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【短編小説】ヘビースモーク


日曜日の午後1時、
ベッドに寝転び手持ち無沙汰な私は
弓を引いては射るかのごとく
タイムラインの更新を繰り返していた。

0コンマ3秒のあいだ
グレーのビジーカーソルを眺めて待っていると
一枚のウエディングフォトが映し出された。

海辺の夕陽に照らされて
花嫁とまっすぐに見つめ合うその横顔は
あの頃私が、どうしようもなく好きだった
儚くて遠いあの横顔だった ────────


「よっミカ、ひさびさ!
悪いんだけどさ、1本もらってい?」
声のする方を振り向くと、
指を軽く二本立てながら手を上げるナオキがいた。
「おぉ、久しぶりだね。…別にいいけど」
「悪ぃな、サンキュー」
ナオキはそう言っておどけながら
私の隣、灰皿の真正面に腰かけた。

空きコマの喫煙所に人はまばらで
なんとなく気まずくなった私はナオキに尋ねた。
「てか、やめてたんじゃなかったっけ。
最近全然来なかったじゃん」
器用に火をつけ一吸いすると
ナオキは煙と共にゆっくり吐き出した。
「あー。別れたんだよ最近」
私は一瞬はっとしたが、
それを悟られまいと平然と返した。
「そーなんだ。禁煙チャレンジまた失敗じゃん」
「だなー。全然続かねえや」
切なく笑うナオキを横目に、
私は愛想笑いでごまかした。

ナオキはいつもそうだった。
「彼女が嫌がるから」と言って禁煙をして
「彼女ができたらやめるから」と言いながら
別れる度に私の隣にゆらゆら戻ってくる。
そうして口寂しいだとかなんだとか言いながら
キャメルのフィルターで唇を塞ぐ。

そんなナオキを待つ間、
私は13箱ものキャメルを空箱にしてしまった。
この瞬間の為だけに二十歳の肺と肝臓を酷使するなんて
我ながら本当にばかばかしいと思う。

「今日はまだ授業あんの?」
半年ぶりの1本を灰にしたナオキは
灰皿に火の気を押し付けながら私に尋ねた。
「んーん、これで終わり」
「バイトは?」
「今日はないよ」
こちらに顔を向けナオキはいたずらに笑った。
「ひさびさに飲み行かね?」
「ありだね。行こっか」
高ぶる気持ちを抑えつつ落ち着いて返事をした。
「トイレ行きたいからちょっと待ってて」
「おう、いってらっしゃい。
俺もちょっとそこのコンビニで1箱買ってくるわ」

キャンパスの無駄に明るい洗面所の電球は
浮足立つ私の顔を正面から明々と照らした。
薄れたリップを唇に丁寧に塗り直した私は
小走りで彼の元へ急いだ。


ネオン街から1本小道を抜けると現れる
さびれた赤提灯の店が私たちの行きつけだった。
いつものカウンターに腰掛けると
生ビールを2つ頼んだ。

ナオキは新品のビニールを剥きながら話す。
「いやー、まじこういう店が一番楽だよなー。
そこらじゅう禁煙の店ばっかでさ、
息がつまる日々だよな」
「ほんとにね。今夜は気楽にいこうよ」
ナオキはなんだか嬉しそうにこちらを見た。
「やっぱ安定のミカだわ。ありがとな。乾杯!」

ナオキの素直な言葉に私の方も嬉しくなり
その夜は、二人して酔っ払った。


目が覚めたのは朝の10時を過ぎた頃だった。
時刻を確認してから体を向き変えると、
腕枕をしながら眠るナオキの寝顔があった。

最悪だ。終わったと思った。

寝ぐせのついた前髪をかき上げ
ため息を吐きながら起き上がると
ナオキは鼻で大きく空気を吸い込んで
薄目を開けてこちらを見た。

「ん…ミカおはよ。寝れた?」
ナオキはこの状況が当たり前かのように
優しく私に語りかける。
「うん。てかごめん。こんなことなって」
寝ぼけ眼をこすりながらナオキは言った。
「なんでミカが謝るんだよ。
てか、どうしよっか。俺たち付き合う?」
「は?え?なんでそうなるの」
「え、好きだからだよ。ミカのことが」
「そうなの?」
「うん。そうなんだよ」


それから過ごした
ナオキとの自堕落な2年間は
他にはもう何もいらないほどに
私の体中を満たしてくれた。

煙が顔にかかるといけないからって、
お店はいつもカウンター席に座った。
着飾ったお店はたいてい決まって
禁煙だったから行けなかったけど
ナオキと肩を寄せ合いながら食べるご飯は
どんなに安くても、世界で一番美味しかった。

ナオキの部屋に入り浸っていた私は
朝になると隣で目覚めて
ベランダで一服をする彼に
キッチンでブラックコーヒーを淹れて待った。
夜になるとカーテン越しに
スマホの液晶と小さな赤い火が照らし出す
彼の顔をぼんやり眺めてソファーで眠った。

ナオキの肩にもたれながらテレビを見ていると
彼の指が私の髪を優しくすいた。
彼の指にこびりついた紙の匂いは
頭の上を撫でるごとに
どんな華やかなシャンプーのよりも
落ち着く香りを放っていた。

手持ち無沙汰で口寂しくなれば、
彼は私の唇を塞いでくれたから
気付けば私はヘビースモークを卒業していた。

そんな私にナオキはいつも
「ミカは俺のそのままを受け入れてくれるから
無理して変わらなくていいんだって思える。
ほんとに楽で、安心する」
そう言って優しく頭を撫でてくれた。

それが私には誇らしくて
ありのままのナオキを受け入れられるのは
この世界で私一人だけなんだと思えた。


付き合って1年が経った記念日、
私は彼にシルバーのジッポをプレゼントした。
「ナオキすぐライター無くすから、
ちゃんと大事に使ってよね」
ナオキはそれを嬉しそうに受け取ると
それからはいつも大事そうに
四角い箱とジッポを持ち歩いていた。

付き合って1年半が経った頃、
気付くとナオキは
ジッポを家に置いて出かけることが増えた。
朝まで友達と飲む頻度が増えたが、
キャメルが空箱になる頻度は減った。

嫌な予感がした私は
テレビを見るナオキの正面に回り込んで
恐る恐る問い詰めた。
「ねぇ、最近なんか私に隠してることある?」
ナオキの顔がピクついたのが分かった。
「なんで?なんか俺のこと疑ってる?」
「いや、その。なんか不安になってしまって」
溜め息と共にナオキは吐き捨てた。
「はぁ。ごめん、ちょっと1本だけ吸わせて」
そう言って私の前から逃げて行った。

別れ話は淡々と進んだ。
要は他に好きな人ができたんだと。
私は妙に落ち着いていて、彼はまた
他の人のところへ行くターンが来たんだと
自分で自分を納得させた。
そのうちまた、口寂しくなって
私のところへゆらゆらと
また帰ってくるのではとすら思っていた。

しかしそれから
ナオキを大学の喫煙所で見かけることは一切なく、
そのまま私たちは卒業した。



━━━━━━。
数年ぶりに更新された彼のインスタには
花嫁を愛おしそうにまっすぐ見つめる姿が写っている。

ねぇ、ナオキ。
どうして私じゃダメだったんだろう。
ナオキはあのまま、
何も変わらなくても良かったのに。
それを私が受け入れてあげられたのに。

尚も手持ち無沙汰で口寂しい私は
ベッドから体を起こしベランダに出ると
小さな火を灯して一服した。
唇から吐き出されゆらゆら漂う灰色の煙を
私は一人、愛おしく見つめた。

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