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きれいは汚い 汚いはきれい

性違和を持つ者としてありのまま〝インサイド•トランスジェンダー〟を綴ります。

私にとってMTF(男から女へ)トランスジェンダーになるということは、綺麗になると同義。綺麗になるために努力を欠かさない。

ところがいつの間にか自己流になるのが私の化粧の癖。そこで昨日から目元の化粧法を再学習中。小筆でNaked12色パレットの4〜5色使ってぼかしを入れる。お気に入りの資生堂のアイライナーで仕上げる。マスカラは私には無理で捨てた。ふと思う。

女は何のために綺麗になろうとするのか?

普通は「恋するため」「幸せになるため」だろうか。よく言われるのが「化粧をすると前向きになれる」「おだやかになれる」のはわかるようになってきた。「自分を売りたい」「商売だから」というのもあるだろう。私の歳だと「若く見られたい」。ともかく女には生理的かつ遺伝的に「綺麗になりたいスイッチ」が入るのだろう。

では男は何のためにきれいになろうとするのか。

近頃の男性は「恋するため」「キリッと見せたい」「抗加齢」などだろう。それらは女と似ている。では私はどうだろうか。根底にあるのは「女性化」である。女性のように綺麗になりたいのだ。

私は自分のその気持ちを素直に認める。それまでの私は女性にモテないコンプレックスや、結婚後に不倫に目覚めるという女性問題を抱えていた。「女になりたい」「女のように美しくありたい」自分に気付き、その欲望に素直になると、それまでの陰気で引きこもりだった自分の殻から抜け出せることができた。私の綺麗になることの出発点は、引きこもりの自分、汚れた自分からの脱出である。私にとっての女性問題は人生の再構築であった。

これまでの自分を葬るために綺麗になろう!

そこで思い出したフレーズがある。シェイクスピアの『マクベス(Macbeth)』は、マクベスが魔女の予言と夫人のそそのかしで王様を殺す。その葛藤、罪の意識をもちながら破滅に向かう。魔女たちが集ってマクベスを陥れるときの呪文のような言葉。

きれいは汚い、汚いはきれい(Fair is foul, and foul is fair.)」

女になりたいトランスジェンダーの私にとって、綺麗になることは汚いことから始まっている。不浄感からの脱出である。その道は正しいと思っているが、では(すでに私はアラカンだが)もっと歳をとり、もっと皺が増え、もっと肌がくすみ、魔女たちのようになったとき、どう思うだろうか?

自分を汚いと思うのか。汚さの下には綺麗があると自分を慰めるのか。

わからない。そのときが遠くなるように、もっと少しでも綺麗になりたい。だから明日も、そのまた明日も、そのまた明日も、女性化に励む。


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