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【宇宙法則】グリット感覚とEarth感覚

四柱推命鑑定士Yです。
会社員をやる傍らで『自分の使命で生きられるようになる鑑定』をやっています。

Earth感覚って何ですか?と聞かれる事があったので、もう少し別角度からお話しできればと思います。

◾️グリット感覚とは?

Earth感覚は、前回記事で書いたように「自分の内側からの声(使命)が聞こえている状態」で、生まれもった本質的な自分とも言えます。
こっちの方向に行けばよかったんだという、あたたかさに包まれている感覚でもあります。

そのEarth感覚になるには、グリット感覚に左右されない自分を作らなくてはなりません。
では、まずグリット感覚とは何なのかを説明します。

事務作業が伴う仕事をしてる人は、グリットと聞くとピンとくるかもしれません。
グリットとはこれです。

簡単に表現するとExcelで言う目盛線の事です。
Wordでも方眼紙のようにしたい時に表示できますよね。
縦の線と横の線を組み合わせただけですが、これは実は偉大な叡智です。

グリット線は、文章の高さを揃えたりと文字の配置(バランス)を視覚的に捉える事ができたり、図形の位置を合わせたり、塗りつぶして多い少ないを表したり、「整理」するのにとても効果を発揮します。
Excelの作り込みによっては会社のほとんどの業務を補えてしまうのは、グリットが今の社会の仕組み(イデア)を包括しているからだと思っています。

実は、このグリットの機能を僕らも脳内に持っています。
僕らは縦横の線を引く事によって物事をわかりやすく認識しています。
例えば左と右を認識するのにも、ここからが左でここからが右というポイントが必要ですよね。
「良い事、悪い事」と言う時にも、何が悪くて何が良いと言う線引きをしているからこそ認識できるのです。

◾️グリット感覚から生まれた「所有」の概念

グリットの概念がなかった時代は、全ての領域が曖昧でした。
グリットによって「ここからここまでが自分の領地です」などと認識できるようになり、そこから「所有する」という考え方も生まれました。
また、グリットによって「この範囲に住んでる人は仲間だが、範囲の外から来た人はよそ者」という部族意識のようなものも生まれました。

そして「所有する」という事を認識してから「多い、少ない」「大きい、小さい」という数(量)を意識するようになりました。

「多い方が良い」「大きい方が偉い」

そんな風に考え出した人々は、こぞって現実世界における自分のグリット領域を増やす事に躍起になり始めます。
その中で、自分の領地を増やしたい。もっと資源が欲しい。沢山の労働力を手入れたい。という欲望が止まらなくなり、やがて奪い合いの争いに発展します。

この、多い方が正義、大きい方が正義、というグリットを増やす事を正しいと感じる感覚を、僕は「グリット感覚」と呼んでいます。

古代の大きな建造物は、このグリット感覚が生み出したものだという解釈です。
「沢山の労働力と莫大な資産を俺は持ってるんだぞ!!」という権威の表れとも言えますね。
(建築としての美しさや壮観さなどはテーマの為に一旦度外視してます)
そして、現在社会もその構図は変わりません。

営業組織やスポーツであれば、数字をより多く作った人が良いとされています。
学校などでも、テストの点数を多くとってる人が優秀とみなされます。
経営者の人達もタワーマンションの何階に住んでいるか?収入がいくらか?みたいなイキリあいに燃える人もいます。
グリットにより自分自身がどの位置にいるかを把握できるようになった人々は「こいつに負けたくない」「俺の方が上だ」という比較する事を覚えました。

このように書きましたが、僕はグリットが悪いと言いたいわけではありません。
社会生活送るにはグリットの認識は必須ですし、自分の使命を生きる為にもグリットは効果的に使うべきです。

ただ、グリット感覚を自分の中心感覚に置いてしまうと「結果として増えたら良い」「多いから正しい」という自己中心的な思考になりやすく、自分自身が本来行きたい使命の方向性が見えにくくなります。

◾️グリット感覚が生み出した悲しい歴史

グリット感覚に偏りすぎると、誰かが犠牲になって悲しみを生んでいる事がわかっていても「結果として売上が上がったんだら良い」「自分の方が立場が上(多く持っている)なのだから、言う事を聞け」となりがちなのです。

