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ちゃんと、大人になりたかった①

はやく、ちゃんと大人になりたい。
ずっとずっとそう思っていたのに、結局私は間に合わなかった。


0.はじめに

こんばんは、奏葉です。

今回からは、人生で最も私を変えてくれた経験について書いてみたいと思います。

…とは言っても、簡潔に言ってしまえば、
「うまくいかなかった初めての恋愛のお話」という一言に収まってしまう訳なのですが。

私のこれまでの投稿の中には “家族のことを引きずって周りの人を傷つけたことがある” という内容が度々出てきたと思いますが、今回はまさにその経験についての話です。
なので、内容としては私の家族の話、そして初めての恋愛の話、という二本立てになっています。


そして、初めに書いてしまいますが、これから書く内容は明るいものではないですし、私にとってはとても恥ずかしい話です。
今でも思い出すだけで後悔でいっぱいになるし、自分の人間としての未熟さに、穴があったら入りたいような気持ちになります。
だから勿論、そんな内容を文章にするのは自分の恥をさらすような行為だということも分かっています。


それでもこの話を書くのは、自分の中でこの経験をちゃんと過去にしたいと思ったからです。
後悔と罪悪感でいっぱいの辛かった思い出だけれど、それだけで終わりにはしたくない。

思い出すだけで痛いような記憶でも、それでも自分を変えてくれた本当に大切な経験だから、
自分の中で噛み砕いて言葉にして、ちゃんと自分の栄養にしたい。
そうしたら、ほんの少しでも成長できるかもしれない、って
そう思うからです。

なので、読んでくださる中で、私の未熟さに腹が立つ場面が多々あるかもしれませんが、その際は温かく見守って下さると嬉しいです。

(そして、どうしても当時の自分の感情を綴っていくため、家族や元恋人を悪者のように見ている心理描写が出てくるかと思います。その部分でご不快になられる方がいらっしゃったら申し訳ありません。

ですが、現在は当時とは違う感じ方、考え方を持っているということもまたご理解頂けたら嬉しいです。)


そして、この話は余りにも長くなってしまいそうなので、いくつかに分けて投稿したいと思います。
シリーズで書くのは初めてなので、うまく書けるか、そして最後まで書き切れるのかということが少し不安ではありますが、頑張ってみます…!


それでは本編に入りますが、今回はまずイントロダクションとして私の家族の話になります。
ここではまだ “彼” は出てきませんが、今しばらくお付き合いください。

1.私と家族の話(幼少期編)


家族の話。
その話をしようと思うと、私はいつもどこまで話そうか躊躇ってしまう。
だって、自分でもよく分からない部分がいっぱいあるから。

- -

始まりは、4歳の夏。
その頃私は幼稚園の年中さんで、両親と3人で暮らしていた。
両親は共働きで多忙だったから、一緒にいてくれたのはいつも祖母だったけれど、それでもごく普通の幸せな家族だった。

そんな中、ある日突然母が入院した。

診断は胃癌。
腰が痛い、背中が痛い、と言って様々な病院にかかっていた中で、まさかの結果だった。

そして、同時に宣告されたのは
「あと残り3ヶ月しか生きられない」ということ。

そうして、大好きだった母は、あっという間に私の前からいなくなってしまった。

- -

その後はしばらく、父と2人で暮らした。
父は仕事で夜遅くまで帰ってこなかったけれど、父がいない時間は今まで通り母方の祖母が来てくれていた。
だから、母の死を理解できない私にとっては今までと何ら変わりのない日々だったのだと思う。

その頃の記憶はほとんど残っていないけれど、父が作ってくれたおにぎりの形だけはなぜか鮮明に覚えている。
おにぎりを三角形に握れない不器用な父が作ってくれた、俵型のおにぎり。
今思うと、父も必死だったのだと思う。


でも、そんな日々も1年と少しで終わった。
父から告げられたのは、新しいお母さんができるということ。
そして、夏になったら弟が生まれるから、新しいお母さんのところに引っ越すのだということ。

そうして私は小学1年生の夏、義理の母の地元に引っ越した。
母が亡くなって、わずか1年後のことだった。


- -


でも、新たな地で私を待っていたのは、義理の母の実家での生活だった。
なぜか父も義理の母も私と一緒に暮らすことを選んではくれず、私は突然、義理の祖父母と叔母と暮らすことになったのだ。
その理由は今でも知らないけれど、きっと初めての結婚だった義理の母のことを思って、とかそんな理由だったんだろうなと思う。

でも幼かった私は、そんな突然始まった生活にも、案外すぐ慣れた。
勿論6歳という年齢のせいもあっただろうけれど、今思うと義理の祖父母家族は本当によくしてくれたのだと思う。
見ず知らずの私に冷たく当たることもなく暖かく接してくれたし、食べ方の礼儀だとか、しっかり厳しくしなければいけないところは厳しくしてくれた。今でもそのことは本当に感謝している。

それでも、自分では気づかないうちに、色々な部分で歪みが生じていった。
「寂しい」という気持ちをはっきり輪郭のあるものとして捉えることはまだできなかったけれど、気付けば隠れて母方の祖母に電話をするようになっていた。

そしていつからか、「ここで自分が生きていくためには、良い子でいなければいけない」ということもはっきり分かり始めていた。

幼いとはいえ、見ず知らずの人達に「育ててもらっている」ということは理解できていたし、
そんな状況で生きていた私にとっては、どんな自分でも無条件に愛される、なんてことはないのだと分かっていた。

