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ロシア、ウクライナ、ウズベキスタンとタジキスタン

(57番)  1996年   6月

ロシア、ウクライナ、ウズベキスタンとタジキスタン(旧ソ連一周)へ
行ってきました。
今回は飛行機が新潟空港から飛ぶので、まずは新幹線で新潟駅まで行き、そこからバスにて向かいました。
参加者は男性11名、女性10名の計21名でした。

今回のルート

1日目 6月13日
✈ 15:30 発 新潟: アエロフロート・ロシア航空
  食事に丸い餃子(ペリメニ)が出て何だか親近感を持った
  18:50 着 ウラジオストック(ロシア極東最大の都市)

ホテルへ

ここでは、男性の部屋に女性から電話がかかってくるが、無視をするようにと添乗員さんから注意があった。自分の部屋には2回も電話があった。
恐らく名前だけでは男女の区別がつかなかったのであろう。
海外旅行をしていてここまで露骨と言うかあけっぴろげと言うか、の経験は初めてで驚いた・・・一種のカルチャーショックだ。
1か月の平均給与が約2万円との事で、日本と比べると所得水準が低いのが原因かも。

TVをつけるとChannel Vという北京語の音楽番組で、松田聖子の「会いたくてMissing you」が日本語のままでオンエアされていて、更に目をまん丸くした。

2日目 6月14日
朝食後、ウラジオストックの市内観光

ウラジオストックとはロシア語で「極東を征服せよ」という意味。
これから、中国と同じようにスルーのガイドさんと現地のガイドさんと共に行動をする。朝から、台風並みの強風と大雨で散々であった。

ウラジオストック駅
ロシアを東西に横断するシベリア鉄道は全長9,297kmで世界一の長さを誇る。その発着駅である。
駅名がキリル文字で、「ああ、ここはロシアだ」と認識させられる。

ウラジオストック駅

海軍博物館
元は教会だった建物。第一次と第二次大戦で沈んだ2,766隻の軍艦を慰霊するために博物館として開放された。

グム百貨店
建築後100年近くの老舗で、建物の外観や石の階段などに歴史を感じる。

潜水艦C-56博物館
第二次世界大戦で実際にソ連海軍が使用していたもので、中に入って見ることができるようになっている。もちろん、陸に引き上げてある。
全長約78m、横幅は6.4m。
中は狭いし展示されている物も古めかしくて、速足で歩いて出てきた。

郷土博物館
19世紀のある家族の木造邸宅を公開している。当時使用されていた家具や調度品などがそのまま展示されている。

こちらでは日本の中古車が会社名などそのままの状態で走っている。これがこちらの人達のステイタスなのだそうだ。佐川急便の飛脚の絵が目に入って来た時は思わず二度見をしてしまった。今では日本でもこのトラックはお目にかかれない。

この後は自由時間

3日目 6月15日
✈ 09:00 発 ウラジオストック: アエロフロート・ロシア航空
  10:35 着 ハバロフスク(時差マイナス2時間)

ハバロフスク市内観光

コムソモール広場
アムール川の高台にあるウスペンスキー教会の前に広がっている。

栄光の広場
戦没者慰霊碑があって、第二次大戦後からずっと「永遠の火」が灯る。

ハバロフの像
17世紀にアムール川流域を調査したロシアの探検家の像でハバロフスク駅の前に立つ。

アムール川の遊覧
アムール川はロシアから中国に流れる全長4,368kmの川で中国語では黒竜江とよばれる。
船着き場から北上していき、8kmのところにあるハバロフスク橋でUターンをする。
橋は全長2,598mあり、2階建て構造で1階はシベリア鉄道の線路になっていて2階は自動車道。

遊覧船

✈ 19:50 発 ハバロフスク: アエロフロート・ロシア航空
  21:15 着 イルクーツク

本日は忙しい一日であった。ハバロフスクとの時差が2時間あるので、一日が26時間となり、24時を過ぎても外は真っ白で、これがまさに白夜というらしい。

4日目 6月16日
終日、世界最深の湖バイカル湖の観光

朝から強烈な太陽の日差しが窓から差し込んで暑いこと。
出かける際、ジャケットを忘れてバイカル湖に近づくにつれてドンドン寒くなり、後悔することしきり。
ここのガイドさんは名古屋に1年間、留学していたそうで日本語がうまい。

