『ゆきのひ』加古里子【絵本】#11

東京に雪が降った。
降雪の少ない土地だが、何年かに一度、どさっと降って積もる(因みにだが、その「何年か」は年々長くなっているようにかんじる)。
子どもの生まれてからはじめて降る雪で、つまりは彼のはじめて見る雪、と云うことでもある。

鋪道にも雪の薄らと積もりはじめた夕方、子どもを保育所へ迎えにいき、いっしょに外へ出ると、
「ゆき、ゆき」
と彼は云って、空を指さして、はしゃぐ。

「Tちゃん雪見たことないのになんで知ってるの」
と僕は訊くが、彼は、ワケガワカラナイ、と云いたげに此方をきょとんと見ている。

その間にも空からは白い雪片の、しだいに大きくなっていくその塊が、しんしんと降り落ちてくるのをまた見上げて、こんどは、
「ゆうきや、こんこん」
と愉しそうに歌いはじめる。

ああそうか、歌で聴いてるし、そういえば絵本も加古里子の『ゆきのひ』を、このまえいっしょに読んだな、だから知ってるのか、と納得しかけるが、そこで僕はまた、はっとする。

本で読み、本でしか知らない事柄を、はじめて見たときに「それ」が「それ」だと、ちゃんとわかる。
それってけっこうすごいことなんじゃないか。
ましてや雪は、バスやりんごと云った「物」とちがって、降ってきて積もり残って消える「現象」である。
雪、とひと言でいっても、そのなかには時間が流れ、小さいながらも「物語」がある。
子どもは絵本を読むことで、そこに在る物語をちゃんと理解できている。世界を認識しはじめている。

家へ帰り着いてからも、子どもは窓に張りついて外を眺め、降る雪を飽きず見ている。
それを見ていた祖母(僕の母)が、窓を開け積もる雪をさっと手に取る。小皿に載せて差しだされた雪を、子どもは嬉しそうに掴むと、冷たい素振りも見せず、弄りまわす。
「Tちゃん、雪だよ。そのうち水になっちゃうんだよ」
と祖母の教えるのを聞き、子どもは不思議そうに握る雪の欠片は見る間に掌のなかでみるみる溶けて、水滴がぽたぽたと床やズボンの上に滴って落ちる。
固体から液体への相転移。物質の三態は化学の基本原則だ。子どもはこうやって科学観を獲得していくのか、と僕はまたしても驚きにとらわれる。

読んで聞いて、見て触って。子どもはこの世界の仕組みを、少しずつ少しずつ理解していく。彼のゆるやかな成長を、僕は愛おしいとかんじている。

以上の創作はしばらく前に、はてなブログに書いたものだが、さいきんはこのnoteにモリモリ書いていることもあって、愛着のある文章でもあるので、こちらへ引っ越しをさせることにした。すっかり季節外れとなってしまっのではあるが。

いまは雪に代わって桜の花弁が降っているが、そちらのほうには子どもはあまり関心がないようすだ。花より団子、である。


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