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ショートショート13 「女子高生とネオン」

ひとりの女子高生が、学習塾での自習を終え、繁華街を駅に向かって歩いていた。色とりどりのネオンサインを頂き、天に向かってそびえるビルの群れは、空にいる何かに向かって差し出された花束のようだったが、それらは、色目は華やかな割りに、洗練された印象はなかった。

どのビルの壁面にも、雨で付いたのであろう不気味な液体を流したような、おどろおどろしい汚れが付着していたし、ネオン文字は、どれもが昭和ゴシックとでも呼べばいいのだろうか。太く、大きく、ハッキリ書かれた書体で、スマートさを感じさせない。

このモヤのかかったフィルターを通して撮影したような街の雰囲気を昭和情緒と呼び、すき好む人もあるみたいだが、彼女にとっては、前時代の遺物にしか思えなかった。今は令和の時代。二時代も前の建造物で街が彩られてるなんて、もはやファンタジーではないのか。二時代前と言えば、大正時代から見た、江戸時代。当時のモダンガール、モダンボーイと言われた若者たちが、きっと田舎に行けば残っていたであろう峠の茶店なんかを見かけた時、同じような気持ちになっていたのかも知れない。そんなことをツラツラと考えながら、彼女はスマホに目線を落とし、歩き続けていた。

ふいに道行く人々のクスクスッと笑う声が耳に入った。それも、ひとりやふたりではない、5〜6組の友人同士、カップル、家族連れが彼女の背後に目線をやって、指をさしたり、スマホで写真を撮ったりしている。こんな面白みのない街並みの中に、何をそんなに興味をそそるものがあるのだろうか。振り向いて確かめてみようと思ったその意思は、

「見て、あのパチンコ屋。看板一文字消えてる。」

「…プッ、ホントだ。」

というカップルの会話で削がれた。

なんというくだらない。いい年をした大人が、そんなことで馬鹿みたいに笑って、写真まで撮っているのか。彼女は、この街に、そして日本という国に心底落胆した。そんなネタで喜ぶのは小学生までで卒業してほしいものだ。わたしは、こんなに夜遅くまで、将来のために勉強しているというのに。

大体、なぜあのネオン看板は、よりにもよってあの一文字だけ消えるのだろう。人目を引くためにわざとやっているのではないか。目的のために手段は問わないなんて、大人はなんと汚らわしいのか。

くだらなくて、下劣で、品性に欠けて、卑俗で、厭らしくて、不道徳で、醜い。あの単語で笑う、こんな人たちの中から早く立ち去りたい、その思いで彼女は歩を早めようとした…が、

「パパ〜、あの光ってるかんばん。パンやさんなのかな?」

小さな男の子の声により「え?パン屋さんって?」と思わず振り向いてしまった。正義感あふれ、清く、誠実な彼女の目に飛び込んできたのは、

『パ ンコ』

と一文字分の輝きを失った看板だった。

(べっ、べべべべべ、、別に、、、わたしは!!!)

誰が聞いているでもない、心の中での言い訳を繰り返しながら、彼女はギュッとうつむき、早歩きで家路を急いだ。

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