アンガラ川の展望
バイカル湖から唯一流れ出る川で、全長1,779km。
川幅は多分1km弱ほどだろうか。ゆったりとした流れで雄大さを感じる。

シベリア民族博物館
この地域にはもともとブリヤート人やテュルク系の民族が暮らしており、彼らについての資料と展示がある。

昔の教室(後ろはそろばん)

敷地内には「おろしや国酔夢譚」という1992年公開の日本映画のセットがそのまま残されていた。自分も見たことがあって、ロシアに漂着した大黒屋光太夫(緒形拳)が地球儀を始めて見て、日本のサイズを知り、「ちいせーのー」とボソッと言ったのがおかしくてよく覚えている。

日本映画のセット

バイカル湖クルーズ
この湖は5つの世界一を持っている。
1 長さ 636km
2 最大幅 79km
3 湖面からの最深点 1,620m
4 水量 23,000立方km
5 透明度 40m
湖面面積は世界第7位で琵琶湖の50倍以上

バイカル湖

途中で、船を停めて水が飲めるとのことで、希望者のみだが自分も飲んでみたら、石清水の味がした。

水の試飲

船は我々の貸し切りだったが、中から出て真っ白い屋根の上を歩く人が続出して、怒られた。足跡がついて汚してしまったから。

後記:ここで当時は知らなかった話「バイカル湖の悲劇」があるので記しておきたいと思う。

1920年1月から2月にかけて赤軍(ソビエト政府)に追われた帝政ロシアの復活を目指す白軍とその家族たちが8,000kmもある広大なシベリアを横断する「大シベリア冬季行軍」として知られる逃避行を行った。再起を図るために東へ逃げようとしたのだ。

当初、125万人いたのがバイカル湖に来るまでに100万人が凍死してしまった。
残りの25万人も凍結したバイカル湖を渡る際、マイナス70度の寒さで一人残らず凍死。遺体はそのまま放置された為、春になって氷が解け始めると湖の底へと沈んでいった。
それで、今でも湖の底には多くの遺体が眠っておられる。合掌

本日は大統領選挙だった。
CNNの開票速報では開票率が40%の段階で、エリツィンが34.3%、
シュガーノフが31.9%と接戦である。最終結果はご存じの通り。

「6月16日にはエリツィンに投票しよう」と書いてあるらしい

5日目 6月17日
午前中はイルクーツク市内観光
ここは金沢市と姉妹都市になっている。

スパスカヤ教会 →ボゴヤブレーニュ教会 →ズナメンスキー修道院(この辺りは大黒谷光太夫一行も滞在した)
→中央市場 

わらび(日本人捕虜が食べられることを教えたそうだ)
ボルシチには欠かせない赤かぶ
トラックでそのまま販売するパン屋さん(飛ぶように売れていた)

→州立美術館 →その後、自由時間

6日目 6月18日
✈ 09:05 発 イルクーツク:アエロフロート・ロシア航空
  10:15 着 モスクワ(時差マイナス5時間)

着後、クレムリンの観光
大砲の王様 →鐘の王様 
ウスペンスキー寺院(ロシアで一番大きい)

ウスペンスキー寺院

武器庫(宝物殿のことで未だかつて見たことのない宝物のオンパレードとその保存状態の良さに脱帽)
赤の広場(ここに立つことができて感無量!実は北京の天○○広場の方が約6倍広い)

赤の広場

→聖ワシリー寺院 

聖ワシリー寺院

→モスクワ大学(下から見上げるととてつもなく高い建物で圧倒された。スターリン時代の建物)

モスクワ大学

本日は1日が29時間となり、イルクーツク時間の朝01:30に夕食を食べていることになり、ロシアの広大さを思い知った。

7日目 6月19日
✈ 10:40 発 ウズベキスタン航空
  15:20 着 サマルカンド(ウズベキスタンの第二の都市)

