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世界を広げ続ける意味 『遅いインターネット』再読

 宇野常寛氏の著作『遅いインターネット』を2月に読んで以来、私の心にモヤモヤしたものがずっと渦巻いていた。著作も何度読み返したかわからない。最近になって、やっと思考が整理できた気がするので綴ってみた。
 モヤモヤの要因は、自分にとって世界とは何か?世界とどう関わるか?という2つの問いである。ここで述べる「世界」とは、自分の心に映るすべての物事とする。(哲学っぽいが…)
 
 子供から大人になるにつれて、私のなかで世界は広がる一方だった。行動範囲と知識が年齢とともに広がり、好きな物事が増えた。また、幼稚園から小学校、中学校、高校、大学と進学するたびにコミュニティが入れ替わって人間関係が豊かになり、新しい世界に自分が属した喜びを感じた。高校時代に一人旅した時は、異世界に迷い込んだ感覚を覚えたし、TVや雑誌の記事を読み、まだ見ぬ世界の存在にワクワクした。
 しかし、そうした世界が広がる感覚は、社会人になってパタンと止まった。もちろん、業務経験や興味分野は広がったし、海外も含めて各地を旅行した。数多くの発見、感動、刺激、出会いがあったと思う。しかし、少年の頃に肌で感じていた「世界が広がる感覚」は失せた。なぜか?

 一つは、会社という強大な磁力を持つ世界の内側に閉じ込められたからである。会社勤めが長くなればなるほど、社員は会社に安住したい思いが強くなる。そして、いったん安住を決断すれば、会社が優先順位一番になるよう、自分の生活を最適化する。言い換えれば、効率を追求して面倒なことは考えなくなる。会社の仕事と人間関係が第一。それ以外の生活や人生は、なるべく効率よく楽しみ、やり過ごそうとする。そして、その効率を高めるために仕事の対価で得た金を使う。
 もちろん、すべての仕事には社会的な価値があるはずだ。仕事を通じて社会に影響を与えたり、イノベーションを生んだ人もいる。私も、間接的だが会社には貢献したと思う。そもそも会社組織がなければ社会も維持できない。しかし、多くの会社員は会社という世界に思想的に埋没してしまい、その外側に出られていない気がする。私自身もそうだった。
 
 この感覚が、『遅いインターネット』で宇野氏が述べる「世界に素手で触れていない」感覚と同じだと思った。宇野氏は著作のなかで、今のインターネットは速すぎるという。SNSのタイムラインに絶え間なく流れる情報を追い、あまり深く考えずに(速さ優先で)いいねボタンを押し、他人の意見に乗っかるのが今のインターネット。だから人は自分の頭で考えようとしなくなり、大勢に身を委ねる。宇野氏は、そうした「速いインターネット」から脱して、社会に新たな問いを作ること=自分の手で世界に触れることが、今こそ必要だと述べている。
 確かに今は、流行や主流な意見を疑わずに従う人が多いが、その根底には、効率や生産性の追求、リスク回避といった会社の思想が確実に流れていると実感する。(これを宇野氏は著作の中で、民主主義、文化、吉本隆明氏の『共同幻想論』を例にあげて分析している)

 そして、世界が広がる感覚が失われた理由は、もう一つある。それは、子供が成長して「大人」になると、この世界に何が存在しているか悟り、「達観」することだ。少年の頃は、自分の周りには広大な未知の世界が広がっていると本気で思っていた。しかし、子供から大人へ成長するどこかの過程で、この「達観」が起こる。これは、周囲の大人の言動も大いに影響していると思う。そして、想像力が豊かだった少年は、どこかの時点で小賢しくあきらめムードが漂う大人になっていく。

 幸いなことに(と今だから言えるが…)、私は2年半前に長年勤めた会社を退職し、物事をじっくり考える時間を持つことができた。その時に、少年時代の世界を広げる感覚が、今の自分に欠けていると感じた。それから『遅いインターネット』を読み、新たな問いを作ることで世界を豊かにすることが世界を広げることだと、ストンと腹落ちした。
 問いを作るとは、自分の周りの世界(=社会)から「自分自身の言葉」を素手で手繰り寄せて、自分の心の中を豊かにすること。いや、世界の物事と自分をぶつけ合うことで、いつしか捨ててしまった自分の心を取り戻す行為というべきか。そして、まだ駆け出しだが私がライターとして人の話を聞き、本を読み、書くことを生業に決めたのは、少年の頃の世界が広がる感覚を取り戻したかったのだと、頭を整理できた。
 自分にとって世界とは「広げ続けるもの」であり、好奇心を捨てずに自分の言葉を作ることが、世界と関わる方法だった。そして、幾つになっても世界を広げ続ける人生こそ、真に豊かな人生だと確信できた。そう考えれば、老後の心配とか定年とか余生なんてことは考えもしなくなる。これから先も、自分の世界は広がり続けるのだから。


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