お帰りなさいはまだ言えない
昨日のお昼に観たドラマ『クラスメイトの女子、全員好きでした』のことを思い出す。
ヒット作が出せなくて苦悩する編集者が出てきて、ああそうだよな、と腑に落ちる。
みんなおもしろい作品を探しているんだよな。
わたしの作品を探している人も、もしかしたらいるかもしれないんだよな。
でもわたしがそれを外に出さなくちゃ、見つけてもらえるものも見つけてもらえないんだよな、と。
すごく当たり前のことなのに、全然気が付かなかった。
どこかで公募していないんだろうか、と思いつきでnoteを検索すると、たくさんのメディアが協賛しているページにたどり着く。
マンガとか脚本とか小説はよくあるけど、エッセイってなかなかないんだよなあ、と全く期待しないでスクロールしたリストの一番上に「エッセイ部門」の文字がある。反射的に締切の日付を探す。7月23日。文字数は1万字。
文章を書くのが得意かどうかと言われると、正直なところわからない。
でも、好き。深い息ができるような感覚になる。
思い返してみると、最近まで、文章をきちんと褒めてくれる人はほぼいなかったような気がする。
中学の弁論大会で、1年生の時に優秀賞、3年生の時に最優秀賞をもらったことはあるけど、わたしの文章の何が良かったかという批評はもらえなかった。
大学入試では1次試験で小論文を書き、2次試験で筆記試験と面接試験を受けて入学した。
ちなみに当時のわたしは英語が壊滅的すぎて、高校のおじいちゃん英語教師に「よく……合格したね」と言わせた歴史がある。
どのくらい壊滅的かと言うと、試験の帰り、電車で付き添いの姉(得意教科:英語)に問題用紙を見せたら10秒もしないで「がんばったね」とつき返されるくらい。
あとで聞いたら「最初の問題から間違えすぎていてちょっと見てられなかった」そう。
わが姉ながら容赦ない。
入学後、事務局へ行く用事があり、そこでわたしの受けた入試方法を聞かれた。答えると、職員の方に「えっあの選抜入試で合格されたんですか?!すごく難しいって聞いたのに」と驚かれる。そうなんだ、と少し嬉しくなったのを憶えている。
そういえば卒論を書くためのゼミも、担当教授に直接スカウトされて入った。わたしのリアペ(リアクションペーパー。講義後に感想を書いて提出する小さい紙)を読んでくださった別の教授には、「あなたに合いそうだから、これよかったら読んでみて」とホチキス留めの長いレジュメをもらったこともある。
その教授は小説の本を出していて、講義のあとに「先生の本読みました!サインお願いします」と単行本を持ち教壇へ駆け寄っていく学生がいたりした。
それを見て、都会ってすごいなあ、本を出してる人はじめて見た、と思ったことを思い出す。
あと話は違うけど、中学の英語の授業のときに、なぜか長文の日本語を読む際必ずわたしを当てる先生がいた。いつも必ず、毎回。
だいたい英語の授業なのだから英文を読ませるべきなのに、なぜか日本語の、すごく長い文章。
それをわたしが長々と朗読をし、それをクラスメイトが聞く、という謎の時間がたしかにあった。
覚えている子いるだろうか。
長くなったけどつまり、どうやらわたしの文章は(少しは)評価されているらしい、ということを、ものすごく恥ずかしいけど書いておく。
自慢話をしたかったわけではないので長々と書いたことを許してほしい。だって、毎日をどんなに正直に愚直にていねいに生きていても、黙っていたら誰も褒めてくれないという真実に、ついに気がついてしまったのだよ。
ここに嘘はひとつも書いていないけれど、わたしの文章を面と向かって褒めてくれたのは家族と、1人の友人だけだった。
その友人はすごく賢くて優しく、すべてを持っているのにそれを鼻にかけたりしない本当にすてきな女性で、中学で出会ってからずっとわたしの憧れ。
彼女に文章を送るたび、くすぐったくなるような、嬉しくて舞い上がりそうになる言葉をくれるので、彼女一人のためだけにせっせと新聞を作って送信した。最近観た映画やドラマ、読んだ本、好きなアーティストのことなんかを題材にして、いくつものエッセイを詰め込んで。
その聡明な友人はわたしの作品について「これは大勢の人が読むべき」だと言ってくれた。
それなのに、情けなくなるほど臆病で慎重なわたしには、それをSNSに上げて全世界に発信できるクオリティも、勇気もなかった。
だから圧倒的にアウトプットよりインプットが多くなる。小説もエッセイも映画もドラマも、たぶんものすごい数吸収している。いろんなものを見ているという自負はある。
