【エッセイ】"自責の念"の正体は
休職前面談の時、
人事担当者にこう言われた。
「これから先のキャリアの為、
今後また同じことが起きないように
今回起こったことの原因とその対策を
復職までに考えておくといいよ」
そんな建設的なアドバイスの言葉は
あの頃の私にとって
心を救う呪(まじな)いになり
心を苦しめる呪(のろ)いにもなった。
『悪い行いをすれば悪いことが起き
良い行いをすれば悪いことは起きない。
つまりこの災難を被った原因は
これまでの自分自身の中にあるはずだ』
この思考は社会心理学における
人間の思い込みであると言われており、
”公正世界仮説”と呼ばれるそうだ。
予測のできない出来事に対し
理由や平等性を求めるこの思考は、
自分以外の他者に降りかかった
ショッキングな出来事に対して
原因を被害者側に転嫁することで
自分にも同じことが起きるかもしれない
という不安から目をそらすための
一種の自己防衛本能による社会心理らしい。
私は今日、偶然Twitterで見かけた
性犯罪被害者に関する記事で
この言葉をはじめて知った。
そんな知識を持っていなかった私は過去、
無自覚のうちに『公正世界仮説』に囚われて
とてつもない自己嫌悪に襲われる
苦しい日々を過ごしたことがある。
ある朝目を覚ますと、
足が鉛のように重く感じ動けなかった。
空気は上手く喉を通り抜けてくれなくて
その気道をこじ開けるかのように
強い吐き気に襲われて
怖くて涙が止まらなくなった。
何を考えてもネガティブになる一方で
決して考えてはいけないことが
脳裏をよぎる瞬間すらもあった。
医者からの診断結果は
精神的ストレスによる適応障害。
学生の頃から憧れの会社で働けて
やりがいのある仕事と充分なお給料、
良好な人間関係にも恵まれていて
明確なストレスの原因というものが
どうにも思い浮かばなかった。
「キャリアに穴を空けたくない」
明らかな体調不良に見舞われながらも
そんなプライドが邪魔をして
なかなか休職に踏み切れない私に
上司や人事はこう声をかけてくれた。
「君のキャリアはまだまだこれから。
長い目で見て今は無理をする時じゃないから
まずは仕事から距離を置いてみるといいよ。
君の席はちゃんと空けておくからね」
この上ない言葉をかけてもらっても
私の不安は拭いきれなかった。
「自分でも気付かないうちに
こんな状態になってしまったんです。
この職場への不満は無いということは
もしかしたら私は”働く”ということがそもそも
向いていない人間なのかもしれません」
そんな私にかけられた言葉が
あの呪いの言葉だった。
「大丈夫、きっとそんなことないよ。
これから先のキャリアの為、
今度また同じことが起きないように
今回起こったことの原因とその対策を
復職までに考えておくといいよ。
そうすればまたちゃんと働けるはずだから」
そうして私は周囲の協力のおかげで
療養を目的とした休職期間に入った。
そして今回の出来事の”原因”を
ひたすら一人、考えた。
文字に起こしてみたりもした。
ただ、思い返してみても
仕事をしていた頃の日常にあったのは
取るに足りないほどの
他愛もない仕事への不満、
営業として当然の予算達成への責任感、
コロナ渦での不自由な暮らしが故に
明るい将来が見えにくいという
ありふれた不安感のみ。
明確なストレスの原因となりえる
私だけに降りかかった特殊な出来事など
どこにも存在していないように思えた。
同じ状況でも働いている人は
たくさんいるんだから、
私の不調には”原因”がないとおかしい。
休職させてもらっているんだから
きちんと原因の分析と今後の対策を練らないと
また職場に迷惑をかけてしまう。
そうやって”原因”を探せば探すほどに
最後に行きつく考えは決まって
”自分自身の精神的な弱さ”という
直視しがたい考えだった。
そうやって内省する休職期間の日々は
苦しくて苦しくて仕方がなかった。
『悪い行いをすれば悪いことが起き
良い行いをすれば悪いことは起きない。
つまりこの災難を被った原因は
これまでの自分自身の中にあるはずだ』
私の心が弱いからこんなことになったんだ。
そうやって”原因”を定義づけたところで
対策なんて見出せなかった。
考えるほどに虚しくなるだけだったので
もう”原因”なんて考えるのはやめて
ただただ静かに流れる日常を
人のぬくもりを感じながら過ごした。
半年間の不安定な日々を
家族や友人に支えてもらい
医者からの復職許可はおりた。
しかし、結局元の職場に戻ることはなく
そのまま転職をして今に至る。
その決断に後悔はない。
自分の中にあるのは
精一杯の理解を示そうとしてくれた
家族や友人や主治医、そして職場の人たちへの
伝えきれないほどの感謝の気持ちだ。
ただ、あえて後悔があるとしたら
私自身を苦しめた
”自責の念”というものの正体が
社会心理的に人間が陥りがちな
”公正世界仮説”という
過度なバイアスである事実を
もっと早くに知りたかった。
一人一人に起きる出来事に
平等性なんて決してない。
どうせ不平等な世の中なんだから
自分を責めたって状況は好転しない。
せっかくならもう少し、楽に生きてみよう。