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<ミュゼオロジー2・課題1>

 先日、博物館実習のスクーリングを終えてしまい、もはや通信での勉強は終わってしまって、寂しい。
 レポートでは、たくさん課題のテーマになってもらった茅ヶ崎市美術館。地元とつながった素敵な美術館だなと、いつも感じていた。学生が終わってしまうけれど、定期的に通いたい。

以下レポート。

地域の美術館としての在り方と収蔵品についての考察

 美術館とは、訪れる人々が美術作品の実物に触れることによりその鑑賞から意義や学習を見出す場所である。美術館は作品を展示するために作品を所蔵するか、または作品を所蔵する個人や媒体から借り受けて、それを展覧会として企画する。美術館にとって収蔵品は根幹であり、収集活動が重要であることは明らかである。国や県、市などの、公的な団体が運営する美術館と、私的な美術館、例えば財団法人などの団体の運営がある。予算決定など運営方針は、各々の美術館によって様々である。

 美術館が資料収集に勤しむのは当然であるが、そこには予算を捻出する外部の管理者という団体がある。公立であれば県や市、指定管理制度であればその指定先の団体である。収集についての権限はおそらく美術館側、専門家に任せられているだろう。しかし予算には限度もあるから、展示不可能である資料について、将来の展示に活かされる価値のある資料だとしても、甚大な支出になる場合には購入は難しいのではないか。なぜなら美術館資料とは個人コレクションでは無いし、所蔵する全ての資料は市民に還元されるべきであるとどこの美術館の創立意義にも定義されていて、美術館としては収集するにあたっては収集した資料をどのようにして市民に還元するのかを熟考しなくてはならないからだ。この最大の目的を達成するための方法を考えることは美術館の存続の意味でもあるのではないか。

 今回、美術館の運営状況を調査するにあたっては、近隣となる茅ヶ崎市美術館を選択し、美術館と茅ヶ崎市の運営団体が外部に向かって提供している資料を探した。開館して二十五年となる茅ヶ崎市美術館は、地域と共にあることを強く意識しているように感じられた。茅ヶ崎市美術館は1998年4月に、茅ヶ崎駅から南方に程近い高砂緑地という公園の中に開館した。その運営の意義は「市民の余暇活動活性化のために所蔵美術品の展示で市民に還元する」であり、情報発信の取り組みは、ウェブサイトが主でワークショップの様子など載せられている。指定管理者制度により、公益財団法人茅ヶ崎文化・スポーツ振興財団が運営している。公開された一番近い資料によれば、「平成29年度(1)展覧会事業 予算額 11,122千円(関連催事を含む)」とあった。収蔵品の購入予算の記録はない。2021年度までの報告書も公開されたが総予算の記録はなかった。各企画展の結果と評価が細かく掲載され、一つ一つの企画展示、ワークショップについての報告は丁寧で、次年度の企画へと真摯に向かっていると思われた。

 収蔵品に関して、主に美術館のウエブサイトのデータベースを元に調査し、まとめた。データベース1292点のうち、主に茅ヶ崎市美術館にて展覧会を行った作家の作品が多くを占めていた。一番多い収蔵品は画家馬渕聖で170枚の絵画を所蔵、1998年9月に展覧会が開催されていた。茅ヶ崎市美術館としては、地域に根ざして活動していた作家たち、あるいは湘南地方に転居して来た作家の作品を多く収蔵し、紹介している。中にはその多くを寄贈された場合もみられた。浮世絵についても160枚以上の収蔵品があった。調査中にちょうど茅ヶ崎市美術館の存続とその経緯についての展覧会があり、それによれば収蔵品は二千点だそうでウエブサイトには全てが挙げられていないようだが、この企画展のキャプションから、美術館と地域との仲を繋ぐ歩みも知ることができた。令和3年から4年の観覧者数は23408人で前年度より6千人増加していた。地域の美術館としては堅実ではないだろうか。

 ミュージアム収蔵品の今日の問題点についてインターネットで調べ、取り扱いについて「処分」問題があることがわかった。これは博物館の問題であるが美術館においてもあり得る問題である。さらに、美術館の舞台裏として学芸員の著した資料によれば、収集した資料に展示不可能とされるものが数多くあるという。ルーヴルのバックヤード写真からもそれは伝わる。資料として一般公開できない場合、それは専門家や研究者のみが接する特権的な資料になるのかという疑問も浮かんだ。確かに、貴重な資料であってもキャプションを作ることができないと単に「不明」としか書けないわけだから展示のしようもない。表舞台に展示されている作品は収蔵品のごく一部なのだろう。しかし、不明品であろうと貴重であれば所蔵し、研究の末に展示も可能になるのだから美術館として収集すべきなのだろうが、重要なのはその美術館の基本研究に差し迫る資料をどこに絞るかではないか。

 美術館は多くの資料をコレクターからも買い取ると説明する書籍資料があった。では、その反対に一時的にコレクターに預けるというのはどうなのだろうかと考えた。保存状態の問題もあるだろうが、資料の居場所が判明していれば、展覧会にその資料が必要になった場合、貸与してもらうという方法も取れるのではないか。

 収蔵品の数や種類、その貴重さというものが美術館の主要性であることは理解できるし、鑑賞者の動員数を確保したりできることもわかる。しかしそれのみが強調され、集めることが先走ってしまうと、結果として解明出来ない資料収集の集積が主体になり、市民への還元などは先送りではないか。

 美術館同士のネットワークがもしもあるとすれば、その中で収蔵品を手放すという整理の選択も、もしやあるのではないかと考察した。(2184字)

課題を終えて:美術館の運営状況を、公開されている公益財団法人茅ヶ崎文化・スポーツ振興財団サイトから調査した。

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