ウズベキスタン航空

の予定だったが、強風のために飛行機がサマルカンドの空港に着陸できず、急遽タシケントの空港に着陸。16:00頃から20:00頃までタシケント空港で缶詰状態に。
何もない所だったので、退屈であった。売っていたアメリカンチェリーは美味しかったが。
20:00頃、タシケントを飛び立ったと思ったら、40分くらいでサマルカンドに到着した時はほっとした。

8日目 6月20日
終日、サマルカンドの市内観光

グル・エミル廟(14世紀にサマルカンドの栄華を作り上げたティムール朝建国者のティムールとその家族の霊廟)
レギスタン広場
1 ティムールの孫のウルグ・ベクのメドレセ(神学校)

ウルグ・ベクのメドレセ


2 シェルドルのメドレセ(イスラム教では偶像崇拝がご法度なのに虎が描かれている)

虎だけではなく人の顔も描かれている

3 ティリャカリ(金)のメドレセ

ビビ・ハヌイム モスク(中央アジア最大のモスク)
バザール(800年の歴史)→
ウルグ・ベク天文台(ガリレオの時代よりも前の六分儀がある)
→アフラシャブの丘(古代のサマルカンドがあった場所でモンゴル軍に破壊された) 
シャーヒ・ジンダ廟(預言者モハメッドの従弟のクッサム・イブン・アッバースという人のお墓もある)

因みに「スタン」というのは「~人の国」という意味。
ウズベキスタンはウズベク人の国でタジキスタンはタジク人の国となる。

9日目 6月21日
朝食後、イラン系ソグド人が築いた都市遺跡ペンジケントの観光へ。

まずは国境を越えてタジキスタンへ入国

ウズベキスタンとタジキスタンの国境(国旗は旧ソ連時代の物)

ペンジケントの遺跡
5世紀から8世紀にかけてソグド人(イラン系民族)が築いた都市遺跡。
あまり、発掘が進んでいないように見受けられたが、博物館には少し壁画が残されている。

ペンジケントの遺跡

その後、ウズベキスタンの首都タシケントへ向かう。

タシケント
ここは1966年にM7.8の大地震があり、ほとんどの建物が崩壊してしまったそうだ。崩れないで残った建物の中にナボイ劇場がある。
第二次世界大戦後の日本人捕虜達が建てた。設計はウズベキスタン人だが、実際の労働に従事したのはたくさんの日本人。海外に出るとこういった誇るべき日本人の話を聞くことがあり、今回も感激した。

ナボイ劇場

独立広場(旧レーニン広場)→ナボイ劇場(1947~1948)

ここには地下鉄も走っており、飛行機の工場まであって、都会で驚いた。

10日目 6月22日
✈ 09:10 発 タシケント:アエロフロート・ロシア航空
  11:24 着 モスクワ(ドボジェドボ空港)

出発がいきなり、1時間も早まった。エコノミーが空いてなくてビジネスクラスになったのはラッキーだった。しかし、飛行時間が1時間も余計にかかり、結局、予定通りになった。何だかよく分からない・・・

モスクワ市内観光

アルバート通り

アルバート通り

 →プーシキン博物館

✈ 20:00 発 モスクワ:(ブノコボ空港)ウクライナ航空
  20:20 着 キエフ(キーウ):ウクライナの首都
時差マイナス1時間

キエフの空港に着いた途端、綺麗な所で驚いた。街並みも緑が多くてホテルに着いて更に驚いた。全くの西欧風でとても快適である。

11日目 6月23日
朝食後、キエフ市内観光

ペチェールスカヤ大修道院(修道士が修行をしていた洞窟の跡地に11世紀に建設された。ロシア正教ウクライナ支部の総本山)→市立公園 

ペチェールスカヤ大修道院

聖ソフィア大聖堂(11世紀初頭のビザンチン様式の建設。「不滅の壁のマリア」と呼ばれるモザイク画がある)

聖ソフィア大聖堂

聖アンドレイ教会(サンクト・ペテルブルクの夏の離宮を設計したイタリア人建築家が1747~1754にかけて建設。エメラルドグリーンと白の壁がとても綺麗な教会)