じゃあ、そろそろ、いいんじゃない?と自分の中で声がする。自分の気持ちを外に出して、誰かに読んでもらっても。
じゃあ何を書こうか、と考える。最近心を震わせるような出来事はあっただろうか。これまで書いてきた自分の文章を一度見直してみてもいいかもしれない、そこで膨らませたいエピソードとかあるかもしれない、と思ったところで、はっと気がつくことがあった。
あのことをどこにも書いていない。2024年下半期からはじめた、誰にも見せていない日記にも。
まだわたしの胸の中にしかない風景。
それは今年の春のできごと。ゴールド免許保有者のわたしは、5年ぶりの運転免許更新にやって来ていた。
少し時間は遡るけど、そのことを知ったのは今年のはじめ、まだ寒い冬の頃に読んだTogetterの記事でだった。
わたしは生理開始二週間前になるとメンタルが落ち込み、Togetterの記事を永遠に読み続けることとスマホのパズルゲームしかできなくなる時期がある。
生産性がゼロになるからこの時期は全く好きではないのだけれど、息をするようにやってくる暗い気持ちから目を背けるために、スマホの画面を永遠とスクロールしたり、パズルの四角いピースを合わせたりしてしまう。
月の半分はこの生理前の落ち込みメンタルに振り回されている。何の前触れもなく、なんならすごく軽やかに「死にたい」と思ってしまう。
「全てが嫌だな」と。
お風呂に入っていても、洗いたてのシーツにくるまっても、推しのライブDVDを観ていても。
正直、普通の人の顔をして普通に生きているふりをするので精いっぱいだ。家の中では生理前ネガティブモンスター。家族、ごめん。
ともかくそんな時にひとつの記事を見つけた。運転免許証に旧姓が併記できると書いてある。
2019年11月にはじまった制度だそう。
わたしの次の免許更新はいつだっけ、と思いをめぐらす。今年だ。すぐやろう。
ここでも慎重なわたしは、「旧姓併記 デメリット」でちゃんと検索した。困ることは何もない。やるべき手続きとその順番をスマホに書き出して保存。参考になるURLも。
免許更新のお知らせハガキが来る前、用事で実家に行く。さっそく母に制度の話をし、次の更新で実行する旨を伝える。
母は結婚前から看護師として働いていたのだけれど、結婚後名字が変わっても、旧姓の刻まれた名札を交換することができなかった、とずいぶん前に話してくれたことがある。
「この名字が好きでね。なかなか決心がつかなかったんだけど、ある日婦長さんに、そろそろどうかしら、と言われてね、泣く泣く交換したの」。
寂しそうにうつむく横顔。テーブルには湯呑みと急須。当時まだ独身だったわたしは、「そっか」と小さくつぶやくことしかできなかった。
「免許証に旧姓が併記できるようになったんだって。お母さんの名字、戻ってくるよ」と伝えた時の、母の嬉しそうな笑顔が目に焼きついている。
わたしが前回免許を更新したのは5年前、2019年の5月だった。免許証に旧姓併記ができるようになる半年前。
当時わたしは28歳で、もうすぐ3歳の子どもを育てるのに必死で、毎日生きるか死ぬかの瀬戸際だった。日々命がかかっている上に社会と断絶された生活を送っていたので、そんな制度ができようとしていることすら知らなかった。
過去を振り返るついでに、結婚する際、姓を変えるのに躊躇しただろうかと思い返す。
していない。
そういえば中学生の頃、先の友人と交換日記をしていて、その中で好きな子と結婚したら〇〇って名字になるんだね、と無邪気に笑い、意中の人の名字と自分の名前を並べて書いてキャッキャしていたことがあった。平成の中頃の話。
あの頃、結婚とはそういうものだと思っていた。女性が名字を変えるのが当たり前で、疑問すら持たなかった。こわい。
結婚に対する認識が何も変わらないまま大人になり、元気に婚姻届を記入。もちろん姓を変えるのはわたしで、そこに疑いの余地はない。
ちなみにだけれど、婚姻届をもらうため市役所へ行った時、紙が全体的に茶色で驚いたのを憶えている。えっ緑じゃないんだ。
あとなぜか離婚届も同時にもらえると思っていたので、婚姻届しか出してくれない職員の方に外出用の笑顔を振りまきながら、わたしの脳内ではクエスチョンマークがうずまいていた。
このことを後日両親に話した際、涙を流して笑われた。
