失った『ワンダヴィジョン』ワンダ、『ムーンナイト』で母親が存在しないことを知るスティーブン(オスカー・アイザック)、最愛の姉が自ら死を選んだことを知らされる『ホークアイ』エレーナ(フローレンス・ピュー)などなど、フェーズ4のスタートは、あまりにも苦痛を伴っている。

それはSNSの普及やコロナが猛威を奮ったことにより、メンタルヘルスがより重視されるようになった背景もあるだろう。「苦しみ」も「絆」になりうるほど、今を生きるには苦しすぎる。だからこそ、『ソー』や『GotG』の陽キャメンバーの帰還に期待がかかる。

痛みに寄り添ったり、浮き彫りにする共感フェーズは、もう終わり。世界中の人々が、耐え難い喪失を共有し合った今、求められるのは、そこから引っ張り上げてくれる力ではないだろうか。ワンダのような犠牲まみれのキャラクターに安息の地を与えられるようなMCUを待っていたい。



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