続・コロナ下の本選びを考える~『おとなのワクチン』

先月、わたしが図書館で見つけた本は予想以上に興味深い内容だった。

わたしは感染症にそこまで関心があるわけではない。けれども、一般向けの感染症解説本、とりわけコロナ禍以前に出版された本にはどんなものがあるだろうか。それはコロナ禍のいまでも読むに耐える内容なのだろうか。先のエントリを書いてから、そんなことが気になりはじめたわたしは、図書館や書店へ足を運ぶ機会のあるときはそういう本の眠っていそうな棚も探索するようになった。そんな中、書店で発見したのが本書

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かるく立ち読みしたかぎりわるい感触はなかったものの、興味本位で衝動買いするのはためらわれる価格だったので、後日図書館で借りることにした(行きつけの図書館にはなかったので取り寄せになった)。

見た目によらない「超本格派」!?

サイズはB5版、手に取るとソフトカバーで厚みは控えめ。表紙には全体的に淡い色彩のイラストが描かれ、「おとなのワクチン」というこれまたシンプルなタイトル。右上には「子どもだけじゃないおとなに足りないワクチンをわかりやすく解説」と簡潔な説明文が添えられている。装丁を見るかぎり専門書のようなとっつきにくい雰囲気は感じられない。同時にある種の素人向けの本に見られるうさんくささやまがまがしさもとくに感じられず、期待が高まる。本を開いて序文を読んでもとくに違和感はなし。目次を見渡しても解説されている話題は順当な内容。最後の「予防接種証明書の書き方」を除いては――。

要するに、本書は素人向けではない。実際、出版社の紹介文には「一般臨床医のために成人患者向けのワクチン情報をまとめた1冊」と書かれている。プロ向けの本にありがちな雰囲気が感じられなかったのでつい出来心で手に取ってしまったけれども、どうやらわたしの手に余るレベルの本らしい。衝動買いせずに図書館を利用したのは賢明な判断だった。とはいえ、取り寄せまでして借りた本だし、プロ向けだからと読まずに返却するのも気が引ける。大体、プロが読むことを想定して作られた本なら、少なくとも一般向けのものよりは内容的にしっかりしているはず。そう考えたわたしは、とりあえず読んでみることにした。

門外漢でも意外に読める

結論から言うと、本書は素人のわたしでもそこそこ読めた。プロ向けのため文中では医療関係の用語が説明なしに使われる場面も多く、素人にはたしかに読みづらい。一方で1章の「総論」は専門用語などは比較的少なく、また各節のテーマは専門家でない人にとっても参考になりそうな項目が多く見られる。「そもそも予防接種・ワクチンとは」からはじまり、「効果と集団免疫」では感染症の基本再生産数と集団免疫に必要な集団免疫率の関係を手短に解説。また「生ワクチンと不活化ワクチン」のちがいについても述べられている。接種方法の「皮下注と筋注」のちがいについても解説がある。接種時の痛みを感じにくくする方法について、接種する側とされる側双方の立場から書かれており、なかなか実践的。しかし素人にとって気がかりなのはなんと言っても「副反応」だろう。「副反応と救済制度」の節では「有害事象」「副作用」「副反応」という用語の使い分けが基本から解説されている。世間では新型コロナウイルスのワクチン接種がはじまっており、こうした使い分けのあいまいな情報を報道やそれをもとにしたSNS上のコメントなどの形で目にする場面は今後増してくると見られる。この下りは専門家でなくても読む価値があると言える。

2章以降はお好みで

総論のあとは各論に入る。さまざまな感染症について個別の解説がはじまるので、内容はかなり専門的になってくる。まったくの興味本位で本書を手に取っているわたしのような素人にはさすがに読み通せない。プロはひと通り読む必要があるとしても、素人は各自の気になる節を拾い読みできれば十分ではないだろうか。ちなみに、わたしがいちばん印象的に感じたのはHPV(ヒトパピローマウイルス)の解説。この節は、まず文章の量が他のいずれの節よりも多い。そして参考文献だけでひとつのページがすべて埋まる勢いで文献が豊富に紹介されており、筆者の意気込みを感じられる。同時にわたしでも読み通せる程度にはわかりやすく書かれており、そこまで難解ではない。HPVワクチンについては副反応とその報道、政府の対応などをめぐってさまざまなレベルの混乱が発生した。そんなHPVとワクチンの基本的な事実関係を整理した解説としてこの節はとてもよくまとまっており、専門家でなくても読んで損はないという印象。ちなみに文中では9価ワクチンについて「日本では承認申請中」と書かれているが、本邦ではすでに承認され発売もはじまっている。