わたし「だってさテレビで婚姻届なんて観たことないもん。それにみんな当たり前のようにたんすから離婚届を出してくるから、どこのうちにもあるんだなあ、あっ婚姻届とセットでもらうのか、と思ってた」
両親「(爆笑)じゃあうちのたんすにもあると思ってたの?」
わたし「うん。ないの?(笑)」
両親「ないよ(爆笑)。市役所の人はどんな感じで渡してくれると思ってたの?」
わたし「ご結婚おめでとうございます。こちらが婚姻届です。で、こちらは皆さんにお渡ししているのですが……おそらく不要なものであるかと存じますが……(小声かつ早口で)離婚届も一緒にお渡ししておきますね、って感じで」
両親「(爆笑)」
無知とはおそろしい。
去年の夏、およそ10年ぶりにゼミの仲間たちで集まった。みんなほとんど首都圏住みだけれど、わたしは地方住まいなのでオンライン参加。その中で、結婚後名字を妻に合わせている男子がいて、おっと思った。ここに貴重な5%がいるぞ。
結婚の際、名字を妻の名字にする男性というのは全体の5%だと聞いたことがある。あとわたしが知る中では中高時代からの友人の夫がそうだ。自慢じゃないけど友人はごく少数なので、その中で2人もいることに何となく誇りを感じるとともに、安易に自分の名字を変えることを選択した自分を後ろめたく思う。
線が引けると思ったのだ。結婚前と結婚後で、自分が新しく生まれ変わるような気持ちになっていたのだ。全然違う自分になれた気がして嬉しかった。
でも、そんなのは幻想だった。改姓後何年経っても、いくつ歳を重ねてもわたしは「わたし」で、名前が変わったくらいでは何も変わらず、むしろ何もかもが変わってしまった。
夫の名字で呼ばれて嬉しかったのは最初だけだった。次第に、自分を「誰だよ」と思うようになっていった。
ずっと仮面をかぶって暮らしているような感覚。誰もわたしの素顔を知らないし、興味もないという思い込み。視野がどんどん狭くなる。
自分の名前が気に入らないというのはけっこう苦痛だ。名は変える手立てがあるようだけれど、この場合の氏にはほぼ離婚しか方法がない。
結婚後、夫と妻の姓を統一することが法律で定められているのは世界で日本だけだという。理由は「家族の結びつきを強めるため」。
じゃあ何かね、日本以外の国は、結婚後名字を統一しないから家族の結びつきが弱いとでも言うのかね。それ、国際的な会議の場でも言えるんだろうか。
文句を垂れる奴は自分がやってみればいいのだ。ものすごい手間と時間とお金をかけて、名字というアイデンティティを捨ててみればいい。想像以上に傷つくことも知らないくせに、やったこともない奴がわたしの自由を奪っている現実は、絶対におかしい。
もっとも「やってみたけど平気でしたよ」等というコメントが聞きたいわけでは決してない。
わたしは、結婚後名字を変えるかそのままでいるか、自由に選べる選択肢が欲しいだけなのだ。
誰に対する憤りかもわからないまま、肩をいからせつつ市役所へ向かう。
運転免許証に旧姓を併記するための最初のステップ、「住民票の書換え」をするためだ。
窓口の女性の左手薬指にはシルバーリング。あんまりやらない手続きなのか、マニュアルを見ながら対応される。施行されてもう5年くらい経つ制度なのに、と軽い失望を覚える。
思い込みかもしれないが、「名字くらいで騒いだりしないで、おとなしくしてりゃいいのに」という声がどこからか聞こえる気がする。
同じようなことをずいぶん前に思ったことがある。大学に入学して、都会にも少し慣れてきた頃。何かの講義──図書館司書課程か一般教養、もしかしたら教職課程の授業だったかもしれない──で、年配の女性教授が放った言葉に、ほんの19歳だったわたしは思ったのだ。
差別なんて感じたことないけどなあ、おとなしく枠にはまっていれば楽なのに。男だ女だと騒ぎたてる方が波風立つのに、と。
思えばこの時の教授の言葉が、わたしが最初に触れたフェミニズム思考だったと思う。残念ながら彼女の言葉それ自体は覚えていない。でも、その時の講義室の風景、時間帯、自分の気持ちはありありと思い出せる。
思い出せるけれど、あの時のわたしは誰だろう。わたしじゃない誰かみたいだ。
黙っていても苦しくないなら黙っていればいい。でも、少なくとも今わたしがこの生活を送れるのは、声を上げた先人たちがいてくれたおかげだと知っている。誰かが我慢しなくてはならないいくつもの制度は、先人たちの勇気によって少しずつだが変えられてきた。今、わたしが口を開いても何も変わらないかもしれない。でもただ黙ってうつむいているよりはきっとましだ。
