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ショートショート134「頭上の数字」

「やってしまった……」

 私がそれに気づいたのは取引先に見積もり書を送信した後。何気なく内容を見返したところ、見積もり項目が2つ抜けているのに気付いた。

 どうしてこの類のミスって、注意深く見ているはずの作成時には気づかなくて、ぼんやり眺めている時に気づいてしまうんだろう。

 あーーー、と頭を抱えていると、カシャカシャと頭上で音がした。

 慌ててトイレに駆け込み鏡で頭の上を見る。朝は「25」だった数字が「28」に増えていた。


◆◇


 きっかけは、なんだったのかな? まだ解明されてないんだけど、ある日を境に日本人の頭の上に数字が浮かぶようになった。

 その数字は、他人のものも視える。なんなら肉眼でなくたって視える。テレビに出ているキャスターや、SNSに上がっている写真でも、数字を確認できた。

 一体何の数字なんだろう? 社会全体で色々な推論がされた。

 これは、その人の寿命だ。この世の終末の序章なのだ、と宗教団体が声高に叫んで、一部界隈で支持を得た。

 ネットでは「これはいわゆる戦闘力なのでは?」「きっと才能の数値だ!」「経験値、とか?」と色々な意見が飛び交った。

 数字は、安定せず日々変化した。

 増えたり、減ったり、と目まぐるしい。

 数字が視えるようになってから一ヶ月ほど。色々な人の数値が変化した出来事を統合して考えた結果、これは

「不幸の数値」

 であると結論付けられた。

 何が数値の基準なのか、よくわかってないけれど、嬉しいことがあったら減って、悲しいことがあったら増える。それは確かだった。

 数値が多ければ、多いほどその人は不幸ということらしい。本人の感じ方はあまり関係がないらしく、数値は客観的にその人の不幸値を表した。

 自分で視える分には便利かなぁ、と思えるのだけど、如何せん他人からも視えるのは始末が悪い。

 仕事上、仕方なくという付き合いの場なんかで、容赦無く数字が増えていくので、気まずいといったらありゃしない。

 まぁ、それでも人類が終末を迎えるようなディープな未来の前兆という訳でもなさそうだ。

 社会は、徐々に数字のある生活に慣れていった。


◆◇

 

「はぁ、どうして私ってこんな不幸なんだろう」

 隣の席で暗い顔をしているのは、先輩のKさんだ。

 数字が視えるようになる前から、不幸マウントがすごかった。

 いつも男に逃げられる……。いつも仕事で貧乏くじを引かされている……。

 後輩を捕まえては不幸エピソードを語っている、そんな人だった。

 数字が出るようになってからは、不幸のお墨付きを得たようなもので、

「今朝は、43になってたの……」

 と数値の報告が伴うようになった。

 43って、地味だなぁ、なんて思うものの、職場には40台の人がいないから、まぁ、うちの会社の中では不幸ナンバーワンってことは間違いない。

 でも、なんだろう。前々からこの人って、不幸だなぁ、と言いながらそれを自慢したくて仕方がないって印象だったんだよなぁ。

 それが生きがい、みたいな。

 まぁ、その考えは間違ってなかったみたい。

「私に幸せになる資格なんてないんだわ」

 と、大きくため息をついた先輩の頭上で

 数値は静かに減っていってるのだから。


<了>

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