『いちごです』川端誠【絵本】#17

絵本『いちごです』を、子ども(2歳1ヶ月)といっしょに読む。

お菓子や食べ方など、さまざまないちごの形態を描きながら、いちごです、の文言がひたすら繰り返される。
おなじボケを繰り返すことで、笑いが生まれる。天丼、と云われるお笑いテクニックのひとつだ。一種のギャグ絵本と云っていい。

以前、おなじ作者の『りんごです』を読み、子どもが気に入っていたのもあって、こんどは『いちごです』だ。
ほかに『バナナです』もあるらしい。

ウチの子は果物好きだ。
いちごも柑橘系も、多少酸っぱくても苦味があっても、大抵は喜んで食べる。
バナナはもちろん好きで、りんごは歯のないうちはうまく噛めず苦手にしていたが、生えそろったさいきんは、少しずつ食べられるようになった。
トマトなんかも好きで、僕なんてトマトを好んで食べるようになったのは、せいぜいがここ二、三年のことであるから、すげえな、子ども、と感心しつつ食べるさまを眺めている。

僕の声に出して読むとなりで、無言で聴いていた子どもが、不意に、

これ、キウイ!

これ、プニン(プリン)!

これ、パン!

と、絵を指さし、云うたび僕の顔を見て得意げだ。
そうだね、よく知ってるね、と僕は驚く。

そんなことがあった、と妻に話したら、
私がこのまえ教えたから!
と不機嫌に返される。

Eテレ『おかあさんといっしょ』にかつて「にこにこぷん」と云う寸劇のコーナーがあって、僕の子どもの時分に放送していたのが、さいきん番組を子どもと観ていたら、たまたま昔の映像が流れ、懐かしい!となった。
そのなかで「いつもにこにこ、ときどきぷん」などと紹介されていて、なるほどこれを観て育ったから、僕はいつも八割方はゴキゲンで過ごせているのかな、とおもったら、
わたしのときも「にこにこぷん」だった。
と云っている妻は僕よりも七、八歳若いのだけれど、彼女は「ぷんぷんぷん×5億、たまに奇跡的にニコ」みたいな、ゴキゲンな日は雪や槍の降る異常気象みたいなひとだから、何を観て育ったかはあまり関係ないし、妻の常に不機嫌なのはジェンダー格差を放置した社会構造のせいかもしれない、などとおもったりする。

以上は余談。『いちごです』を子どもと読んでいたのだった。

いちごです、とひたすら繰り返しているのに、それに迎合することなく、キウイだのプリンだのと、ちゃんと他の事物も目敏く見つける子どもは、正常に捻くれて育ってくれているな。と僕は満足する。

やはり『おかあさんといっしょ』で、エンディングは歌にのせてみんなで体操をするのだが、いつも大抵はひとりふたり、背景セットの壁に張りついて微動だにしない子がいて、巷間では壁族と呼ばれているらしいが、僕は、いいぞいいぞ壁族、その迎合しない天邪鬼なかんじ、とおもいながら見ている。

みんなでおなじほうを向いていても面白くない。
たかだか八十年前に、みんなでおなじ向きをむいて(あるいは向かされ)、僕らは大失敗したじゃないか。

いちごです、の大きな声に惑わされず、僕もキウイやプリンやパンを食べられる大人でいたい。

天邪鬼はいいぞ。

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