災厄を歴史化する #31
COVID-19が5類に移行して1年が経った。
禍いの始まった二〇二〇年の二月は、僕と妻の結婚した月で、家を探して不動産屋へ通ったり、内見で街々を巡ったりしていた。
世間の状況は刻々悪化していった。
初めのうちは、異国だったり船の上の話だったりしたのが、国内にも感染者が出、あっという間に広がっていった。
引っ越しの日は、仕事の休みをもらっていた。
荷運びが一段落して、新居でお弁当を食べながら、さいしょの晩餐のささやかにひらかれていた夜、首相が記者会見を開き、緊急事態宣言が出された。
そのまま職場も休業することになって、休みはひと月半に及んだ。
以来、移動は大きく制限された。
引っ越しができていてよかった。
災厄から四年が経ち、まだ完全に収まってはいないものの、この一連の出来事をそろそろ歴史化しておこうか、という動きもでてきている。
感染症はどのように歴史化されてきたのか。
飯島渉『感染症の歴史学』(岩波新書 新赤版2004)は、天然痘、ペスト、マラリアを例に挙げ、コロナ禍を歴史化するヒントを探る。
さいしょの章に、コロナ禍の経緯が簡潔にまとめられている。
さきに書いた、結婚しただとか、引っ越しだとか云った、自身の日常に起こった細部はわりと覚えているのだが、災厄全体の大きな流れ、みたいなことはけっこう忘れているな、と読んで改めておもう。
繰り返された緊急事態宣言は途中からマンボウへ言い換えられ、同調圧力が幅を利かせ、ワクチン接種を巡る混乱があり、医療崩壊が起きて、そんな中で、あの汚職に塗れたクソ忌々しい五輪が無観客で強行された。
きったねえマスクが送られてきたりもしたっけ。
そういえばこの本にはアベノマスクの話は出てこなかったな。
何かが抜け落ちている違和感があったが、アベノマスクだったか。
あまりにショボすぎて言及しそびれたんだろうか。
歴史学者は書かれていることよりも書かれていないことに注目する、と著者も仰っていたのだけど。
アベノマスクこそ、この国の感染症対策(の失敗)を象徴する存在であったわけで、歴史化するなら忘れず記して後世まで語り継いでもらいたい。
歴史総合的な本を読むのは『ジェンダー史10構』につづいてだが、視点に慣れないせいか、どうも内容があまり入ってこない。
それでもこの本は内容がずっと平易で、歴史総合の入門篇として、その考え方の大枠をつかむのに最適といえる。
話題もコロナ禍という、さいきんの大きな歴史的且つ世界的な事件を扱っていることだし。
そう、僕らは歴史の渦中を生きているのだ。
参考文献も、新書や小説が多く、ここから学んでいこうぜ、と云うかんじの作りは好感が持てる。
ただし小説は軽いエンタメ小説が殆どで、もう少しブンガク寄りの作品が取り上げられてくれたらよかったのに、とおもう。
いままでの歴史、いわゆる通史でカヴァーできない部分の多くは、小説が担ってきたわけで、どんな作品を掬うか、と云うのも歴史総合的な視点では重要になってくるのだから。
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