それが極まっていくと、大航海時代のような略奪に近い状態になってしまいます。
大航海時代は調べていくと、大変悲しい出来事に溢れています。

例で言うと、アメリカの原住民のインディアンや、オーストラリアのアボリジニー、他にも沢山の部族達が、当時の白人達によって大虐殺された歴史があります。

有名な話ですが、インディアンには当時「所有」の概念がありませんでした。
インディアンからすると、自然は誰のものでもなく与えられたものという考え方でした。
そこに白人がやってきて「ここからここまでは俺の土地だ。俺が金で買った土地だから入ってくるな」と追いやったのです。

インディアンは白人との闘争に疲れ、アメリカ大統領に送った手紙の内容がこちらです。

我々には、分からない。
空が金で買えるだろうか?
雨や風をひとりじめできるだろうか?
土地は地球の一部であり、我々は地球の一部であり、地球は我々の一部なのだ。


所有の概念を持たない人々からすると、金と契約書によって、地球に与えられた場所が誰かのものになるという感覚が理解できなかったのです。
「土地を売ってくれ」と言われた時、かなり困惑したと想像できます。
そして、白人達は「言われた事を理解できない劣った人々だ」と結論を出しました。
そうして悲しい歴史が生まれてしまいました。

◾️私という感覚と我々という感覚

全ての物事には陰と陽があります。
グリットにより悲しい歴史が作られた(陰)のも事実ですが、グリットが技術を発展させてきた事(陽)も事実です。
もっと自分の行動できる領域を増やしたいという想いが、人類の活動領域を海から空へ広げ、そして宇宙にも進出しました。

そして人類は宇宙に出た時に、大きな事に気付いたのです。

宇宙飛行士の中でとても興味深い事を言っていた人がいました。
アポロ9号の乗組員ラッセル・シュワイカートの体験談です。
シュワイカートが宇宙空間の作業中にカメラが故障して作業がストップしてしまいました。
予期しない静寂が訪れたシュワイカートがあたりを見回すとそこには青く光る地球が見えました。

その瞬間、シュワイカートの胸の中に言葉以上の感覚が沸き起こり涙が止まらなくなったそうです。

「今、ここにいるのは“私”ではなく、すべての生きとし生ける者としての“我々”なんだ。
それも、今、この瞬間に眼下に広がる青い地球に生きる全ての生命、過去に活きた全ての生命、そして、これから生まれてくるであろう全ての生命、を含んだ“我々”なんだ」

シュワイカートの体験での“私”から“我々”という意識の変化は、グリットの概念の域を飛び出しているように思えます。

◾️Earth感覚は元々誰しもが持ってるもの

シュワイカートのような、個人主義を超えて、自分自身が宇宙全体の中で何ができるんだろう?という感覚こそが、僕が伝え続けているEarth感覚の入り口です。

Earth感覚が中心感覚になってくると、グリットが薄まり、物事を白黒つける必要がないことがわかってきます。
社会生活上では白か黒かをはっきり分けなければいけないですが、人生全体においては実はそんなことはないのです。

グリットが薄まることにより、相反することでも受け入れる選択ができるようになってきます。
グリット感覚が強い時は「何でもかんでも自分の思うようにコントロールしたい」という気持ちになってしまうのですが、Earth感覚が強まるとどのようにしたら今自分に降り掛かってくる物事と共に生きられるか?という選択に変わります。

過酷な地球の大自然がもたらす脅威や、季節の移り変わりと共に生きてきた人類の感覚そのものです。
自然は誰のものでもなく、コントロールできるようなものではないので、いかに我々側が適応していけるか?を繰り返してきた、古代の人類の生き方に近い感覚です。

そのような感覚に変化すると、宇宙や物事が自分に何をしてほしいのか?というメッセージがわかるようになります。
僕がEarth感覚をオススメしているのは、このメッセージが聞こえる生き方を一緒に味わいたいからです。

くどいようですが、先程も書いたように僕はグリット感覚が悪いと言いたいわけではないです。
中には「所有するのは悪だ!」「グリットが諸悪の根源だ」と言う意見の人もいるかもしれません。

僕の捉え方としては、グリット感覚はEarth感覚に包括されるイメージです。
また別記事でも詳しく書きますが、Earth感覚になる事により、自分の使命のためにグリットというツールを使いこなせるようになります。

グリットもまた宇宙の叡智の一つです。
どう使うか次第だと僕は思います。

ですので、Earth感覚にシフトすると言うこと=本来の自分に戻る事と定義しています。
Earth感覚を取り戻せた人が増える事で、幸せになれる人が増える未来を僕は作っていきたいです。

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