聖アンドレイ教会

昼食はウクライナの民族料理

1980年のモスクワ オリンピック時のサッカー競技場(キエフのホテルから撮った)

→黄金の門(昔の城壁の一部)
→キエフ民族博物館(野外博物館で16世紀以降に建築された約300棟の木造建築や家具や農具などが展示されている)

✈ 17:30 発 キエフ:アエロフロート・ロシア航空
  20:00 着 モスクワ

🚃 23:55 発 寝台列車(白夜号)でサンクト・ペテルブルクへ向かう。
          二人部屋で清潔だし、なかなか快適だった。
          鍵のかけ方を教えてくれたおばちゃんは怖かっ                                                た・・・

12日目 6月24日
08:30 着 サンクト・ペテルブルク

サンクト・ペテルブルク駅

着後、市内観光へ

サンクト・ペテルブルクは1711年~1917年まで帝政ロシアの首都だった所で、昔はレニングラードと呼ばれたこともある。

ワシリー島の岬(赤色のロストラの灯台柱がある)
ピョートル1世の騎士像 

ピョートル1世

→ニコライ1世の像 
→聖イサク大聖堂(ロシア正教会で中にはたくさんのモザイク画がある)

聖イサク大聖堂

エリセーエフスキー商会(ネフスキー通りにある老舗の高級食料品店で帝政ロシア時代から営業している)

エルミタージュ劇場(夜にバレエ鑑賞。今回の旅行中でこれが一番気に入った。男性が女性を持ち上げる際、それまでの笑顔が一気に変顔になった。😖
一人の人間を持ち上げるのだから相当な力が必要なのだと妙に納得)

バレエ鑑賞

13日目 6月25日
水中翼船でピョートル1世の夏の離宮

水中翼船

ロシアのベルサイユと呼ばれており、庭園の噴水が見事である。
数々の噴水は自然の水圧で噴き出ているとか。

夏の離宮
夏の離宮
ケシの花が大きくてビックリ

エルミタージュ美術館
世界3大美術館の一つで所蔵は280万点。建物自体が世界遺産に登録をされている。ここは本当に素晴らしい美術館でもう一度行ってみたい。
ロマノフ王朝の女帝エカテリーナ2世が1775年に自分専用の展示室を作ったのが起源。
実際にエカテリーナ2世もここに暮らしていたので宮殿でもあり、内部の装飾なども大変すばらしい。

エルミタージュ美術館

夕食はロシアの民族料理

ロシアの民族舞踊を見ながら料理を満喫

14日目 6月26日
✈ 08:50 発 サンクト・ペテルブルク:アエロフロート・ロシア航                                                                                     空
  10:05 着 モスクワ

地下鉄乗車体験
ホームへ降りていく際、ものすごく早いエスカレーターでビビった。
平日の午前11時ごろなのに異常に混雑していて、モスクワって人が多いという事を実感。グループの皆さんもパニくっていた。

地下鉄の駅
旧ソ連時代に描かれた天井の絵
電車

ジプシーが多いので、貴重品には気を付けるようにと添乗員さんから言われており、座ってはいたが、緊張する。それとみて分かる人が目の前に立ったので、「どうぞ」と席を譲るふりをして離れた。すると「Thank you」とお礼の言葉が・・・😅

トレチャコフ美術館
まあ、ここも素晴らしい絵画の数々が展示されていて、圧倒される。
見たことがあると思ったのは「見知らぬ女、イワン・クラムスコイ」くらい。

ノボデビチ修道院
1524年にモスクワ大公のワシリー3世によって建築された。当時のフレスコ画が残されている。当初はモスクワ川の要塞だった。

✈ 19:20 発 モスクワ:アエロフロート・ロシア航空

15日目 6月27日
09:40 着 成田

今回はスペースの関係で食事については記載しておりませんが、一度だけあまりにも美味しかったのでお代わりをしたことがあります。それはバイキングで出た「ボルシチ」です。やはり、本場は絶品でした。

今回は海外旅行が34回目なので、写真を撮っておりました。
30年近く経つのに、結構劣化しないで残っており、良かったです。

ロシアとウクライナの戦争が一秒でも早く終わりますように

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