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プロポーズをされて、幸せには土俵があることを知りました。

上手く事が運べば、noteを開設するつもりなんて毛頭なかったのです。でも、私が今まさに直面している課題について同じ状況に陥った/陥るであろう人と共有しておくべきことなのだと思いました。だから胸の内を、ここにしたためることにしました。

このnoteの更新が最後となる日は、私が人生のなかで二番目に幸せだと感じられる日になると信じて、言葉を絞り出していきます。


先日108本のバラをいただき、愛する人からプロポーズをしていただきました。それは付き合って3年記念日のこと。人生で一番幸せで、もっとも優しい夜の出来事でした。


しかし、その時はまだ私は知りませんでした。幸せに「土俵」が存在していたことを。

実家に帰り、親にプロポーズを報告をしたところ、

「あなたはノーマルな人なんだから、普通の男性と結婚して、アタリマエに女性として幸せになってほしい。」

と全面拒否されてしまいました。

私のパートナーはトランスジェンダーで、生まれた時の性別と自分が思う性自認が別なのです。女性として産声をあげたけれど、現在は男性として生きています。(性別の変更はまだ行っていない状況です。)

「ひとまず彼に会って欲しい」

そう告げた私に、

「普通の男の人にプロポーズされたっていうのなら、じゃあまず会いましょうかってなるけど、その人には会わないよ。そもそも、会うという前提がないから。」

とぴしゃり。心のシャッターは閉まったまま、びくとも動かないのです。

「もっとよく考えなさい。その人じゃなくたっていい。」

考えを改めるよう、諭されました。

かなしなかった。ただ、かなしかった。相手にどんな過去、現在があったとしても、私が愛した人を、親に否定されることがこんなにも苦しいことだと初めて知りました。

彼と結婚をするためには、まず親に会ってもらえる状況をつくりださなければならないのです。異性のパートナーを持つ人なら最初から上がれる土俵を目指し、私たちは辛酸を嘗める覚悟を持ち、挑戦しなければならないのです。

この日を迎えるまで、誰だってプロポーズをしたりされたりして幸せになれる権利があると思っていました。でも全ての人がそんな簡単に幸せになれないんだと知りました。

「婚約」「結婚」という極めてありきたりな言葉の裏に、選ばれた人しか上がれない土俵が存在していたことに気づいたのです。


絶望を抱えながら自分の家に帰ってきた時、Syrup16gの名曲、「Reborn」をなぜだか無性に聞きたくなりました。


手を取り合って  肌寄せ合って

 ただなんかいいなあって空気があって

 一度にそんな 幸せなんか

手に入るなんて思ってない 

遠回りしていこう


この歌詞のように遠回りをして、私はゆっくり幸せを紡いでいける人になろうと思うんです。時間はかかるだろうけど、愛する人と一緒に「幸せの土俵」に上がってみます。

そして、そんな土俵が存在しなくなる日を心から願っています。土俵に上がれなくて悔しく哀しい思いをする人は、これ以上増える必要なんてない。

性別や年齢、人種、宗教、そんなものを超越して、好きな人と好きな人が幸せになれる。そんなノーボーダーな社会になってほしいから、自分の身に起きた出来事をこれからも書ける範囲で綴っていきます。

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