- -

義理の祖父母には本当に良くしてもらったと思っているけれど、私にとっては未だにどうしても忘れられないエピソードがある。

それはある日の夕食のことだった。
いつものようにたわいもない話をしながらご飯を食べていると、義理の祖父がギギーッと大きな音をたてて椅子を引いた。
そして、その音に驚いた私は思わず「うるさい」と言ってしまった。

すると義理の祖父母は、私が祖父の言葉に対して「うるさい」と言ったのだと誤解して(良く覚えていないが、その時義理の祖父は私に説教めいたことを言っていたらしい)
「おじいちゃんの言葉にうるさいとは何だ」と怒った。
私がどんなに、「おじいちゃんの言葉に対してじゃないよ、本当に椅子の音に対して言ったんだよ」と言っても聞く耳を持ってはくれなかった。

そしてその日から、義理の祖父母も叔母も私と口を聞いてくれなくなった。
いつもの通りご飯は食べさせてくれたけど、露骨に素っ気ない態度で、挨拶も返してくれなくなった。

誰も言葉を交わしてくれない、今思うとたったそれだけのことだったけれど、私の毎日は簡単に地獄に変わった。
だって、あの頃の私にとってはあの家と学校だけが世界の全てだったのだ。


そんな日々を数日耐えたある日、父と2人だけで車に乗る機会があった。
普段は父に愚痴はあまり言わないようにしていたけれど、その時はあまりにも辛くて、自分なりに勇気を出して事の顛末を父に打ち明けた。

すると父は、「それは奏葉が謝った方が良いんじゃないかな」と言った。
意地を張ってしまって今更謝りづらいならお父さんも手伝うから、だから謝りなさい、と。

その時私は、言いようのないほどショックを受けた。


確かに私だって悪い。
「うるさい」という言葉は良い言葉ではないし、言ってしまったこと自体悪いことなのだから、私だって謝るべきだ。
それにこの状況を終わらせるには私から謝るしかないってことくらい、私にも分かっている。

でも私にとって大切だったのは、そんなことではなかった。
私にとって大切だったのは、ただ、「自分がしていないことをしたとは言いたくない」ということだった。

私だって早くこの状況から抜け出したかった。
だから謝ってしまった方が楽だった。

でも、ここまで拘ったのは、自分の正しさを曲げたくなかったからだ。
自分の言ったことを信じて欲しかったからだ。
私が「していない」と言ったのならそうなのだと、私を信じて欲しい。ただそれだけが望みだった。

確かに義理のおじいちゃんおばあちゃんは仕方ないかもしれない。
でも、お父さんだけは信じてくれると思っていた。
お父さんだけは、私が謝らないのはおかしいと気付いて、訳を聞いてくれると思っていた。
お父さんにだけは信じて欲しかった。

そう思った時、自分の中で急速に、何かが熱を失っていった。

_ _

結局その後、私は義理の祖父母に謝った。
そして、2階にある叔母の部屋にも謝りに行った。
階段の下には父が立って私を見張っていて、そんな中で私は階段を一歩一歩、ものすごい時間をかけながら登って行った。
最後の抵抗だったけど、やっぱり父は気付いてくれなかった。

「おじいちゃんの言葉にうるさいと言ってしまってごめんなさい」
そう嘘をついて謝ったら面白いくらい簡単に日常は元通りになったけれど、代わりに私の中では何かが壊れてしまった気がした。

- -

でも、そんな義理の祖父母との生活も、約1年であっけなく終わった。

その理由はまた父にある。
小学校2年生の春、父はまたしても突然、私だけ父方の祖父母宅に引っ越さないかと提案してきたのだ。

でも父方の祖父母宅は新幹線で行かないと辿り着けないほど遠くにあるから、行ってしまえばもう簡単に父には会えない。
だからどうしても行きたくなくて、初めて父に抵抗した。
今の生活が辛くても、父と会えなくなる方がずっとずっと嫌だったから。

そうして小学校2年生の秋、私は母方の祖母の元へと引っ越した。
父と離れることは寂しかったけれど、電車で1時間あれば行ける距離だし、何より幼い頃から面倒を見てくれた祖母と一緒に暮らせることが嬉しかった。

ここから、今日まで17年間続く、祖母との暮らしが幕を開けることとなる。



…というところで、第一章は終わりになります。

気持ちのままに一気に文章を書いたら、初回から大分長い文章になってしまいました。
果たしてこんな投稿を最後まで読んで下さる方はいるのでしょうか、、笑

私もこんなに長い文章を書いたのは久々だったので(しかも内容が内容ということもあり…)ここまで書いて、思わずふぅ、と一息ついてしまいました😮‍💨

まだまだ書きたいことがまとまっていない部分も多いので今後どのくらいのペースで投稿できるのかは分かりませんが、
他のちょっとした投稿なんかも挟みつつ、何とか最後まで書き切れたら良いなと思います。

ようやく卒業試験も終わったので、学生のうちに文章にしたいと思っていたことを頑張って形にしていきたいな、とちょっと意気込んでいる今日この頃です💪

いつにも増して長くて自分事の文章でしたが、
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました🌼


もうすぐ12月。
朝晩はぐっと冷え込むようになってきたので、あたたかくしてお過ごしくださいね。🧤

明日からまた始まる日常に備えて、みなさまがゆっくり休めますように。
日曜日、良い夜をお過ごしください🌙





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