本書の出版から1年あまりで、HPVワクチンをめぐる状況も着実に進展していることが見てとれる。

素人だって専門書を読んでいい

本書はあくまで専門家向けに書かれており、素人が読むことは基本的に想定されていないとおもわれる。しかも本書の出版は2019年で、新型コロナウイルスにもmRNAワクチンにも言及は一切なし。素人が本書をわざわざ手に取るだけの理由を探すのは前回の本以上にむずかしい。たしかに、世間の関心はもっぱら新型コロナウイルスとそのワクチンに集中しており、わたしをふくめた一般の人が求めるとすればこれらの話題を一般向けにかみ砕いて説明した記事や本、あるいはテレビ番組、ネット動画だろう。現にそのようなコンテンツはいろいろと提供されている。ところで、一般向けのコンテンツでは説明をわかりやすくするために専門的にこみ入った話題をさけたり省略したり、ときにはデフォルメやたとえ話も使われたりする。これはある程度しかたのないことではある。しかし、氾濫する一般向けコンテンツにひたすら晒されつづけているうちに、ふとこんな感覚にとらわれる人もいるのではないか――「大体わかったような気分にはなったけど、細かいところがはっきりわからない」。もし仮にこうした感覚の生み出されている原因が専門的にこみ入った部分の意図的にぼかされた情報にばかりふれつづけてきた点にあるとするなら、その場合専門家向けにつくられたコンテンツにふれてみるのはひとつの解決策になりうる。実際、専門家向けの文書には専門用語が説明なしに使われるなど素人には難解というイメージがあるけれど、そのかわり専門的な話についてもくわしく述べられているなど文章としてはかえって明晰という場合もめずらしくない。また専門家向けに書かれた出版物について言うと、そうした出版物を取り扱う出版社は各分野ごとにある程度かぎられてくる。このため、当該分野の専門家のあいだで定評のある出版社から出ている書物は専門書はもちろん、得意とする分野の話題を一般向けに解説したような本もふくめ大ハズレが少ない傾向もあるようにおもわれる。これは傾向であって当然ながら例外は存在するけれど、一般向けコンテンツの玉石混淆さにくらべるとクオリティの平均値はおおむね高く、振れ幅も小さいとは言えるだろう。いずれにせよ、専門家が専門書を読めないのは困りものだけれど、素人が読めないのはあたりまえと開き直って気楽に読めばいいのではないだろうか。

用法用量を守って正しくお使いください

言うまでもなく、素人が専門家向けの文書を読むときには注意すべき点もいろいろある。本来こうした文書は専門用語の意味や述べられている話題についての背景、前提条件などをある程度把握している人向けに書かれている。素人でもなんとなく読めてしまう場合はあるものの、正確に読むためには本来の文脈を理解できるだけの能力が必要なことは頭の片隅に置いておくべきだろう。そのような意識の不十分な状態で専門家向けの文書を読んだ門外漢にありがちな思考としては、ふたつのパターンが考えられる。

A.門外漢の自分にもある程度理解できた
 →自分は専門家と肩を並べられるくらいの知識を得た
B.門外漢の自分にもわかるようなまちがいを発見できた
 →自分は専門家以上にものを知っている、判断力が高い

方向性こそ180度ちがうものの、専門家や専門知をかるく見ているという点ではまったく共通している。このような落とし穴に落ちないためには、結局のところ自分自身の能力や理解に対しても謙虚さを忘れないことが必要なのだろう。なおこれは専門家や専門知を信奉すべきとか、文章を疑ってかかって読むのがダメとか主張するものではない。あくまで自分自身の読解に対する向き合い方を問題にしている。そしてなにより素人のわたし自身がどこまで実践できているか非常にあやしいので、大いに自戒を込めつつ書いているとご理解いただきたい。

リスクコミュニケーションを考えるヒントに

この2月から本邦でも新型コロナウイルスのワクチン接種が開始された。今回のワクチンにはインフルエンザやHPVのワクチンとは比較にならないレベルで世間の関心が集まっており、実際マスメディアやSNSでは連日のように話題に上っている。その中でも副反応と疑われる事例への関心はとくに高い。裏を返せば、副反応に関するデマや不正確な情報が出回ってたちまち拡散されるという事態はいつ起きてもおかしくない状況と言える。こうした空気を敏感に感じ取っている人はやはり少なくないようで、デマはもちろん、誤解を招く危険性の高い情報に対しても警戒し、注意喚起をするSNSのアカウントなどもちらほら見かけるようになった。ワクチンに関わるデマの拡散についてはSNSのプラットフォーマーも深刻に受けとめているようで、たとえばツイッターはワクチンがらみのデマをくり返し拡散したアカウントは永久凍結するとの方針を最近示している。