「こちらに旧氏で氏名をご記入ください」と促され、ペンを動かす。およそ10年ぶりに書いた、かつてのわたしの名前。
前触れもなくすごい勢いで涙があふれ、あわてて下を向く。窓口の人は気がついたかな。気がついたかもしれない。驚いたかな、驚いただろうな。何より、わたしがいちばん驚いていた。
泣くほど好きだったんだ、この名前が。すごく珍しいというわけじゃないけど、どこにでもあるというわけでもない、わたしの名字が。
旧姓が併記された住民票をかばんにしまい、涙目を悟られないようにしながら市役所をあとにする。こんな紙切れ1枚じゃ全然満足してないけれど、ともかく最初のステップはクリアした。
後日、今度は更新のため免許センターへ。満開の桜並木のしたを車で走る。あいにくのくもり空だったけれど、見事に咲き誇る桜を目のはしで捉えながら、これから免許更新はこの時季に来ることにしよう、と思いつく。ついでにお花見もできちゃうなんて、本当にわたしはいい季節に生まれたなあ。
さらっと書いたから「ああこの人は運転がまあまあできるんだな」と思われた方もいるかもしれない。満開の桜並木のした、車を走らせているんだものね。
だが実際は違う。本当は運転はめちゃくちゃ苦手だ。決まった道しか走らない。でっかい駐車場があるお店しか行かない。踏切のある道は避ける。高速は乗らない。
いろんな恥をかなぐり捨てて書くけれど、神経がほそすぎるのだ。後続車との車間が狭すぎるとか、近くでクラクションが鳴ったとか、救急車のサイレンが聞こえる気がするとか、小さなことにいちいちビビりちらかしてしまう。
尊敬する小説家の江國香織さんも歌人の俵万智さんも、どちらもわたしと同じような理由で「運転は二度としない」と仰っていた。
ところが悲しいことに、わたしが住むまちには車を運転しなければどこにも行けないという動かぬ事実が横たわっている。このまちの人たちはみんな平気で車を操っているので、運転が苦手だなんて口が裂けても言えない。生きていくために、必要に迫られて、必死の形相で日々運転しているのだ。
なんとか免許センターに到着し、でっかい駐車場のさらに空いている場所へ慎重に駐車。
そういえばはじめての免許更新のとき、後ろからめちゃくちゃ煽られてマジでこわかったな。
逃げ切るみたいな気持ちで免許センターの駐車場に入ってほっとしていたら、その車も同じ場所に駐車していて、こいつも免許更新に来たんかいと力が抜けた。
初心者マークが外れたばかりの車を煽りながら免許センターへ向かう人の気持ちは、わたしには一生わからない。
気を取り直して入り口をくぐる。わたしは免許センターでの更新手続きが好きなのだけれど、共感してくれる方はいるだろうか。
そこでは手続きを迅速に済ませるための工夫がそこらじゅうにされていて、係の人の手つきも含め、行くたびにほれぼれしてしまう。
建物じゅうから「きびきび」という音が聞こえてくる気がする。
さあミッションスタートだ。新しい免許証に、わたしのかつての名前を印字してもらおう。
受付でその旨伝えると、やはり係の人たちがばたついた。これは市役所でも同じ感じだったから動じないけど、やっぱり軽く失望する。
担当してくれた、優しそうな女性の左手薬指にもシルバーリング。この人の免許証に旧姓は併記してないのかもな、と悲しい気持ちで立ち尽くす。
プラスチックのカードに結婚前の名前が印字されたからってなんなのだろう、と手続きの最中に突然弱気になる。
みんな騒がずわめかず、免許証に結婚後の名前しか載っていなくても、静かに日常を送っている。それができればどんなに生きやすい人生だっただろう。悲しいけれどわたしにはできない。
誰に対する抵抗なのかわからないけれど、半分意地みたいな気持ちで手続きを遂行した。
出来上がった新しい免許証を受け取り、待合のいすに座ってしばし眺める。わたしが普段使っている名前の隣に、かっこ付きでかつての名前が並ぶ。
うれしい気持ちがふっと胸に広がる。この気持ちに色がついているとしたら桜色だ、と思いながら、久しぶり、と口の中で小さくつぶやく。
本当はお帰りなさいと言いたかった。でもまだ言えない。わたしがわたしの名前を完全に取り戻すのは、一体どれくらい先のことなのだろう。
できるだけはやくその日が訪れることを切に願いつつ、お昼は何を食べようかと考えながら、免許センターをあとにした。
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