見出し画像

社会人俳優

ものすごく放置してしまいました。
引くほど放置してしまいました。反省しています。

言い訳なんですが、父が亡くなって落ち着くかと思いきや魔の2018年後半は更に怒涛の展開を見せる訳です。
父がバツ○(回数は伏せます)だったことがわかったり、異母姉妹がいることがわかったり。地震が起こったり、演劇祭が延期になったり。仕入れ金を貸したり、職場がつぶれたり。

やはり勤め先がなくなるということはダメージが大きかったです。
ふらふら旅に出ようかとも思いましたが、夫(8つ歳下)という家族がおり世帯主は自分だし当然ながらすぐに次の職が見つかればそれに越したことはないわけで、まもなく再スタートを切ることを選びました。

安定して芝居をする環境を作るには定職に就く必要がある訳で。

プロとして、芝居だけで食べていくようになろうと思ったことはあります。
むしろ大学に入学するまではずっとそう思っていました。

高校時代は最初、進学するつもりはなく、卒業したらポンと東京に行こうと思っており、それを父に話したところ、大学くらいは出ておけ、そこでコネクションが作れる、東京の大学に行け、プロになるのはそれからでいいと強く勧められ、ならばそうしようと進路担当の森先生に相談した訳です。
先生は親身に大学探しを手伝ってくれました。

ある日、廊下の向こうから目を輝かせて森先生が走ってきて言いました。「新井田、喜べ、お前にぴったりな学部が出来るぞ!」

なんですと。

先生の手に握られていたパンフレットには、次世代の舞台で活躍する作り手を担うコースが誕生、その一期生になりませんか、という様なことが一面写真付きで書かれており、その大学というのは、札幌の大学でした。
札幌か、と顔に出てしまったであろう私に森先生は魔法のワードをささやきます。
「ここなら推薦で入れるぞ」

学校の勉強が嫌い・努力が嫌いな私が落ちるには十分な言葉でした。
まあ、ここで楽な道を選んでしまったばかりに後々人一倍苦労する羽目になるのです。

大学卒業間近にあっけなくコースは人手不足で廃止が決まり、落胆した教授は東京の劇団にコネクションはあるが、ゼミのメンバーに斡旋はしないと(おい!)それぞれがんばってくれとあっさり職を退いてしまわれました。
在学中にありとあらゆる知り合いたちが東京に行き、羽をもがれ帰って来るのを見た事もあり、また、部活の延長線上のような(ある意味部活の方が必死にやっていた)同期を目にし続け、自分の居場所は大学には無いと、何故みんな札幌から離れていくのか、札幌がそんなに駄目なのか、地方で地道にやり続ける人がいてもいいんじゃないかと、いろんな思いを抱きながら卒業後すぐに就職もせず(本当にやり方がわからなかった)バイトをしながら演劇を続けました。
そして非正規雇用で流れ流され精神と肉体を削られいい加減大人になり、身近な人の助言もあり、そうだ、「芝居やるために」専門職になろう。と思い立ちwebデザインの勉強をし、今に至ります。

むしろ、あの大学は自分にとって足枷だったのです。
念のため言っておきますが進路担当の森先生には全く非がありません。
あんな少年のような笑顔で勧められいいかもと直感で決めた自分の直感は本当に悪い意味で「持ってるな」と思います。
高校時代の教員が皆アホみたいにいい人過ぎたので盲信的になってたっていうのもあるんじゃないかと思います。

それもこれもあり今の私があります。

写真はタージマハールのカレーとフルーツナンです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?