他方で、SNS上にはワクチンに対して不安をもつ人の声も流れている。そしてデマに敏感な人たちの一部がこうした不安の声にまで過敏な反応を示すケースがあるようで、不安感を表明した投稿が拡散されると「不安を煽っている」的な批判のコメントがつけられるような事態も発生している様子がうかがえる。SNS各社がワクチンに関わるデマの拡散にきびしい姿勢を見せはじめていることで、こうした動きにも今後拍車のかかることが予想される。

さてこの混乱した状況をどのように整理すべきだろうか。本書の記述は示唆に富んでいる。

「接種を受けようとする者や家族への説明は適切に行われる必要があり,そのことが安全安心なワクチンに結びつき,ひいては接種しようとする側の安全安心としてフィードバックされる」(p.4)
「マスメディアやソーシャルメディア(SNS)などを介して,ワクチンと自閉症の関連などのワクチンの安全性に関するデマが流布することがある.これらのデマを放置することなく,医療関係者には一般の方への正しい情報の提供を行うとともにワクチンやその安全性に対する不安に向き合う真摯な姿勢が求められる」(p.34)
「ワクチン接種後に報告された多様な症状は,現在までにHPVワクチンとの因果関係を証明する科学的・疫学的根拠は示されていない.一方で,思春期の女性に機能的身体症状が一定の割合で生じることがわかってきており,このような症状で苦しむ方の支援や医療側での連携と対応を適切に行るようにすることが,HPVワクチンによってHPV関連疾患を予防するうえでも重要である」(pp.108-109)
「(インフルエンザワクチンは――引用者註)ほかのワクチンのように,接種することによって感染者が激減することを実感できるような,高い有効率でないことは事実であろう.しかしながら,これまでのインフルエンザワクチンの歴史を踏まえ,唯一の実際的な予防手段として,粛々と毎シーズン前の接種を積み重ねていくことが肝要である.その意義を科学的に追求し,データを示して,患者への説明を尽くすことは,われわれ臨床家の責務である」(pp.126-127)

まず大前提として本書は臨床医によって書かれており、想定している読者も同業者という点はふまえておく必要がある。つまりこれらの記述は、予防接種を受ける患者に対して臨床医はどのような姿勢で接するべきかというひとつの方向を示したものと解釈するのが妥当だろう。したがって、臨床医でもなければ医療関係者でもない一般の人に対して本書の筆者たちがここまでの姿勢を求めているわけではないという点には注意する必要がある。それどころか医師のあいだでさえもこのあたりのスタンスは多種多様のはずで、本書を執筆した医師たちのような考え方が業界内でどの程度広く共有されているか、素人のわたしにはよくわからない(多数派であってほしいとはおもうけれども)。

いずれにせよ、SNSでたまたま視界に入った程度の不安の声に対して真摯に向き合ったり共感をもって接する義務が一般の人にあるかと言えばさすがにそこまでは求められないだろう。そもそもの話をすれば今回の問題では公衆衛生の側面をまったく無視した議論は成り立たないわけで、客観的根拠にもとづいた現実的な可能性について懸念が示されているというような場合はともかくとしても、「個々人の漠然とした不安感の訴えはすべて無条件に尊重されるべき」という前提そのものを疑う立場すらありうる。しかし相手に共感できるかはともかくとしても、不安感の表明とデマとをひとまず区別する姿勢はやはり必要ではないか。デマを拡散する行為にきびしい目が向けられるのは当然としても、たとえばSNSで不安感を個人的に表明したような投稿をあたかもデマ拡散と同列に見なしてとがめ立てるのは、わたしにはさすがに一線を越えているように感じられる。また不安に対して説明を尽くし理解を得られるように努めている専門家の人たちの姿も見えるわけで、デマと不安をひとくくりにして排除しようとする態度がリスクコミュニケーションを妨げる可能性には十分注意すべきだろう。

先の引用部は臨床医に向けて書かれたものではあるけれど、ひとりの素人としてはそんなことも考えさせられた。

正規の読み方ではありません

以上、本書から参考にできそうな部分を素人なりに拾ってみた。再三くり返しているように、本書は臨床医向けであってこのような読み方は正規の用法ではない。わたしは専門家ではないので、記述内容の医学的な部分にまちがいがないかなど細かい話はまったくわからない。本書は医学書としてどの程度実用性があるのか、といった点に関心のある方はほかの書評などを参照されたい。

なお、本書の編者らによってWebサイト「こどもとおとなのワクチンサイト」が運営されている。

このサイトの解説は一般向けで、また更新も随時行われており新型コロナウイルスに関する情報も提供されている。一般の人にはこちらの方が読みやすいだろう。

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